<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>桜楓会 Ohfukai Society</title><link href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp"></link><subtitle>バンクーバー在住のリタイア移民のための会</subtitle><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp</id><author><name>stessa</name></author><updated>2026-04-25T17:39:16+00:00</updated><entry><title><![CDATA[幸せの見つけ方]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58773130/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/ab667863b7bd66d313c81ee809d680dc_85c8d5e8a10e6419fe357d37a003b8c6.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58773130</id><summary><![CDATA[私の家から自転車で数分のところに、Pacific Spirits Regional Parkというのがあって自転車で数分、ちょっと寒かったですけど先ほど行ってきました。健康のためだと速歩でハァハァとTrailを歩くんです。森では割に珍しいリスと出会いました。いつも庭に出てくる活発なリスと森に住むリスは種類がだいぶ違うようです。サイズが小柄。長い冬の後、いま素晴らしく美しい春がやってきました。桜が葉桜になり今ピンク色の八重桜が あちこちで咲き誇っています。春の陽射しの下、そこを歩くととても幸福感を感じます。ところで何かで読んだのですが、ノーベル賞受賞者の心理学者らの研究ではLotteryに当たって大金を手にした人、一方で障害を持ち大変な日々を送っている人。時が少し経てば、これらの人びとの感じている〈幸福感〉にはさほどの差はないということなのです。慣れてしまえば何でもそれが当たり前になってしまう、という・・人の性。エンドルフィンやドーパミンとかの脳で分泌される脳内物質によるものだそうです。私のお知り合いでカナダで何十年も住んでいるのに、BC州の有名な州立公園に行ったことも、その名前すら知らないという方も複数おられました。高物価だとかモーゲージだとか健康のことだとか、日々悩ましい色いろの問題は誰にでもあるものですが、この美しい環境での美しい日々に幸せを感じようとしないのは、とてももったいないなー、と思うのであります。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-04-25T17:39:16+00:00</published><updated>2026-04-26T17:42:21+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>私の家から自転車で数分のところに、Pacific Spirits Regional Parkというのがあって自転車で数分、ちょっと寒かったですけど先ほど行ってきました。<br>健康のためだと速歩でハァハァとTrailを歩くんです。<br>森では割に珍しいリスと出会いました。いつも庭に出てくる活発なリスと森に住むリスは種類がだいぶ違うようです。サイズが小柄。<br>長い冬の後、いま素晴らしく美しい春がやってきました。<br>桜が葉桜になり今ピンク色の八重桜が あちこちで咲き誇っています。<br>春の陽射しの下、そこを歩くととても幸福感を感じます。<br>ところで何かで読んだのですが、ノーベル賞受賞者の心理学者らの研究ではLotteryに当たって大金を手にした人、一方で障害を持ち大変な日々を送っている人。<br>時が少し経てば、これらの人びとの感じている〈幸福感〉にはさほどの差はないということなのです。<br>慣れてしまえば何でもそれが当たり前になってしまう、という・・人の性。<br>エンドルフィンやドーパミンとかの脳で分泌される脳内物質によるものだそうです。<br>私のお知り合いでカナダで何十年も住んでいるのに、BC州の有名な州立公園に行ったことも、その名前すら知らないという方も複数おられました。<br>高物価だとかモーゲージだとか健康のことだとか、日々悩ましい色いろの問題は誰にでもあるものですが、この美しい環境での美しい日々に幸せを感じようとしないのは、とてももったいないなー、と思うのであります。</h2><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[春一番「桜」]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58773128/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/0123ac072d9914213ea66961293b8d80_bdb0644b823353ea10e1237b89a993f7.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58773128</id><summary><![CDATA[４月１日にプレーンエア絵描き達と今年初めて太陽の光を求めてスティブストンのゲリーポイントパークに「曙桜」の花見を描きに出掛けた。気持ち良い太陽の光と冷たい海の風を肌に受けて、皆が手袋やカイロなどで暖を取りながら春一番をスタートした。昼食ごろからか風がめちゃめちゃ冷たくなってきたので全員昼食後は道具を片付け始めた。この公園には曙桜を数百本植えてあるそうだ。地盤が弱く潮風などにも強い種を選んだそうだ。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-04-25T17:35:20+00:00</published><updated>2026-04-26T17:38:38+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>４月１日にプレーンエア絵描き達と今年初めて太陽の光を求めてスティブストンのゲリーポイントパークに「曙桜」の花見を描きに出掛けた。<br>気持ち良い太陽の光と冷たい海の風を肌に受けて、皆が手袋やカイロなどで暖を取りながら春一番をスタートした。<br>昼食ごろからか風がめちゃめちゃ冷たくなってきたので全員昼食後は道具を片付け始めた。<br>この公園には曙桜を数百本植えてあるそうだ。地盤が弱く潮風などにも強い種を選んだそうだ。</h2><p><br></p>
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			<h2>４月４日土曜日にはスタンレーパークの「白妙桜」が如何開花しているか気になり戦没者慰霊塔公園にある数種類の桜をも鑑賞に行ってみた。慰霊塔から西に向かう10数本の並木を成す「白妙桜」は8割程開花し、「御提灯桜」や周囲の「染井吉野」もすでに十分開花していた。今年の街中の花の傾向はあらゆる花が先を競って咲き合戦しているような風景である。今日４月１３日には見事な濃厚ピンクの八重「関山桜」が都心で開花している。良き春である。</h2>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[コスモス]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58773124/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/5d45bee4a3d357ddef832411c240f7dd_597f5777bd3e8bc71b5f68594a58516d.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58773124</id><summary><![CDATA[毎年5月に行われるWest of Main Art Walk に先がけ会員は、全員6インチ4方のキャンバスに思い思いの絵を描き、全員一律の価格で販売し、全額を精神障害施設のアートプログラム等に寄付することになっています。この小さな絵はそのために描いたものです。どなたかの手に渡りわずかながらも施設のプログラムに寄与できたらと願いつつ。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-04-25T17:33:23+00:00</published><updated>2026-04-26T17:39:07+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>毎年5月に行われるWest of Main Art Walk に先がけ会員は、全員6インチ4方のキャンバスに思い思いの絵を描き、全員一律の価格で販売し、全額を精神障害施設のアートプログラム等に寄付することになっています。<br>この小さな絵はそのために描いたものです。<br>どなたかの手に渡りわずかながらも施設のプログラムに寄与できたらと願いつつ。</h2>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[「四季」なんて書いていません「四季」より「春」]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58773119/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/6584eeb4c7f1df86ac43ddc5919e20ae_6a3527d7628d422f77661a2fe9a84ab5.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58773119</id><summary><![CDATA[すっかり春らしい気候となりました。春の定番といえば、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」から「春」ですね。「最も好きなクラシック音楽」のランキングでも１位になることが多い超有名曲です。これを聞いたことのない方はいらっしゃらないのではないでしょうか。ただ、この曲にはいくつかの謎があります。今回は、そういった「謎」をご紹介してみたいと思います。謎１　なぜこれほど人気があるのか　ヴィヴァルディは今から３００年ほど前に世を去ったバロック時代の作曲家です。この時代の音楽家の多くは死後ほとんど忘れ去られていました。時は１９５１年。イタリアはローマの音楽院の卒業生たちが、小さなオーケストラを結成しました。「音楽家たち」を意味する「イ・ムジチ」と名乗ったこの合奏団は、同郷の先輩で大指揮者、トスカニーニのお墨付きを得て順風満帆のスタートを切ります。彼らが史上初めて録音した「四季」のレコードは空前の大ベストセラーとなり、この消え失せたはずの作品を復活させたのでした。そして「四季」といえば「イ・ムジチ」と言われるほどその人気も決定的なものとなりました。現在では　多くの演奏家がこの人気曲を演奏・録音していますが、今でも「イ・ムジチ」の演奏をベストワンとして愛好する人が多いのです。その後、この合奏団は何度もメンバー交代を繰り返しながら、今も現役続行中で、「四季」のレコーディングも通算で９回を記録しています。なお「四季」の録音は他の演奏家による戦時中のものもあります。しかし、それは原曲にない楽器を加えた編曲版によるものでした。したがって、作曲どおりのオリジナルの録音としては、このイ・ムジチによるものがやはり史上初ということになります。　　　　https://youtu.be/tqBr744bnDA　　ヴィヴァルディ「四季」より「春」全３楽章　　イ・ムジチ合奏団の第１回録音（１９５５年）謎２　なぜ「四季」なのか　実はヴィヴァルディは「四季」と名付けた曲を書いてはいません。彼が作曲したのは全１２曲から成るバイオリン協奏曲集「和声と創意への試み」で、その１番から４番にそれぞれ「春」「夏」「秋」「冬」というタイトルがつけられています。前述のイ・ムジチ合奏団がその４曲だけを限定して録音したアルバムに「四季」のタイトルをつけたことで、全１２曲から独立した　作品として扱われることになり、後続の演奏家たちもそれに倣ったという次第です。なお、「和声と創意への試み」の「四季」以外の８曲は、第５番「海の嵐」を除けば、演奏される機会も録音も「四季」とは比較にならないほど少ないです。謎３　作者不明の詩　「四季」の楽譜には、四つの季節について、それぞれ作者不明の短い詩（ソネット）が添えられています。これは、ある貴族に「和声と創意への試み」を献呈する際、ヴィヴァルディ自身が「春」～「冬」の解説として加えたもののようです。詩に目を通しながら聴いてみると、曲の表現する情景が目の前に浮かんできます。「春」では、鳥の鳴き声、小川のせせらぎ、　突然の嵐（春は天候不順が多いですね。）、陽気の中で居眠りする羊飼い、そのそばで吠えたてる犬の声などが音で活写されています。音による情景描写というのは、それまでの音楽では珍しく、画期的なことでした。彼は当時最先端の芸術家だったのです。　　https://youtu.be/-D3nIM8OWbE?list=RD-D3nIM8OWbE　　ヴィヴァルディ「四季」全曲　　ソネット（詩）の字幕付き　謎４　当時の人気は？　作曲者の生前に楽譜出版された「四季」はたちまちのうちにヨーロッパを席巻する人気曲となりました。何人もの音楽家によって編曲された「四季」の楽譜が数多く残っていることが、その証拠です。特に「春」の人気は高く、たとえば１８世紀フランスのミシェル・コレットという作曲家は、「春」の全３楽章をそのまま取り入れた「主をたたえよ」という合唱付きの　礼拝音楽を作りました。この曲は、初めソプラノの歌で始まりますが、しばらくすると聞きなれた「春」の音が鳴り響いてきます。　https://www.youtube.com/watch?v=5fYpD5XCI30　　「主をたたえよ」　５分３６秒から「春」の音楽]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-04-25T17:29:28+00:00</published><updated>2026-04-26T17:33:11+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>すっかり春らしい気候となりました。春の定番といえば、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」から「春」ですね。「最も好きなクラシック音楽」のランキングでも１位になることが多い超有名曲です。これを聞いたことのない方はいらっしゃらないのではないでしょうか。ただ、この曲にはいくつかの謎があります。今回は、そういった「謎」をご紹介してみたいと思います。<br>謎１　なぜこれほど人気があるのか　ヴィヴァルディは今から３００年ほど前に世を去ったバロック時代の作曲家です。この時代の音楽家の多くは死後ほとんど忘れ去られていました。時は１９５１年。イタリアはローマの音楽院の卒業生たちが、小さなオーケストラを結成しました。「音楽家たち」を意味する「イ・ムジチ」と名乗ったこの合奏団は、同郷の先輩で大指揮者、トスカニーニのお墨付きを得て順風満帆のスタートを切ります。彼らが史上初めて録音した「四季」のレコードは空前の大ベストセラーとなり、この消え失せたはずの作品を復活させたのでした。そして「四季」といえば「イ・ムジチ」と言われるほどその人気も決定的なものとなりました。現在では　多くの演奏家がこの人気曲を演奏・録音していますが、今でも「イ・ムジチ」の演奏をベストワンとして愛好する人が多いのです。その後、この合奏団は何度もメンバー交代を繰り返しながら、今も現役続行中で、「四季」のレコーディングも通算で９回を記録しています。なお「四季」の録音は他の演奏家による戦時中のものもあります。しかし、それは原曲にない楽器を加えた編曲版によるものでした。したがって、作曲どおりのオリジナルの録音としては、このイ・ムジチによるものがやはり史上初ということになります。　　　　https://youtu.be/tqBr744bnDA　　ヴィヴァルディ「四季」より「春」全３楽章　　イ・ムジチ合奏団の第１回録音（１９５５年）<br>謎２　なぜ「四季」なのか　実はヴィヴァルディは「四季」と名付けた曲を書いてはいません。彼が作曲したのは全１２曲から成るバイオリン協奏曲集「和声と創意への試み」で、その１番から４番にそれぞれ「春」「夏」「秋」「冬」というタイトルがつけられています。前述のイ・ムジチ合奏団がその４曲だけを限定して録音したアルバムに「四季」のタイトルをつけたことで、全１２曲から独立した　作品として扱われることになり、後続の演奏家たちもそれに倣ったという次第です。なお、「和声と創意への試み」の「四季」以外の８曲は、第５番「海の嵐」を除けば、演奏される機会も録音も「四季」とは比較にならないほど少ないです。<br>謎３　作者不明の詩　「四季」の楽譜には、四つの季節について、それぞれ作者不明の短い詩（ソネット）が添えられています。これは、ある貴族に「和声と創意への試み」を献呈する際、ヴィヴァルディ自身が「春」～「冬」の解説として加えたもののようです。詩に目を通しながら聴いてみると、曲の表現する情景が目の前に浮かんできます。「春」では、鳥の鳴き声、小川のせせらぎ、　突然の嵐（春は天候不順が多いですね。）、陽気の中で居眠りする羊飼い、そのそばで吠えたてる犬の声などが音で活写されています。音による情景描写というのは、それまでの音楽では珍しく、画期的なことでした。彼は当時最先端の芸術家だったのです。　　<br>https://youtu.be/-D3nIM8OWbE?list=RD-D3nIM8OWbE　　ヴィヴァルディ「四季」全曲　　ソネット（詩）の字幕付き　<br>謎４　当時の人気は？　作曲者の生前に楽譜出版された「四季」はたちまちのうちにヨーロッパを席巻する人気曲となりました。何人もの音楽家によって編曲された「四季」の楽譜が数多く残っていることが、その証拠です。特に「春」の人気は高く、たとえば１８世紀フランスのミシェル・コレットという作曲家は、「春」の全３楽章をそのまま取り入れた「主をたたえよ」という合唱付きの　礼拝音楽を作りました。この曲は、初めソプラノの歌で始まりますが、しばらくすると聞きなれた「春」の音が鳴り響いてきます。　https://www.youtube.com/watch?v=5fYpD5XCI30　　「主をたたえよ」　５分３６秒から「春」の音楽</h2>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[スタンレーパークの隣に建つ家]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58675695/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/2229377f9dd4ad5d8a555590b9275c80_ce4e4503ce2be85601186fd1146adac4.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58675695</id><summary><![CDATA[スタンレーパーク公園の隣に建っている家があります。秋になると紅葉する木に囲まれた家がステキです。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-03-25T18:41:47+00:00</published><updated>2026-03-25T18:43:25+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>スタンレーパーク公園の隣に建っている家があります。<br>秋になると紅葉する木に囲まれた家がステキです。</h2>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[変容する植物　その２　「グロテスク」]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58675689/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/cdbc1fe11807a7a6dd747b502b8d5f53_9eda931dff72704aa589ed20c0d42dcb.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58675689</id><summary><![CDATA[暴君で名高い第５代ローマ皇帝ネロは、ローマ市内に「ドムス・アウレア」（黄金宮殿）と呼ばれる広大な宮殿を建設しました。ネロの死後、その痕跡を消し去るため歴代の皇帝たちは宮殿を埋めて上に新たな施設を建設したため、古代の文献に言及はあるものの、全容は知られていませんでした。１５世紀末、コロッセウムにほど近いオッピオ丘斜面にトンネルを掘って宮殿内部を見ようとする試みがなされ、そこで発見されたのが見事なフレスコやモザイクの装飾でした。ミケランジェロ、ラファエロなど当代きっての画家たちは競ってここを訪れ、その意匠を自作に取り入れたのです。建築モティーフ、植物、動物、人体などが自由に組み合わされた奇想的な装飾は、「グロテスク」と呼ばれました。これはイタリア語で「洞窟」を意味する「グロッタ」(grotta)に基づき、地下に埋もれた宮殿を「洞窟」とみなしたことに由来します。1508年からヴァティカーノ宮の壁画制作に携わっていたラファエロとその協力者ジョヴァンニ・ダ・ウディネによるグロテスク装飾は、ルネサンス期の古代ローマ美術への関心を示す代表作です。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-03-25T18:37:26+00:00</published><updated>2026-03-25T18:41:35+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<h2>暴君で名高い第５代ローマ皇帝ネロは、ローマ市内に「ドムス・アウレア」（黄金宮殿）と呼ばれる広大な宮殿を建設しました。ネロの死後、その痕跡を消し去るため歴代の皇帝たちは宮殿を埋めて上に新たな施設を建設したため、古代の文献に言及はあるものの、全容は知られていませんでした。<br>１５世紀末、コロッセウムにほど近いオッピオ丘斜面にトンネルを掘って宮殿内部を見ようとする試みがなされ、そこで発見されたのが見事なフレスコやモザイクの装飾でした。ミケランジェロ、ラファエロなど当代きっての画家たちは競ってここを訪れ、その意匠を自作に取り入れたのです。建築モティーフ、植物、動物、人体などが自由に組み合わされた奇想的な装飾は、「グロテスク」と呼ばれました。これはイタリア語で「洞窟」を意味する「グロッタ」(grotta)に基づき、地下に埋もれた宮殿を「洞窟」とみなしたことに由来します。1508年からヴァティカーノ宮の壁画制作に携わっていたラファエロとその協力者ジョヴァンニ・ダ・ウディネによるグロテスク装飾は、ルネサンス期の古代ローマ美術への関心を示す代表作です。</h2><p><br></p>
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		</div>
		

		<div>
			<p>ドムス・アウレアのグロテスク装飾（AD64 – 68年）</p>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<p>ラファエロのロッジア、ヴァティカーノ宮</p><p><br></p>
		</div>
	
		<div>
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		</div>
		

		<div>
			<p>ラファエロ工房、グロテスク装飾（ヴァティカーノ宮ラファエロのロッジア、1517-19年）</p>
		</div>
	
		<div>
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		</div>
		

		<div>
			<p>ビビエーナ枢機卿の小ロッジア、ヴァティカーノ宮</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/67fffeaed731130e101ca7756dec1da3_8ac2220936a5484e8b0206405beada05.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>ジョヴァンニ・ダ・ウディネ、グロテスク装飾（ヴァティカーノ宮ビビエーナ枢機卿の小ロッジア、1516-17年）</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[陶人形2点]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58675676/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/992c24199538b3b074da9796833bb76c_4e0d0bfb5191960915109a8210e51a38.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58675676</id><summary><![CDATA[　　　　　　　　　　　　　　(高さ、左＝28、右=31cm)轆轤と手捻りの併用で、各２種類の粘土を使い作った人形です。左の人形は手書きの花模様の中国服にし、右側は釉薬を掛けず土の色そのままで、焼成後に金色で腕輪とビーズのネックレスを付けました。人形も実用の器と同様に素焼きと本焼き、2回窯で焼きます。　この人形2つは通年我が家のマントルピースに飾っています。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-03-25T18:35:18+00:00</published><updated>2026-03-25T18:37:01+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/992c24199538b3b074da9796833bb76c_4e0d0bfb5191960915109a8210e51a38.jpg?width=960" width="100%">
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			<p>　　　　　　　　　　　　　　(高さ、左＝28、右=31cm)</p><p><br></p><h2>轆轤と手捻りの併用で、各２種類の粘土を使い作った人形です。左の人形は手書きの花模様の中国服にし、右側は釉薬を掛けず土の色そのままで、焼成後に金色で腕輪とビーズのネックレスを付けました。<br>人形も実用の器と同様に素焼きと本焼き、2回窯で焼きます。　<br>この人形2つは通年我が家のマントルピースに飾っています。</h2>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[３月教養講座 「昭和１０１年　日本人と西洋芸術」]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58675673/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/831c52650000acf09e0a338d2cba716b_d0b1f0643d4d10c0421d1da586f184f6.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58675673</id><summary><![CDATA[３月１３日（金）に桜楓会の教養講座「昭和１０１年　日本人と西洋芸術」が開かれました。 講師は広報役員の丸尾が務め、会員と会友を合わせて２５名の方にご参加いただきました。いつもは、美術の話題が中心ですが、今回は「日本の物作りと西洋音楽」というプログラムで、　音楽に特化した内容となりました。参加された方々のご感想を抜粋でご紹介します。★ちょうど昭和１００年に開催されたショパンコンクールから始まり、日本の発明したデジタル録音が普及していく昭和５０年に　話題を移し、最後は楽器に見られる日本人の物作り精神で終わるという、いつもながらのよくできた切り口と構成に時間を忘れて聞き入りました。また、ご自身の楽器演奏などの音楽体験を交えたお話にも説得力がありました。（会員）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　★今回の教養講座もとてもよかったです。アルプスの少女ハイジのテーマ曲をかけてくださり、ありがとうございました。子どもの頃、ハイジのアニメが大好きでした。フレンチホルンと聞いて、もしかしたらと思いましたが、やはりあの出だしは、壮大なスイスの山の　風景にぴったりですね。（会友） ★ザルツブルクが岩塩の街であることや、ウィーン・フィルが世界一である理由の数々。また、ウィンナ・ホルンやウィンナ・オーボエ。ウィーン・フィルの音を決定づけているという楽器の絶滅の危機を日本の物作りが救ったというお話など、驚きの連続でした。今回も初めての知識をたくさん吸収できました。ありがとうございました。次回も期待しております。（会員）★ウィーン・フィルがウィーン製の楽器を復元するときに、なぜヨーロッパのメーカーではなく日本を選んだのか。それについて、丸尾先生が日本の無個性や無署名性を挙げて説明されたのは、なるほどと納得しました。無個性は時に謙虚さとして認められるのですね。ヨーロッパの　音楽家たちの中にあった東洋人の偏見が、手先が器用で丁寧な日本の物作りへの称賛や感謝に変わっていくプロセスが興味深かった。今ウィーン・フィルのフルート全員が日本製を使っているのもその証拠かもしれませんね。（会友）★ショパン・コンクールの上位のメンバーが全員中国がルーツと聞いて、コンクールや楽器作りなど、日本だけでなく中国もどんどん進出しているというお話が印象に残りました。ショパン・コンクールの公式ピアノ５台に日本のメーカーが２つ入っているのは、へえっと思いましたが、日本のピアノは１００年遅れていると言われて奮起した技術者たちの努力がうかがえました。ロシアの大ピアニストが認めたヤマハのピアノ。そして、日本の工場で作業員相手に開いたコンサートのお話が心に残ります。（会員）★リヒテルとヤマハのエピソードを聞いて、以前私がヤマハに勤務していた時のことを思い出しました。当時は電子金属事業部に所属していました。そこは楽器製造には関係のない部門だったのですが、同じ工場内にピアノフレームを鋳造する部署があり、　さまざまな形状のフレームを生産していました。それが浜松近郊のピアノ組み立て工場へ送られて組み上げられていたと思います。ヤマハは良い意味であまり目先のことにとらわれず、じっくりと腰を据えてものづくりに取り組める環境にあると言えます。技術者に　とっては理想的な環境ですね。引き続き教養講座を担当されることと推察しますので、また次回の講座を楽しみにしています。　ありがとうございました。（会友）★所用が終わって、ZOOM に参加した時は、リードオルガンの話をしている最中でした。オルガン奏者だった母を思い出しながら観ておりました。画像にあった黒っぽいオルガンは東京の実家にもありました。札幌に住んでいた時、母は北光教会のオルガン弾きでした。そこにあったオルガンの名前は忘れてしまいましたが、日本に３台しかないうちの１台でした。ヤマハのピアノを弾いたリヒテルは好きなピアニストの一人でした。カラヤン・ウィーン交響楽団とのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第１番の録音、大好きでした。リヒテルが　バイオリンのオイストラフ、チェロのロストロポービッチ、カラヤン・ベルリン・フィルと共演した　ベートーヴェンのトリプルコンチェルトも良いレコーディングです。（会員）　(記:　丸尾豪司)　　　　　　　　　　]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-03-25T18:32:07+00:00</published><updated>2026-03-25T18:35:13+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>３月１３日（金）に桜楓会の教養講座「昭和１０１年　日本人と西洋芸術」が開かれました。<br> 講師は広報役員の丸尾が務め、会員と会友を合わせて２５名の方にご参加いただきました。<br>いつもは、美術の話題が中心ですが、今回は「日本の物作りと西洋音楽」というプログラムで、　音楽に特化した内容となりました。参加された方々のご感想を抜粋でご紹介します。<br>★ちょうど昭和１００年に開催されたショパンコンクールから始まり、日本の発明したデジタル録音が普及していく昭和５０年に　話題を移し、最後は楽器に見られる日本人の物作り精神で終わるという、いつもながらのよくできた切り口と構成に時間を忘れて聞き入りました。また、ご自身の楽器演奏などの音楽体験を交えたお話にも説得力がありました。（会員）<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>★今回の教養講座もとてもよかったです。アルプスの少女ハイジのテーマ曲をかけてくださり、ありがとうございました。子どもの頃、ハイジのアニメが大好きでした。フレンチホルンと聞いて、もしかしたらと思いましたが、やはりあの出だしは、壮大なスイスの山の　風景にぴったりですね。（会友）<br> ★ザルツブルクが岩塩の街であることや、ウィーン・フィルが世界一である理由の数々。また、ウィンナ・ホルンやウィンナ・オーボエ。<br>ウィーン・フィルの音を決定づけているという楽器の絶滅の危機を日本の物作りが救ったというお話など、驚きの連続でした。今回も初めての知識をたくさん吸収できました。ありがとうございました。次回も期待しております。（会員）<br>★ウィーン・フィルがウィーン製の楽器を復元するときに、なぜヨーロッパのメーカーではなく日本を選んだのか。それについて、丸尾先生が日本の無個性や無署名性を挙げて説明されたのは、なるほどと納得しました。無個性は時に謙虚さとして認められるのですね。ヨーロッパの　音楽家たちの中にあった東洋人の偏見が、手先が器用で丁寧な日本の物作りへの称賛や感謝に変わっていくプロセスが興味深かった。今ウィーン・フィルのフルート全員が日本製を使っているのもその証拠かもしれませんね。（会友）<br>★ショパン・コンクールの上位のメンバーが全員中国がルーツと聞いて、コンクールや楽器作りなど、日本だけでなく中国もどんどん進出しているというお話が印象に残りました。ショパン・コンクールの公式ピアノ５台に日本のメーカーが２つ入っているのは、へえっと思いましたが、日本のピアノは１００年遅れていると言われて奮起した技術者たちの努力がうかがえました。ロシアの大ピアニストが認めたヤマハのピアノ。そして、日本の工場で作業員相手に開いたコンサートのお話が心に残ります。（会員）<br>★リヒテルとヤマハのエピソードを聞いて、以前私がヤマハに勤務していた時のことを思い出しました。当時は電子金属事業部に所属していました。そこは楽器製造には関係のない部門だったのですが、同じ工場内にピアノフレームを鋳造する部署があり、　さまざまな形状のフレームを生産していました。それが浜松近郊のピアノ組み立て工場へ送られて組み上げられていたと思います。ヤマハは良い意味であまり目先のことにとらわれず、じっくりと腰を据えてものづくりに取り組める環境にあると言えます。技術者に　とっては理想的な環境ですね。引き続き教養講座を担当されることと推察しますので、また次回の講座を楽しみにしています。　ありがとうございました。（会友）<br>★所用が終わって、ZOOM に参加した時は、リードオルガンの話をしている最中でした。オルガン奏者だった母を思い出しながら観ておりました。画像にあった黒っぽいオルガンは東京の実家にもありました。札幌に住んでいた時、母は北光教会のオルガン弾きでした。そこにあったオルガンの名前は忘れてしまいましたが、日本に３台しかないうちの１台でした。ヤマハのピアノを弾いたリヒテルは好きなピアニストの一人でした。カラヤン・ウィーン交響楽団とのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第１番の録音、大好きでした。リヒテルが　バイオリンのオイストラフ、チェロのロストロポービッチ、カラヤン・ベルリン・フィルと共演した　ベートーヴェンのトリプルコンチェルトも良いレコーディングです。（会員）　</h2><h2>(記:　丸尾豪司)　　　　　　　　　　</h2>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[異端児と自然の声　春初めてのカッコウを聴いて　ディーリアス]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58675660/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/edfa5515e39286ca367f9fa649ce41fc_f08b3a94716a08b5fe7af142f614f9d9.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58675660</id><summary><![CDATA[イギリスにケン・ラッセルという映画監督がいました。過激な演出と映像で性や死や美を表現したその作風は、作品が発表される都度、キリスト教会をはじめ各方面からの批判を受けました。しかし、その反面、凡庸でないそのスタイルを好む映画ファンも多く、今でもその作品はいささかも色あせていません。しいて言えば「２００１年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリックをもっと過激にしたというところでしょうか。ラッセルの作品には実在の人物や事件を取り上げたものが多く、中でもチャイコフスキー、リスト、マーラー、エルガーなど音楽家を主人公としたものが目立ちます。そんな彼が初期に作った映画に「ソング・オブ・サマー」があります。フレデリック・ディーリアスという音楽家についての作品でした。（初期の作だけあって、この監督にしては控えめな表現に終始しています）ディーリアスは２０世紀イギリスの作曲家で、代表作の一つに「春初めてのカッコウを聴いて」があります。森の霧を思わせる弦楽器の淡いハーモニーの奥から、ようやく訪れた春を知らせるかのようなカッコウの鳴き声を、クラリネットなどの管楽器が奏でていきます。長い冬が終わり、徐々に目覚めていく自然の様子を余すところなく描いたその味わいは、あたかも一幅の名画とも呼ぶべきもので、近代イギリス音楽のシンボル的な曲の一つともなっています。バンクーバー近郊の今にもマッチするかもしれません。　　  https://youtu.be/etyGCB6t_zg?list=OLAK5uy_lOBo2o-IOlPLnKyGVCt6iZCbjdAfxSl18　春初めてのカッコウを聴いて　こんな優しい曲を作る作曲家は、さぞ心優しく穏やかな気性の持ち主だろうと思いきや、このディーリアスもラッセルに負けないほどの音楽の異端児でした。楽聖ベートーヴェンの音楽にすら、それを揶揄したことからも分かるとおり、既成の価値観には否定的で、無神論者でもありました。彼の作品には「ミサ」や「レクイエム」といったカトリックの伝統的な礼拝音楽もありますが、その内容は、「神は死んだ」と叫んだニーチェの文章に音をつけたものや、礼拝の形式を全く無視したものなどで、これらが教会から異端として　　批判された点も、ケン・ラッセルと似ています。（レクイエムは第一次世界大戦で命を落とした兵士たちの魂に捧げられたもの）彼は、イギリスの裕福な事業家の息子として生まれながら、親の期待に反して音楽家の道を模索します。フロリダ、ライプツィッヒ、パリなど米独仏の大都会を転々とする紆余曲折の人生を歩みながら、その間、音楽家のグリーグ、画家のムンク、ゴーギャンといった当時の芸術に新しい風を送り込む人々との交流を通して、彼らから有形無形の影響を受けています。先述の映画「ソング・オブ・サマー」では、晩年のディーリアスの姿が描かれていますが、そこではフランスの閑静な村でひっそりと暮らす彼の自宅の　様子が再現されていました。室内は、ムンクの「叫び」やゴーギャンたちの絵が所せましと壁に貼られ、その中の「ネバーモア」というゴーギャンの絵画は、実はディーリアスが最初の所有者だったことが、近親者の証言からも分かっています。ディーリアスの音楽を愛する人たちは「ディーリアン」の名で呼ばれます。日本では１９７０年代にディーリアスのブームが起こり、ここでも多くのディーリアンが誕生しました。では最後にもう一曲、彼のオペラの中のダンス音楽「ラ・カリンダ」をご紹介します。　　　https://youtu.be/x6-UGlNyjn0?list=RDx6-UGlNyjn0　　　　ラ・カリンダ（画家でもあった妻による作曲者の肖像画付き）　　　　　　　　　　　　　　　　　この曲は、親に命じられていやいや赴いたフロリダのプランテーションで、黒人奴隷の時代から伝わる踊りの音楽に親しんだ彼の若き日の体験がもとになっています。そして、それがまさに音楽家への道を進むことを最終的に彼に決断させたのでした。さて、クセの塊のような人物の書いたこの曲の湧き上がるような素朴な楽しさを、あなたならどう評価されますか？]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-03-25T18:31:24+00:00</published><updated>2026-03-25T18:34:47+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<h2>イギリスにケン・ラッセルという映画監督がいました。過激な演出と映像で性や死や美を表現したその作風は、作品が発表される都度、キリスト教会をはじめ各方面からの批判を受けました。しかし、その反面、凡庸でないそのスタイルを好む映画ファンも多く、今でもその作品はいささかも色あせていません。しいて言えば「２００１年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリックをもっと過激にしたというところでしょうか。ラッセルの作品には実在の人物や事件を取り上げたものが多く、中でもチャイコフスキー、リスト、マーラー、エルガーなど音楽家を主人公としたものが目立ちます。そんな彼が初期に作った映画に「ソング・オブ・サマー」があります。フレデリック・ディーリアスという音楽家についての作品でした。（初期の作だけあって、この監督にしては控えめな表現に終始しています）<br>ディーリアスは２０世紀イギリスの作曲家で、代表作の一つに「春初めてのカッコウを聴いて」があります。森の霧を思わせる弦楽器の淡いハーモニーの奥から、ようやく訪れた春を知らせるかのようなカッコウの鳴き声を、クラリネットなどの管楽器が奏でていきます。長い冬が終わり、徐々に目覚めていく自然の様子を余すところなく描いたその味わいは、あたかも一幅の名画とも呼ぶべきもので、近代イギリス音楽のシンボル的な曲の一つともなっています。バンクーバー近郊の今にもマッチするかもしれません。　　  https://youtu.be/etyGCB6t_zg?list=OLAK5uy_lOBo2o-IOlPLnKyGVCt6iZCbjdAfxSl18　春初めてのカッコウを聴いて　<br>こんな優しい曲を作る作曲家は、さぞ心優しく穏やかな気性の持ち主だろうと思いきや、このディーリアスもラッセルに負けないほどの音楽の異端児でした。楽聖ベートーヴェンの音楽にすら、それを揶揄したことからも分かるとおり、既成の価値観には否定的で、無神論者でもありました。彼の作品には「ミサ」や「レクイエム」といったカトリックの伝統的な礼拝音楽もありますが、その内容は、「神は死んだ」と叫んだニーチェの文章に音をつけたものや、礼拝の形式を全く無視したものなどで、これらが教会から異端として　　批判された点も、ケン・ラッセルと似ています。（レクイエムは第一次世界大戦で命を落とした兵士たちの魂に捧げられたもの）<br>彼は、イギリスの裕福な事業家の息子として生まれながら、親の期待に反して音楽家の道を模索します。フロリダ、ライプツィッヒ、パリなど米独仏の大都会を転々とする紆余曲折の人生を歩みながら、その間、音楽家のグリーグ、画家のムンク、ゴーギャンといった当時の芸術に新しい風を送り込む人々との交流を通して、彼らから有形無形の影響を受けています。先述の映画「ソング・オブ・サマー」では、晩年のディーリアスの姿が描かれていますが、そこではフランスの閑静な村でひっそりと暮らす彼の自宅の　様子が再現されていました。室内は、ムンクの「叫び」やゴーギャンたちの絵が所せましと壁に貼られ、その中の「ネバーモア」というゴーギャンの絵画は、実はディーリアスが最初の所有者だったことが、近親者の証言からも分かっています。<br>ディーリアスの音楽を愛する人たちは「ディーリアン」の名で呼ばれます。日本では１９７０年代にディーリアスのブームが起こり、ここでも多くのディーリアンが誕生しました。では最後にもう一曲、彼のオペラの中のダンス音楽「ラ・カリンダ」をご紹介します。　　　</h2><h2>https://youtu.be/x6-UGlNyjn0?list=RDx6-UGlNyjn0　　　　ラ・カリンダ（画家でもあった妻による作曲者の肖像画付き）　　　　　　　　　　　　　　　　　</h2><h2>この曲は、親に命じられていやいや赴いたフロリダのプランテーションで、黒人奴隷の時代から伝わる踊りの音楽に親しんだ彼の若き日の体験がもとになっています。そして、それがまさに音楽家への道を進むことを最終的に彼に決断させたのでした。さて、クセの塊のような人物の書いたこの曲の湧き上がるような素朴な楽しさを、あなたならどう評価されますか？</h2>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[カナディアンロッキーの存在感]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58615630/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/131cec446d73b91798b11212ef2f8ba8_7ecb0a6fcc2e966465617d0840226920.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58615630</id><summary><![CDATA[大きな岩壁の真下に向かって毛鉤を投げるテリーアルバータでの記憶を戻してみたい。カナディアンロッキーの東側裾野は広い。アルバータからサスカチュワン、マニトバ州を過ぎて巨大なプレーリー（大草原地帯）はオンタリオ州の西端まで続く。古代には大きな海がカナダ中央に南から入り込んでいた。氷河時代後ロッキー山脈の東側の長い裾野が堆積土壌により肥沃な大草原地帯になって行った。エドモントンやカルガリーなどの都市の地下に大量の石油や天然ガスが発見されて以後カナダ西部の運命は変わった。単調な地形に住み360度水平線を見ていると夕日（特にプレーリーサンセットと言われ最も美しい景色である）と日の出、北空のオーロラ以外は地平線にまで大空が覆い日本では感じなかった大きな希望が当時ワクワク湧いた体感を記憶する。又、「生きがい」を感じる為に行ける大きな山々が車で数時間走れば在る。毎年新しいエネルギーを貰いにロッキーで山登り、キャンピングや山歩きや大自然の中で魚釣り等を楽しんだ。ロッキー山脈東側中腹に沿って延々と走る林業用のサービス皆無の道路に沿って森林を走り続けると観光地図に無い断崖絶壁や滝や渓流が現れる。その奥地で渓流の源に当たる高地に出会う。山から湧き出ている幅狭い浅い流れで毛鉤を投げ込むと魚が面白いほど餌に飛び付いて来る。魚達は個々に生活圏を確保し年間その場に住み着いているのである。そう言う穴場を見付けて毛鉤を岸に沿った日影に投げ込むのである。下流本流での釣りは流れがかなり速く強い上に川幅もある為玉石の上を長靴と胸まであるゴムズボンを履き渓流に逆らって注意深く穴場を求め一日中浅瀬に沿って歩きまわる。May fly（カゲロウ目属の水生昆虫） の羽虫がハッチする夕刻近くには水面の夕食を魚が浮上して跳ね上がる。十分研究し羽虫に似せた毛鉤を作り釣りをするのが楽しみなのだ。その毛鉤糸を正確に振りかぶり狙った位置に投げ入れる技が渓流釣りの妙味である。筆者は十分経験を積む年数は無かったのでベテラン友人の技術指導で人生の楽しみを味わった初心者である。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-02-25T17:36:05+00:00</published><updated>2026-03-07T17:38:24+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>大きな岩壁の真下に向かって毛鉤を投げるテリー</p><h2>アルバータでの記憶を戻してみたい。カナディアンロッキーの東側裾野は広い。アルバータからサスカチュワン、マニトバ州を過ぎて巨大なプレーリー（大草原地帯）はオンタリオ州の西端まで続く。古代には大きな海がカナダ中央に南から入り込んでいた。氷河時代後ロッキー山脈の東側の長い裾野が堆積土壌により肥沃な大草原地帯になって行った。エドモントンやカルガリーなどの都市の地下に大量の石油や天然ガスが発見されて以後カナダ西部の運命は変わった。<br>単調な地形に住み360度水平線を見ていると夕日（特にプレーリーサンセットと言われ最も美しい景色である）と日の出、北空のオーロラ以外は地平線にまで大空が覆い日本では感じなかった大きな希望が当時ワクワク湧いた体感を記憶する。<br>又、「生きがい」を感じる為に行ける大きな山々が車で数時間走れば在る。毎年新しいエネルギーを貰いにロッキーで山登り、キャンピングや山歩きや大自然の中で魚釣り等を楽しんだ。<br>ロッキー山脈東側中腹に沿って延々と走る林業用のサービス皆無の道路に沿って森林を走り続けると観光地図に無い断崖絶壁や滝や渓流が現れる。その奥地で渓流の源に当たる高地に出会う。<br>山から湧き出ている幅狭い浅い流れで毛鉤を投げ込むと魚が面白いほど餌に飛び付いて来る。魚達は個々に生活圏を確保し年間その場に住み着いているのである。そう言う穴場を見付けて毛鉤を岸に沿った日影に投げ込むのである。下流本流での釣りは流れがかなり速く強い上に川幅もある為玉石の上を長靴と胸まであるゴムズボンを履き渓流に逆らって注意深く穴場を求め一日中浅瀬に沿って歩きまわる。<br>May fly（カゲロウ目属の水生昆虫） の羽虫がハッチする夕刻近くには水面の夕食を魚が浮上して跳ね上がる。十分研究し羽虫に似せた毛鉤を作り釣りをするのが楽しみなのだ。その毛鉤糸を正確に振りかぶり狙った位置に投げ入れる技が渓流釣りの妙味である。<br>筆者は十分経験を積む年数は無かったのでベテラン友人の技術指導で人生の楽しみを味わった初心者である。</h2><p><br></p>
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			<p>思い出のフィッシングハット</p><p><br></p>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/a44e6d0c0ee11262344af5a1041c3473_0c963f89ae6ed96638d87ac24db87950.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>カゲロウ例</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[燃え尽きる灯と残された花]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58615625/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/1805b1e1b20e67b29890f334486ca32d_1227056f83aecddf4ce099aabc576d62.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58615625</id><summary><![CDATA[クリスマスが終わり、真っ赤に咲き誇っていたアマリリスも一輪を残し枯れていきました。高くのびていたキャンドルも短くなりました。そんな　宴の後の静寂を描いてみました。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-02-25T17:34:03+00:00</published><updated>2026-03-07T17:36:00+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/1805b1e1b20e67b29890f334486ca32d_1227056f83aecddf4ce099aabc576d62.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<h2>クリスマスが終わり、真っ赤に咲き誇っていたアマリリスも一輪を残し枯れていきました。</h2><h2>高くのびていたキャンドルも短くなりました。そんな　宴の後の静寂を描いてみました。</h2>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[カナダ版「威風堂々」？State Occasion]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58615623/"></link><link rel="enclosure" type="image/png" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/63edb7151d442fad4815553c62d2ae15_b70d9fd8bf18e6448cdcc3bc52c4e487.png"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58615623</id><summary><![CDATA[２月の祝日、ファミリー・デーはいかがお過ごしだったでしょうか。日本の祝日は、建国記念日（１１日）と天皇誕生日（２３日）です。わずか２８日しかない２月に祝日が２回もあるというのは、ちょっと得した気分でしょうか。家庭を大切にするという趣旨のファミリー・デーに対して、国家と関係する２つの祝日。偶然とはいえ、カナダと日本の対照がちょっと面白いなと思います。バンクーバーでは、日本領事館の主催になる天皇誕生日のレセプションが毎年開かれています。私もご招待に預かり参加させていただいたことがあります。その際、会場に据えられた日加の国旗を目の当たりにしながら、開式にあたって流された両国国歌、「君が代」と「オー・カナダ」によって、式典の雰囲気が一気に高まった記憶があります。君が代クロニクル「君が代」の歌詞にはもとになった和歌があります。「わが君は　千代(ちよ)に八千代(やちよ)に　細(さざ)れ石の　巌(いわを)となりて　苔のむすまで」という読み人知らず（作者不明）の古い歌です。これは平安時代の「古今和歌集」（９０５年）に収められています。歌の意味は「私の（大切な）あなた様には末永く健在でいてほしい。砂粒が岩となり、さらにそれに苔が生えるほどの長い間（元気でいてほしい）」というものです。内容から考えて、恋愛歌ではないかという説もありました。この歌は公家（貴族）たちに愛され、やがて文学作品の中でもよく引用されるなどして、町人や農民の間でも広く知られるようになっていきます。そうしているうちに「わが君」という特定の個人を指す言葉が「君が代」という、為政者の治める時代を表すように変化していきました。幕末になって開国を迎えた日本は欧米列強との軍事力や文化の差に驚きと脅威を感じていました。やがてイギリス皇太子が来日して明治天皇と謁見する際、イギリス国歌と並んで演奏すべき曲を持たなかった日本は、新政府の威信をかけて大急ぎで国歌作成に乗り出します。歌詞と　して選ばれたのが、江戸時代まで広く歌い継がれてきたこの歌でした。作曲は、新政府の依頼によって、その皇太子に随行していたイギリス人軍楽隊長によるものでした。それは現在の君が代とは全く異なるメロディです。（楽譜や録音も存在します。）その後、日本に赴任していた海軍軍楽教師のドイツ人が、宮内庁から提供された日本古来の音楽の楽譜をもとに、軍楽隊用に編曲したものが今の「君が代」の原型となりました。世界には、第二の国歌と呼ばれる音楽を持っている国がいくつかあります。昔から自国民に親しまれてきた曲です。以前この巻頭言でご紹介した曲の中では、オーストリアの「美しく青きドナウ」（ヨハン・シュトラウス）やフィンランドの「フィンランディア賛歌」（シベリウス）などが、それぞれの国の第二の国歌と呼ばれています。　アメリカは「星条旗よ永遠なれ」（スーザ）がそれにあたります。日本にはそれに該当する音楽はないようです。　　https://youtu.be/V-CCQ_p6XHE?list=RDV-CCQ_p6XHE　　星条旗よ永遠なれ　バーンスタイン指揮　　　　　　　カナダ国歌の「オー・カナダ」は、もともとケベック国の建国記念日を祝う式典のために作られた曲で、当初はフランス語の歌詞しかなかったのですが、後に英語の詞もつけられ現在に至っています。トロント出身のロバート・ファーノンの「State occasion」という行進曲にはブリティッシュな雰囲気があって、かつてカナダの宗主国だったイギリスの第二の国歌といわれる「威風堂々」（エルガー）を思わせます。ファーノンはジャズトランぺッターとして活躍し、ハリウッドの映画音楽の作曲などでも成功した人物です。https://youtu.be/uN2IxZp9x6k?list=RDuN2IxZp9x6k　State Occasion（式典行進曲）作曲者の指揮]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-02-25T17:29:31+00:00</published><updated>2026-03-07T17:41:37+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>２月の祝日、ファミリー・デーはいかがお過ごしだったでしょうか。日本の祝日は、建国記念日（１１日）と天皇誕生日（２３日）です。わずか２８日しかない２月に祝日が２回もあるというのは、ちょっと得した気分でしょうか。家庭を大切にするという趣旨のファミリー・デーに対して、国家と関係する２つの祝日。偶然とはいえ、カナダと日本の対照がちょっと面白いなと思います。<br>バンクーバーでは、日本領事館の主催になる天皇誕生日のレセプションが毎年開かれています。私もご招待に預かり参加させていただいたことがあります。その際、会場に据えられた日加の国旗を目の当たりにしながら、開式にあたって流された両国国歌、「君が代」と「オー・カナダ」によって、式典の雰囲気が一気に高まった記憶があります。</h2><h2><br><b>君が代クロニクル</b><br>「君が代」の歌詞にはもとになった和歌があります。「<b>わが君は</b>　千代(ちよ)に八千代(やちよ)に　細(さざ)れ石の　巌(いわを)となりて　苔のむすまで」という読み人知らず（作者不明）の古い歌です。これは平安時代の「古今和歌集」（９０５年）に収められています。歌の意味は「私の（大切な）あなた様には末永く健在でいてほしい。砂粒が岩となり、さらにそれに苔が生えるほどの長い間（元気でいてほしい）」というものです。内容から考えて、恋愛歌ではないかという説もありました。この歌は公家（貴族）たちに愛され、やがて文学作品の中でもよく引用されるなどして、町人や農民の間でも広く知られるようになっていきます。そうしているうちに「わが君」という特定の個人を指す言葉が「君が代」という、為政者の治める時代を表すように変化していきました。幕末になって開国を迎えた日本は欧米列強との軍事力や文化の差に驚きと脅威を感じていました。やがてイギリス皇太子が来日して明治天皇と謁見する際、イギリス国歌と並んで演奏すべき曲を持たなかった日本は、新政府の威信をかけて大急ぎで国歌作成に乗り出します。歌詞と　して選ばれたのが、江戸時代まで広く歌い継がれてきたこの歌でした。作曲は、新政府の依頼によって、その皇太子に随行していたイギリス人軍楽隊長によるものでした。それは現在の君が代とは全く異なるメロディです。（楽譜や録音も存在します。）その後、日本に赴任していた海軍軍楽教師のドイツ人が、宮内庁から提供された日本古来の音楽の楽譜をもとに、軍楽隊用に編曲したものが今の「君が代」の原型となりました。<br>世界には、第二の国歌と呼ばれる音楽を持っている国がいくつかあります。昔から自国民に親しまれてきた曲です。以前この巻頭言でご紹介した曲の中では、オーストリアの「美しく青きドナウ」（ヨハン・シュトラウス）やフィンランドの「フィンランディア賛歌」（シベリウス）などが、それぞれの国の第二の国歌と呼ばれています。　</h2><h2>アメリカは「<b>星条旗よ永遠なれ</b>」（<b>スーザ</b>）がそれにあたります。日本にはそれに該当する音楽はないようです。　　</h2><h2>https://youtu.be/V-CCQ_p6XHE?list=RDV-CCQ_p6XHE　　星条旗よ永遠なれ　バーンスタイン指揮　　　　　　　<br>カナダ国歌の「オー・カナダ」は、もともとケベック国の建国記念日を祝う式典のために作られた曲で、当初はフランス語の歌詞しかなかったのですが、後に英語の詞もつけられ現在に至っています。トロント出身の<b>ロバート・ファーノン</b>の「<b>State occasion</b>」という行進曲にはブリティッシュな雰囲気があって、かつてカナダの宗主国だったイギリスの第二の国歌といわれる「威風堂々」（エルガー）を思わせます。ファーノンはジャズトランぺッターとして活躍し、ハリウッドの映画音楽の作曲などでも成功した人物です。</h2><h2>https://youtu.be/uN2IxZp9x6k?list=RDuN2IxZp9x6k　State Occasion（式典行進曲）作曲者の指揮</h2>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[市松角皿]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58490644/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/f08cbd2bf16601ab661461f482322a1a_92cf45b962ea83af4a937cd0906d2320.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58490644</id><summary><![CDATA[ お正月に重箱に入らないオードブルを盛る器を、と作った市松模様の角皿です。白粘土を板状にして組み立てて、乾燥させ素焼きをします。その後に釉薬を掛けて本焼きします。白い釉薬の上に緑色の顔料で市松、外側二つの側面には変化を付ける為に青い顔料(日本では呉須)で渦巻を描きました。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-01-26T01:01:14+00:00</published><updated>2026-01-28T01:03:12+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>&nbsp;お正月に重箱に入らないオードブルを盛る器を、と作った市松模様の角皿です。<br>白粘土を板状にして組み立てて、乾燥させ素焼きをします。<br>その後に釉薬を掛けて本焼きします。白い釉薬の上に緑色の顔料で市松、外側二つの側面には変化を付ける為に青い顔料(日本では呉須)で渦巻を描きました。</h2>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[この世で最もハッピーな曲　ブランデンブルク協奏曲　バッハ]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58490606/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/0d7f3d602cf1a00c6d1bb440e1e902f0_1d734b2765b840b07ab2635c129f1991.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58490606</id><summary><![CDATA[あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今回はおめでたい曲をご紹介します。イギリスにイモージェン・ホルストという女性がいました。音楽学者として知られた人物です。彼女が「この世で最も幸福な音楽の一つ」として挙げていたのが、ブランデンブルク協奏曲第４番です。ブランデンブルク協奏曲は、バッハ（１８世紀ドイツ）が作曲した１番から６番までの６曲１セットの作品です。その中の第４番は、独奏バイオリンと２本のリコーダー（縦笛）と弦楽オーケストラのための曲で、３つの楽章から成ります。縦笛パートは横笛（フルート）でもよく演奏されます。最も幸福な音楽と言いつつも、第２楽章はなぜか短調で書かれていますが、バロック時代の短調の音楽は、作品に陰影をつけるために使われることが多く、悲しみや嘆きといった感情や暗い物語を思い起こさせることが目的でない場合が多かったのです。この曲の場合は、明るく闊達な両端楽章を際立たせるためのアクセントとしての短調の楽章と考えると分かりやすいと思います。https://youtu.be/tp_WeHUKoXM?list=RDtp_WeHUKoXM　　ブランデンブルク協奏曲第４番　　指揮　クラウディオ・アバド　協奏曲という曲種で最も多いのが、バイオリン協奏曲とピアノ協奏曲です。どちらもそれぞれの楽器を独奏とした作品です。ただ、ブランデンブルク協奏曲の「ブランデンブルク」は楽器の名前ではなく、ドイツの地名のことで、その土地に関連した協奏曲集という意味です。バッハより後世の人々が、バイオリンの他にホルンやトランペット、チェンバロやフルートなど曲ごとに独奏楽器が変わるこの協奏曲６曲を総括して、この名で呼ぶようになったのがその起源です。「音楽の父」バッハに対して、かつて「音楽の母」という、男なのにちょっと無理のあるニックネームで呼ばれていたのが、バッハと同年生まれで、同じドイツ人だったヘンデルです。彼はオルガンの名手だったため、多くのオルガン協奏曲を残しています。その中から幸福感あふれる第４番作品４の４をご紹介します。バッハもヘンデルも、やたらと４のつく作品ばかりの紹介で、新年早々、縁起が悪いと思われるかもしれませんが、ヨーロッパの作品ですので、４という数字の「しばり」はありませんでした。余談ですが、昨年　亡くなった国民的ヒーロー、長嶋茂雄が生涯に放ったホームランは４４４本ですので、４が必ずしも悪い数とも言えないでしょう。　なお、ヘンデルのこの作品は、第２楽章も明るい長調で書かれていますが、その透明で天真爛漫な響きには格別の味があります。https://youtu.be/nJK2AMCPa2k?list=RDnJK2AMCPa2k　　　ヘンデル　オルガン協奏曲　作品４の４　オルガン　鈴木優人　ヘンデルのハープ協奏曲も、とてもハッピーな音楽です。この曲は元々オルガン協奏曲なのですが、オルガンの代わりにハープを　使うことがよくあります。ハープ独奏になると華やかさが増しますので、今はまだ真冬ですが、ひと足早く桜の花の舞いでも見るような気分を味わえるかもしれません。　　https://youtu.be/nYsGn7Xeo40?list=RDnYsGn7Xeo40　　ヘンデル　ハープ協奏曲　冒頭で名前を挙げたイモージェン・ホルストは、２０世紀イギリスを代表する作曲家グスターブ・ホルストの一人娘でした。彼の　代表作に組曲「惑星」があります。天文学的な興味よりも、当時彼が心惹かれていた占星術的な発想で書かれた作品です。太陽系の惑星たちを描いた全曲の中で最も人気のあるのが「木星」ですが、作曲者はこの曲を「人生をエンジョイする太って陽気な人」と呼び、楽譜には「喜びを運ぶ者」という副題を書き込んでいます。曲の中間部のメロディは、平原綾香の「ジュピター」の原曲となりました。https://youtu.be/IWDhKwUyaw8?list=RDIWDhKwUyaw8　　ホルスト「木星」　カラヤン　ウィーン・フィル　　　　　　　　　　　このカラヤンの録音は、日本で放送されていた「日曜映画劇場」のエンディングテーマとして、中間部のメロディが使われていました。日本人の大半がこの曲を知らなかった時代ですが、曲名を訪ねる電話が放送局によくかかっていたそうです。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-01-26T00:50:18+00:00</published><updated>2026-01-28T00:55:22+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今回はおめでたい曲をご紹介します。イギリスにイモージェン・ホルストという女性がいました。音楽学者として知られた人物です。彼女が「この世で最も幸福な音楽の一つ」として挙げていたのが、ブランデンブルク協奏曲第４番です。ブランデンブルク協奏曲は、バッハ（１８世紀ドイツ）が作曲した１番から６番までの６曲１セットの作品です。その中の第４番は、独奏バイオリンと２本のリコーダー（縦笛）と弦楽オーケストラのための曲で、３つの楽章から成ります。縦笛パートは横笛（フルート）でもよく演奏されます。最も幸福な音楽と言いつつも、第２楽章はなぜか短調で書かれていますが、バロック時代の短調の音楽は、作品に陰影をつけるために使われることが多く、悲しみや嘆きといった感情や暗い物語を思い起こさせることが目的でない場合が多かったのです。この曲の場合は、明るく闊達な両端楽章を際立たせるためのアクセントとしての短調の楽章と考えると分かりやすいと思います。<br>https://youtu.be/tp_WeHUKoXM?list=RDtp_WeHUKoXM　　ブランデンブルク協奏曲第４番　　指揮　クラウディオ・アバド　<br>協奏曲という曲種で最も多いのが、バイオリン協奏曲とピアノ協奏曲です。どちらもそれぞれの楽器を独奏とした作品です。ただ、ブランデンブルク協奏曲の「ブランデンブルク」は楽器の名前ではなく、ドイツの地名のことで、その土地に関連した協奏曲集という意味です。バッハより後世の人々が、バイオリンの他にホルンやトランペット、チェンバロやフルートなど曲ごとに独奏楽器が変わるこの協奏曲６曲を総括して、この名で呼ぶようになったのがその起源です。<br>「音楽の父」バッハに対して、かつて「音楽の母」という、男なのにちょっと無理のあるニックネームで呼ばれていたのが、バッハと同年生まれで、同じドイツ人だったヘンデルです。彼はオルガンの名手だったため、多くのオルガン協奏曲を残しています。その中から幸福感あふれる第４番作品４の４をご紹介します。バッハもヘンデルも、やたらと４のつく作品ばかりの紹介で、新年早々、縁起が悪いと思われるかもしれませんが、ヨーロッパの作品ですので、４という数字の「しばり」はありませんでした。余談ですが、昨年　亡くなった国民的ヒーロー、長嶋茂雄が生涯に放ったホームランは４４４本ですので、４が必ずしも悪い数とも言えないでしょう。　なお、ヘンデルのこの作品は、第２楽章も明るい長調で書かれていますが、その透明で天真爛漫な響きには格別の味があります。https://youtu.be/nJK2AMCPa2k?list=RDnJK2AMCPa2k　　　ヘンデル　オルガン協奏曲　作品４の４　オルガン　鈴木優人　<br>ヘンデルのハープ協奏曲も、とてもハッピーな音楽です。この曲は元々オルガン協奏曲なのですが、オルガンの代わりにハープを　使うことがよくあります。ハープ独奏になると華やかさが増しますので、今はまだ真冬ですが、ひと足早く桜の花の舞いでも見るような気分を味わえるかもしれません。　　<br>https://youtu.be/nYsGn7Xeo40?list=RDnYsGn7Xeo40　　ヘンデル　ハープ協奏曲　<br>冒頭で名前を挙げたイモージェン・ホルストは、２０世紀イギリスを代表する作曲家グスターブ・ホルストの一人娘でした。彼の　代表作に組曲「惑星」があります。天文学的な興味よりも、当時彼が心惹かれていた占星術的な発想で書かれた作品です。太陽系の惑星たちを描いた全曲の中で最も人気のあるのが「木星」ですが、作曲者はこの曲を「人生をエンジョイする太って陽気な人」と呼び、楽譜には「喜びを運ぶ者」という副題を書き込んでいます。曲の中間部のメロディは、平原綾香の「ジュピター」の原曲となりました。<br>https://youtu.be/IWDhKwUyaw8?list=RDIWDhKwUyaw8　　ホルスト「木星」　カラヤン　ウィーン・フィル　　　　　　　　　　　<br>このカラヤンの録音は、日本で放送されていた「日曜映画劇場」のエンディングテーマとして、中間部のメロディが使われていました。日本人の大半がこの曲を知らなかった時代ですが、曲名を訪ねる電話が放送局によくかかっていたそうです。</h2>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026年（令和８年）桜楓会総会・新年会開催]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58490630/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/5d2c7252c737233055ead0cdb66ff26d_92307e2ff7480496e3977cfeeece103c.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58490630</id><summary><![CDATA[桜楓会総会：１月17日（土）正午から、桜楓会総会が日系センターで開催され、49名の会員が参加されました。総会成立条件である会員総数148名の10％以上となりましたので、総会が成立し、下記のとおり議事が進行されました。１　松尾会長の総会成立宣言と挨拶２　昨年度行われた桜楓会行事とその収支。３　2025年に開催できた行事は、年次総会・新年会、歩こう会、ゴルフ大会、教養講座、40周年記念大会、リメンバランス・デーへの参加と献花など８回ありました。延べ参加人数は、会員196名、会友他41名、計237名、行事収支は年間59.37ドルの赤字となりました。４　上記企画行事収支を含む桜楓会の総合収支。今期への繰越金は、昨年度より229.93ドル増え、5,638.24ドルとなりました。５　今年の行事予定。今年も歩こう会、ゴルフ大会、教養講座等を予定しております。多くの会員の皆様の参加をお待ちしています。以上の内容が承認され2026年の総会は終了いたしました。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2025年思い出のアルバムを上映しましたので覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=zCVrXUiZb7Iまた、総会・新年会の写真とビデオは、https://photos.google.com/u/1/album/AF1QipMBdrtiVtDaiqP07KCfsfkTE98kwYt15KBDmDAgからご覧ください。　（写真：ビクター山崎さん　記：キャッツ幸子）桜楓会新年会：年次総会に続いて行われた恒例の新年会は、松尾会長の挨拶で始まり、ついで在バンクーバー日本国総領事高橋氏より祝辞をいただきました。そして、参加されている男女それぞれ会員最年長のポール安藤氏と文子夫人による乾杯発声を経て開幕しました。昨年同様、竹屋寿司のお節弁当は、黒豆、田作り、お煮しめなどお馴染みのお節に加え、大ぶりの栗をあしらったお赤飯と自家製のどら焼きも付いた豪華版でした。吟醸酒やビールと共に各テーブルでは賑やかな歓談が続きました。食後には、日本語を学んでいる学生たちを中心に結成されたダンスグループ、World Soran!　による元気一杯の踊りが披露され、「牛深ハイヤ節」、「ソーラン節」、K-Popのヒット曲に振り付けた「What is Love?」さらに「東京音頭」ではリーダーの指導のもと、桜楓会会員も参加し、会場いっぱいに動き回りました。余興の後は、午年生まれの年男・年女５名にプレゼントの花が贈られ、続いてお年玉が当たる抽選会となりました。松尾会長が引く名札を司会の鹿内役員が読み上げ、幸運な17名が10ドルから50ドルのお年玉を受け取りました。天候に恵まれ、50名が参加した今年の新年会は午後３時に閉会しましたが、その後も会場では名残惜しく旧交を暖める姿が多く見られました。（写真：ビクター山崎さん、桜楓会役員　記：松本明子）]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2026-01-18T01:00:20+00:00</published><updated>2026-01-28T01:00:49+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2><b>桜楓会総会</b>：<br>１月17日（土）正午から、桜楓会総会が日系センターで開催され、49名の会員が参加されました。総会成立条件である会員総数148名の10％以上となりましたので、総会が成立し、下記のとおり議事が進行されました。<br>１　松尾会長の総会成立宣言と挨拶<br>２　昨年度行われた桜楓会行事とその収支。<br>３　2025年に開催できた行事は、年次総会・新年会、歩こう会、ゴルフ大会、教養講座、40周年記念大会、リメンバランス・デーへの参加と献花など８回ありました。延べ参加人数は、会員196名、会友他41名、計237名、行事収支は年間59.37ドルの赤字となりました。<br>４　上記企画行事収支を含む桜楓会の総合収支。<br>今期への繰越金は、昨年度より229.93ドル増え、5,638.24ドルとなりました。<br>５　今年の行事予定。<br>今年も歩こう会、ゴルフ大会、教養講座等を予定しております。多くの会員の皆様の参加をお待ちしています。<br>以上の内容が承認され2026年の総会は終了いたしました。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>2025年思い出のアルバムを上映しましたので覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=zCVrXUiZb7I<br>また、総会・新年会の写真とビデオは、<br>https://photos.google.com/u/1/album/AF1QipMBdrtiVtDaiqP07KCfsfkTE98kwYt15KBDmDAgからご覧ください。<br>　（写真：ビクター山崎さん　記：キャッツ幸子）<br><b><br></b></h2><h2><p><b>桜楓会新年会</b>：</p>年次総会に続いて行われた恒例の新年会は、松尾会長の挨拶で始まり、ついで在バンクーバー日本国総領事高橋氏より祝辞をいただきました。そして、参加されている男女それぞれ会員最年長のポール安藤氏と文子夫人による乾杯発声を経て開幕しました。昨年同様、竹屋寿司のお節弁当は、黒豆、田作り、お煮しめなどお馴染みのお節に加え、大ぶりの栗をあしらったお赤飯と自家製のどら焼きも付いた豪華版でした。<br>吟醸酒やビールと共に各テーブルでは賑やかな歓談が続きました。食後には、日本語を学んでいる学生たちを中心に結成されたダンスグループ、World Soran!　による元気一杯の踊りが披露され、「牛深ハイヤ節」、「ソーラン節」、K-Popのヒット曲に振り付けた「What is Love?」さらに「東京音頭」ではリーダーの指導のもと、桜楓会会員も参加し、会場いっぱいに動き回りました。<br>余興の後は、午年生まれの年男・年女５名にプレゼントの花が贈られ、続いてお年玉が当たる抽選会となりました。松尾会長が引く名札を司会の鹿内役員が読み上げ、幸運な17名が10ドルから50ドルのお年玉を受け取りました。<br>天候に恵まれ、50名が参加した今年の新年会は午後３時に閉会しましたが、その後も会場では名残惜しく旧交を暖める姿が多く見られました。<br>（写真：ビクター山崎さん、桜楓会役員　記：松本明子）</h2>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[残照 　　油彩]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58371526/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/2576f1484b7faa6e9dcdee89f0e3056e_ca3cef941c2602213a801e93d782a58e.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58371526</id><summary><![CDATA[今　まさに　残照の中を歩いている自分の立ち位置を描いてみました。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-12-26T06:02:30+00:00</published><updated>2026-01-03T06:04:22+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>今　まさに　残照の中を歩いている自分の立ち位置を描いてみました。</h2>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[Xmasとロッカーたち　♪今年彼らが受け取る最高の贈り物は命だ]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58371520/"></link><link rel="enclosure" type="image/png" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/022b2ba6988abe0535fa2a3914d538a9_6e62cdee3259a6251d5393ec7e313e6d.png"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58371520</id><summary><![CDATA[今日はクリスマス。同じキリスト教でも、他の日をクリスマスとする宗派や教義もあるが、そのほとんどが冬に救世主の誕生日を祝うようだ。キリスト教国ではないものの、昔からずっとクリスマスを祝ってきた日本では、サンタクロースがギフトを運んでくることが主なスタイルで、欧米のように、ミルクやクッキーを置いてサンタさんの労に報いる家庭は、決して多いとはいえないだろう。それと同じように、クリスマスシーズンになるとさかんに行われるドネーションの類も、歳末募金などはあっても、日本ではやはり少ないのではないだろうか。その昔、欧米のクリスマスでは当然のようになっている「富める者から貧しき者へ」の精神を具体的に歌にしたロックミュージシャンたちがいた。スティング、ワム、ボーイ・ジョージ、ボノ、デュランデュランなどのイギリスの大物アーティストたちである。彼らは、その名も「バンドエイド」というグループを結成し、一つの曲を作った。干ばつによる深刻な飢餓に苦しむエチオピアに食料を届けるために。「彼らはクリスマスを知っているのか　Do they know it's Christmas?」である。♪クリスマスだ。世界に手をさしのべよう。となりの人のために祈ろう。雨も降らず何も育たないアフリカで、彼らは今日がクリスマスだと知っているのだろうか。さあ、みんなのために乾杯しよう。食料を世界に届けよう。彼らにクリスマスを知らせよう。今年、彼らが　受け取る最高の贈り物は命だ。　（１９８４年発表　売り上げはアフリカに届けられた）https://youtu.be/3Y7xSRzhVi4?list=RD3Y7xSRzhVi4　彼らはクリスマスを知っているのか　日本語訳詞つきビデオその翌年、これに対抗するようにアメリカでも、やはりアフリカの飢餓救済を目的とした歌が発表された。「We are the world」である。メンバーはスティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、ポール・サイモン、ライオネル・リッチー、レイ・チャールズ、ボブ・ディランシンディ・ローパー、ビリー・ジョエルなど、やはりそうそうたる面々だった。一人で何億でも稼げる彼らが一堂に介して、ほとんど無償で歌い上げたこの曲も、チャリティソングの名作として今も聴かれ続けている。♪We are the world   We are the children　私たちは世界の一部　私たちは神の子ども多くの日本人が想像する以上に、キリスト教の影響の強い文化のアメリカだけあって、歌詞にも宗教色が濃く表れている。https://youtu.be/bcimsd-5x_U?list=RDbcimsd-5x_U　　We are the world　日本語訳詞つきビデオユニセフ（国連児童基金）の親善大使として、エチオピアはもちろん、数多くの貧困国や紛争地域などを訪れて、その惨状を世界に発信し続けた黒柳徹子は、ある著作の中で次のように述べている。「人は他人のためにちょっと何かをするために生まれてくる、と言ったフランスの詩人がいますが、ボランティアについて、私はこの言葉を大切にしています。」「ちょっと何かをすること」とクリスマス。浮かんでくるのは「そう。今日はクリスマス。君はこれまでに何をした？」で始まるジョン・レノンとオノ・ヨーコによる「Happy Christmas」ではないだろうか。１９７１年、つまりビートルズ解散の翌年に発表されたこの歌は、今ではすっかりクリスマス・ソングとして定着している。しかし、副題が「War is over」となっているのが意味深長である。https://youtu.be/pTvZ-Fxuu74?list=RDpTvZ-Fxuu74　 Happy Christmas～War is over　ジョン・レノン＆オノ・ヨーコ１９８０年、ジョンが一人のファンによる凶弾に倒れ世を去った時、まことしやかに暗殺説がささやかれたことがある。根拠となったのは、アメリカ移住後に反戦活動や政治的発言を繰り返した彼に対して、「好ましからぬ人物」として、アメリカ政府から国外への退去命令が下されたことが挙げられる。（退去の表向きの理由はイギリス時代のマリファナ所持だったが、この命令を不服とした彼は法廷で争い、１９７６年にグリーンカード～永住権を勝ち得ている。）また「ハッピー・クリスマス」の同年に発表した「イマジン」でも、平和な未来を夢見る歌詞の中に宗教を否定する一文があり、それがキリスト教徒との結びつきの強いアメリカの政治家たちの逆鱗に触れたという噂もあった。（暗殺説は後に否定されている）https://youtu.be/wARpk54fv8U?list=RDwARpk54fv8U　Imagine　ジョン・レノン　日本語訳詞つき平和主義者のジョン・レノンが世を去った１２月８日は、日本時間の９日だが、その前日は太平洋戦争の始まりとなった真珠湾攻撃の日であることに、偶然ながら、なにやら因縁めいたものを感じる人たちも一部にはいた。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-12-26T05:59:01+00:00</published><updated>2026-01-03T06:02:24+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<h2>今日はクリスマス。同じキリスト教でも、他の日をクリスマスとする宗派や教義もあるが、そのほとんどが冬に救世主の誕生日を祝うようだ。キリスト教国ではないものの、昔からずっとクリスマスを祝ってきた日本では、サンタクロースがギフトを運んでくることが主なスタイルで、欧米のように、ミルクやクッキーを置いてサンタさんの労に報いる家庭は、決して多いとはいえないだろう。それと同じように、クリスマスシーズンになるとさかんに行われるドネーションの類も、歳末募金などはあっても、日本ではやはり少ないのではないだろうか。<br>その昔、欧米のクリスマスでは当然のようになっている「富める者から貧しき者へ」の精神を具体的に歌にしたロックミュージシャンたちがいた。スティング、ワム、ボーイ・ジョージ、ボノ、デュランデュランなどのイギリスの大物アーティストたちである。彼らは、その名も「バンドエイド」というグループを結成し、一つの曲を作った。干ばつによる深刻な飢餓に苦しむエチオピアに食料を届けるために。「彼らはクリスマスを知っているのか　Do they know it's Christmas?」である。<br>♪クリスマスだ。世界に手をさしのべよう。となりの人のために祈ろう。雨も降らず何も育たないアフリカで、彼らは今日がクリスマスだと知っているのだろうか。さあ、みんなのために乾杯しよう。食料を世界に届けよう。彼らにクリスマスを知らせよう。今年、彼らが　受け取る最高の贈り物は命だ。　（１９８４年発表　売り上げはアフリカに届けられた）<br>https://youtu.be/3Y7xSRzhVi4?list=RD3Y7xSRzhVi4　彼らはクリスマスを知っているのか　日本語訳詞つきビデオ<br>その翌年、これに対抗するようにアメリカでも、やはりアフリカの飢餓救済を目的とした歌が発表された。「We are the world」である。メンバーはスティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、ポール・サイモン、ライオネル・リッチー、レイ・チャールズ、ボブ・ディランシンディ・ローパー、ビリー・ジョエルなど、やはりそうそうたる面々だった。一人で何億でも稼げる彼らが一堂に介して、ほとんど無償で歌い上げたこの曲も、チャリティソングの名作として今も聴かれ続けている。<br>♪We are the world   We are the children　私たちは世界の一部　私たちは神の子ども<br>多くの日本人が想像する以上に、キリスト教の影響の強い文化のアメリカだけあって、歌詞にも宗教色が濃く表れている。<br>https://youtu.be/bcimsd-5x_U?list=RDbcimsd-5x_U　　We are the world　日本語訳詞つきビデオ<br>ユニセフ（国連児童基金）の親善大使として、エチオピアはもちろん、数多くの貧困国や紛争地域などを訪れて、その惨状を世界に発信し続けた黒柳徹子は、ある著作の中で次のように述べている。「人は他人のためにちょっと何かをするために生まれてくる、と言ったフランスの詩人がいますが、ボランティアについて、私はこの言葉を大切にしています。」<br>「ちょっと何かをすること」とクリスマス。浮かんでくるのは「そう。今日はクリスマス。君はこれまでに何をした？」で始まるジョン・レノンとオノ・ヨーコによる「Happy Christmas」ではないだろうか。１９７１年、つまりビートルズ解散の翌年に発表されたこの歌は、今ではすっかりクリスマス・ソングとして定着している。しかし、副題が「War is over」となっているのが意味深長である。<br>https://youtu.be/pTvZ-Fxuu74?list=RDpTvZ-Fxuu74　 Happy Christmas～War is over　ジョン・レノン＆オノ・ヨーコ<br>１９８０年、ジョンが一人のファンによる凶弾に倒れ世を去った時、まことしやかに暗殺説がささやかれたことがある。根拠となったのは、アメリカ移住後に反戦活動や政治的発言を繰り返した彼に対して、「好ましからぬ人物」として、アメリカ政府から国外への退去命令が下されたことが挙げられる。（退去の表向きの理由はイギリス時代のマリファナ所持だったが、この命令を不服とした彼は法廷で争い、１９７６年にグリーンカード～永住権を勝ち得ている。）<br>また「ハッピー・クリスマス」の同年に発表した「イマジン」でも、平和な未来を夢見る歌詞の中に宗教を否定する一文があり、それがキリスト教徒との結びつきの強いアメリカの政治家たちの逆鱗に触れたという噂もあった。（暗殺説は後に否定されている）<br>https://youtu.be/wARpk54fv8U?list=RDwARpk54fv8U　Imagine　ジョン・レノン　日本語訳詞つき<br>平和主義者のジョン・レノンが世を去った１２月８日は、日本時間の９日だが、その前日は太平洋戦争の始まりとなった真珠湾攻撃の日であることに、偶然ながら、なにやら因縁めいたものを感じる人たちも一部にはいた。</h2>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/022b2ba6988abe0535fa2a3914d538a9_6e62cdee3259a6251d5393ec7e313e6d.png?width=960" width="100%">
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[空想庭園　➖　リウィアの別荘壁画]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58371502/"></link><link rel="enclosure" type="image/png" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/bf40baf1d2dd5d2233923d505d69e31b_d65dbe9c01c808423acd06e6bb1653f2.png"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58371502</id><summary><![CDATA[帝政ローマ最初の皇帝アウグストゥスの妃リウィアは、ローマ市街の北15キロの集落プリマ・ポルタに広大なヴィラを所有していました。1863年、僅かな遺構を頼りに始まった発掘調査の際に、見事な壁画で飾られた地下室が発見されました。その後壁画は壁から剥がされ、修復を経て現在はローマ国立博物館 (Museo Nazionale Romano Palazzo Massimo alle Terme) に収蔵展示されています（推定制作年代は紀元前39 -38年）。5.9m x  11.7mの矩形の部屋の壁には、出入り口を除き、庭園の風景が連続して一面に描かれています。おそらくは客人をもてなす場であり、夏の暑さを避けるため地下に作られたと考えられています。植物の描写は極めて正確かつ細密で、しかも開花や結実の時期が本来異なる植物が全て満開、果実はたわわに実り、これが現実の風景でないことは明らかです。壁画には単なる室内装飾以上の意味があるとみられ、例えばアウグストゥス帝が実現した「パクス・ロマーナ」（ローマの平和）の祈念、リウィアとの婚礼の祝い、またはローマの神々の象徴、等の仮説が研究者たちから提唱されています。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-12-26T05:54:11+00:00</published><updated>2026-01-03T05:58:45+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<h2>帝政ローマ最初の皇帝アウグストゥスの妃リウィアは、ローマ市街の北15キロの集落プリマ・ポルタに広大なヴィラを所有していました。1863年、僅かな遺構を頼りに始まった発掘調査の際に、見事な壁画で飾られた地下室が発見されました。その後壁画は壁から剥がされ、修復を経て現在はローマ国立博物館 (Museo Nazionale Romano Palazzo Massimo alle Terme) に収蔵展示されています（推定制作年代は紀元前39 -38年）。<br>5.9m x  11.7mの矩形の部屋の壁には、出入り口を除き、庭園の風景が連続して一面に描かれています。おそらくは客人をもてなす場であり、夏の暑さを避けるため地下に作られたと考えられています。植物の描写は極めて正確かつ細密で、しかも開花や結実の時期が本来異なる植物が全て満開、果実はたわわに実り、これが現実の風景でないことは明らかです。壁画には単なる室内装飾以上の意味があるとみられ、例えばアウグストゥス帝が実現した「パクス・ロマーナ」（ローマの平和）の祈念、リウィアとの婚礼の祝い、またはローマの神々の象徴、等の仮説が研究者たちから提唱されています。</h2><p><br></p>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/bf40baf1d2dd5d2233923d505d69e31b_d65dbe9c01c808423acd06e6bb1653f2.png?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>リウィアの別荘壁画 展示室</p>
		</div>
	
		<div>
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		</div>
		

		<div>
			<p>北面</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/af1a65b202dd37617c3a70bd66c70cec_2a1c57d695fdb941aeb15da16b3b04f2.png?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>南面部分</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/79f7ced5438e75d8667b22cd26210f77_295b2d6e109829e92001426df5f24b09.png?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>北面部分</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/af3998fa3b4ade2a01fa07f2d8869821_fb59da6f83b9542339a3c22af7ec6921.png?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>西面</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[腕を組む男]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58371481/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/3f54fc94d17f05a9d91fbae3d825be19_2ba50b3e9bcf1c00fee52334d657a29b.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58371481</id><summary><![CDATA[考え事をしている時には腕を深く組む。自画像を自分のスランプ状態を破る手口として自分の顔を眺めていると手に鉛筆や絵筆を持ちたくなり何とか心が絵画に向いてくるものである。立派な人間でも無いのだが、86歳の人生の一大転換期に面した自分を紙の上に２Dのイメージとして残す事はこれから先の道を見据える事に役立つだろうか。何歳から超高齢者になるのかは分からないが、今年は節目であった事は間違いない。養老孟司は年寄りはリラックスしろと、中村天風は晩年こそ人生の全てと言う、仏教では生老病死という人生で避けられぬ四つの苦しみが教えられる。僕はどうすれば良いのだろう？]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-12-26T05:52:16+00:00</published><updated>2026-01-03T05:54:04+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/3f54fc94d17f05a9d91fbae3d825be19_2ba50b3e9bcf1c00fee52334d657a29b.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<h2>考え事をしている時には腕を深く組む。自画像を自分のスランプ状態を破る手口として自分の顔を眺めていると手に鉛筆や絵筆を持ちたくなり何とか心が絵画に向いてくるものである。<br>立派な人間でも無いのだが、86歳の人生の一大転換期に面した自分を紙の上に２Dのイメージとして残す事はこれから先の道を見据える事に役立つだろうか。<br>何歳から超高齢者になるのかは分からないが、今年は節目であった事は間違いない。<br>養老孟司は年寄りはリラックスしろと、中村天風は晩年こそ人生の全てと言う、仏教では生老病死という人生で避けられぬ四つの苦しみが教えられる。<br>僕はどうすれば良いのだろう？</h2>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[このパンはわが体なり  天使のパン  フランク]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58371469/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/d4298954bb468dc81eae89dd26962bed_598d336420766d5d43e93d8fb75b33c8.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58371469</id><summary><![CDATA[今年もあと数日で終わりですね。年末年始はご自宅でゆっくり過ごされる方が多いと思いますが、日本や旅行先などで新年を迎える方もいらっしゃることでしょう。かく言う私も、今から四半世紀前の西暦　２０００年の大みそか、つまり２０世紀の最後の日は、ギリシャの首都アテネにいました。街の中央の大きな広場での新年のカウントダウンは、今でも鮮やかな記憶となって残っています。何しろ、翌日から２１世紀がスタートするとあって、おそらく例年以上に豪華で力の入ったイベントだったのでしょう。次から次へと打ち上げられる花火と歓声、そして特設ステージを占めるオーケストラと歌手たちによる生演奏が、新しい世紀の幕開けを告げていました。クリスマス・ソングや蛍の光（原曲　Auld Lang Syne）など聴きなれた曲がひとしきり流れた後、これも聴き覚えのある音楽が聴こえてきました。「これは何度か聴いたことがあるけれど、はて、誰の何という曲だろう？」そんな思いを抱きながら、ニューイヤーの聴き初（ぞ）めにあたるその妙（たえ）なる調べに酔いしれていました。（この曲は何度か繰り返し演奏されていました。）その後知ったことですが、それはセザール・フランク（１９世紀ベルギー）の「パニス・アンジェリクス」（天使のパン）という曲でした。https://youtu.be/Ff0L4uNRcw4　パニス・アンジェリクス（天使のパン）　（英語訳詞つき）「最後の晩餐」といえば、「モナリザ」と並ぶレオナルド・ダ・ビンチの傑作絵画ですが、この絵は完成後、すぐに絵具が剥落しはじめ、その補修に複数の他人の手が入り、さらには第二次大戦中の空爆で何年か野ざらしになるなど、過酷な時間を過ごして奇跡的に残った作品でもあります。その後、絵の表面を顕微鏡で確認しながら、数世紀に及ぶ汚れや、他人の加筆などを少しずつ取り除いていく「修復作業」が、２０年かけて行われました。そして、修復完了の１９９９年、ＮＨＫが特集番組を放送しました。そこでは、作業を通して明らかになったこの壁画の数多くの秘密や、画家レオナルドの狙いや思いなどが詳細に語られていました。その番組のＢＧＭとして使われていたのが、この「天使のパン」で、録画を何度か見ているうちに、そのメロディーが私の耳に残って　いたというわけです。この曲は、聖書の中の「最後の晩餐」の文章がもとになっています。それは、人類の原罪を贖うべく世に遣わされた神の子イエスが、ローマ兵に捕縛される前夜、弟子たちと囲んだ最後の食卓の場面です。その席で、イエスは彼らに別れを告げながら、手に持ったパンを「私の体と思って食べなさい」、そしてワインを「私の血と思って飲みなさい」と伝えました。今思えば、その場面を描いた絵画に、その場面から生まれた音楽を寄り添わせた番組制作者の慧眼には感服するばかりです。のちにキリスト教では、最後の晩餐の故事をもとにして、聖餐（せいさん）式や聖体拝領と呼ばれる儀式が行われることになります。教派によってその形式は様々あるようですが、基本的には、参列者が実際にパンやワインを口にしながら、救世主の贖罪や犠牲に思いを馳せて信仰を深めることが目的です。パンはイースト菌を用いない平べったい聖餅（せいへい）や、ワインは水を代わりに使うこともよくあります。この大晦日の前のクリスマスイブは、アテネから離れた村の簡素な宿に泊まりましたが、翌朝、外を散歩していると、小さな教会の神父さんが、通りすがりの見知らぬ異邦人である私に、手に持った聖餅を笑顔で渡してくれました。　https://youtu.be/skbaEPbEUYg?list=RDskbaEPbEUYg 　天使のパン（作品の解説と日本語訳詞つき）　　　　　a]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-12-26T05:47:55+00:00</published><updated>2026-01-03T05:52:10+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<h2>今年もあと数日で終わりですね。年末年始はご自宅でゆっくり過ごされる方が多いと思いますが、日本や旅行先などで新年を迎える方もいらっしゃることでしょう。かく言う私も、今から四半世紀前の西暦　２０００年の大みそか、つまり２０世紀の最後の日は、ギリシャの首都アテネにいました。街の中央の大きな広場での新年のカウントダウンは、今でも鮮やかな記憶となって残っています。何しろ、翌日から２１世紀がスタートするとあって、おそらく例年以上に豪華で力の入ったイベントだったのでしょう。次から次へと打ち上げられる花火と歓声、そして特設ステージを占めるオーケストラと歌手たちによる生演奏が、新しい世紀の幕開けを告げていました。<br>クリスマス・ソングや蛍の光（原曲　Auld Lang Syne）など聴きなれた曲がひとしきり流れた後、これも聴き覚えのある音楽が聴こえてきました。「これは何度か聴いたことがあるけれど、はて、誰の何という曲だろう？」そんな思いを抱きながら、ニューイヤーの聴き初（ぞ）めにあたるその妙（たえ）なる調べに酔いしれていました。（この曲は何度か繰り返し演奏されていました。）その後知ったことですが、それはセザール・フランク（１９世紀ベルギー）の「パニス・アンジェリクス」（天使のパン）という曲でした。</h2><h2>https://youtu.be/Ff0L4uNRcw4　パニス・アンジェリクス（天使のパン）　（英語訳詞つき）</h2><h2>「最後の晩餐」といえば、「モナリザ」と並ぶレオナルド・ダ・ビンチの傑作絵画ですが、この絵は完成後、すぐに絵具が剥落しはじめ、その補修に複数の他人の手が入り、さらには第二次大戦中の空爆で何年か野ざらしになるなど、過酷な時間を過ごして奇跡的に残った作品でもあります。その後、絵の表面を顕微鏡で確認しながら、数世紀に及ぶ汚れや、他人の加筆などを少しずつ取り除いていく「修復作業」が、２０年かけて行われました。そして、修復完了の１９９９年、ＮＨＫが特集番組を放送しました。そこでは、作業を通して明らかになったこの壁画の数多くの秘密や、画家レオナルドの狙いや思いなどが詳細に語られていました。<br>その番組のＢＧＭとして使われていたのが、この「天使のパン」で、録画を何度か見ているうちに、そのメロディーが私の耳に残って　いたというわけです。この曲は、聖書の中の「最後の晩餐」の文章がもとになっています。それは、人類の原罪を贖うべく世に遣わされた神の子イエスが、ローマ兵に捕縛される前夜、弟子たちと囲んだ最後の食卓の場面です。その席で、イエスは彼らに別れを告げながら、手に持ったパンを「私の体と思って食べなさい」、そしてワインを「私の血と思って飲みなさい」と伝えました。今思えば、その場面を描いた絵画に、その場面から生まれた音楽を寄り添わせた番組制作者の慧眼には感服するばかりです。<br>のちにキリスト教では、最後の晩餐の故事をもとにして、聖餐（せいさん）式や聖体拝領と呼ばれる儀式が行われることになります。教派によってその形式は様々あるようですが、基本的には、参列者が実際にパンやワインを口にしながら、救世主の贖罪や犠牲に思いを馳せて信仰を深めることが目的です。パンはイースト菌を用いない平べったい聖餅（せいへい）や、ワインは水を代わりに使うこともよくあります。この大晦日の前のクリスマスイブは、アテネから離れた村の簡素な宿に泊まりましたが、翌朝、外を散歩していると、小さな教会の神父さんが、通りすがりの見知らぬ異邦人である私に、手に持った聖餅を笑顔で渡してくれました。　<br>https://youtu.be/skbaEPbEUYg?list=RDskbaEPbEUYg 　天使のパン（作品の解説と日本語訳詞つき）　　　　　a</h2>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/d4298954bb468dc81eae89dd26962bed_598d336420766d5d43e93d8fb75b33c8.jpg?width=960" width="100%">
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[あつみの最も好んだ趣味]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58175306/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/d4f66f0a1674e4470bfa75acd9cfc7ff_398cd36dd9c87c8d5c43790f6d86378e.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58175306</id><summary><![CDATA[2013年何時も話しかけられる人が突然側に居なくなった。それに近年はその人の顔を描いていなかった事にも気付いて驚いている。エドモントンでリードしていた松風茶湯グループでは長崎県五島福江市での国際椿会出席後は専ら五島の椿の原生種に興味が湧き極寒地エドモントンで幾種類かの椿の花をお茶の為に育てていた。バンクーバーに移住した折(2013)五島の椿原種を何本か持って来て新戸部紀年庭園に寄贈したのも１２年前の事である。隣組ではガーデンクラブを先導し仲間と隣組のガーデンに良く足を運んでいた。ストラスコーナのガーデンニングも長年続き懸命に開発していた。その後隣組で書いていた「OUR EDIBLE ROOTS―The Japanese Canadian Kitchen Garden」 (2018出版)以後セントポール病院屋上庭園でのコミュニティーガーデンにこの思想を家庭で実現中でした、通常のサヤ豆類、大根、きゅうり、青ネギ、花豆やウド、山芋まで試験中でした。花壇植栽を増やしてポリネーターガーデン運動にも積極的に協力した。好きな薔薇収集も自腹を切って患者や訪問者、スタッフを楽しませて居たのです。　　]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-11-25T19:37:27+00:00</published><updated>2025-11-25T19:40:34+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>2013年</p><h2 class="">何時も話しかけられる人が突然側に居なくなった。それに近年はその人の顔を描いていなかった事にも気付いて驚いている。<br>エドモントンでリードしていた松風茶湯グループでは長崎県五島福江市での国際椿会出席後は専ら五島の椿の原生種に興味が湧き極寒地エドモントンで幾種類かの椿の花をお茶の為に育てていた。バンクーバーに移住した折(2013)五島の椿原種を何本か持って来て新戸部紀年庭園に寄贈したのも１２年前の事である。隣組ではガーデンクラブを先導し仲間と隣組のガーデンに良く足を運んでいた。ストラスコーナのガーデンニングも長年続き懸命に開発していた。その後隣組で書いていた「OUR EDIBLE ROOTS―The Japanese Canadian Kitchen Garden」 (2018出版)以後セントポール病院屋上庭園でのコミュニティーガーデンにこの思想を家庭で実現中でした、通常のサヤ豆類、大根、きゅうり、青ネギ、花豆やウド、山芋まで試験中でした。花壇植栽を増やしてポリネーターガーデン運動にも積極的に協力した。好きな薔薇収集も自腹を切って患者や訪問者、スタッフを楽しませて居たのです。</h2><p><br></p><p>　</p><p>　</p>
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			<h2>バンデューセン、特にスタンレイパークの椿街道はよく歩いた所でした。さすが農大卒（農芸化学）で土いじりは大好きでした。隣組の仲間とウエストエンドのあるビルの日陰ガーデンに茗荷、クレソン（西洋芹）などの冬野菜の開発も試みて成功させたり、隣組キッチンでは今も恒例の赤紫蘇のジュースが常用されている様でガーデングループとしては色々成果を上げていると思います。</h2>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[晩秋の新宿御苑]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58175291/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/2b84c6a87ba306971625117e46b09d51_12da4f939ad93f4712bd4b7835ba334e.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58175291</id><summary><![CDATA[「息子と同じような年代のカップル、我が息子はどうしているのかな」と、ふと思いました。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-11-25T19:35:54+00:00</published><updated>2025-11-25T19:37:14+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>「息子と同じような年代のカップル、我が息子はどうしているのかな」<br>と、ふと思いました。</h2>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[お先に行きますが皆さんお幸せに　即興曲 シューベルト]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58175266/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/d37b85776695539f9edf6ec55629b196_17ed84c4d65df918cb0c5748d181c34f.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58175266</id><summary><![CDATA[日本では、今年もベートーヴェン「第九」の師走が近づいてきました。１２月限定の公演数の多さ　　から考えても、日本は、世界で最も「第九」を愛する国と言ってもいいでしょう。私の古い友人にも、第九を至高の音楽と呼んではばからない者が何人かいました。音楽雑誌やテレビ番組などでも、　１２月の特集として第九が取り上げられることが、今でもよくあります。昔、そういった雑誌記事を読んでいると、こういうことを書いている批評家がいました。「自分も若い頃は第九に酔いしれた。これぞ人類の宝だと信じていた。しかし、歳を取るにつれて、作品がだんだん重く感じられるようになった。　今はむしろシューベルトのピアノ曲あたりで、優しく静かに慰めてもらう方がいい」「第九」初演から３年後の１８２７年、５６歳で亡くなったベートーヴェンの葬儀には２万人を越えるウィーン市民が参列しました。シューベルトもその一人ですが、彼は敬愛する楽聖の棺を墓地まで挽いていく大役の一端を担いました。この年、彼が書いた　作品に「即興曲」があります。全部で　４つのピアノ曲から成る作品ですが、親しみやすいメロディが、明るい長調と暗い短調の間を夢のように揺れ動き、どの瞬間にも魅力が溢れる曲集です。また、昔からピアノ練習者に親しまれてきた作品でもあります。長らく病をかかえていたシューベルトは、その翌年、帰らぬ人となりました。享年３１歳でした。ですから即興曲はシューベルト晩年の作品ということになります。「シューベルトは別れの音楽です。自分は逝くけれど残ったあなたたちは幸せでいてくださいね、というメッセージがこめられています」日本を代表する女流ピアニスト、伊藤恵（けい）は彼の晩年の音楽をこのように評しています。　　https://youtu.be/FWLZi5sRrR4?list=RDFWLZi5sRrR4 　シューベルト「即興曲」作品９０　　アルフレート・ブレンデル（ピアノ）ここで「即興曲」を弾いているブレンデルは、２０世紀のピアノの大家にして、シューベルトのスペシャリストとも称された人物です。この録音は、彼が自他ともに認める世界的ピアニストになってからのものです。　ブレンデルは、デビューして間もない無名時代にも、アメリカの小さなレコード会社のために、「即興曲」を録音しています。廉価盤のLPとして発売されたその録音を私も持っていますが、それを初めて聴いた時の不思議な感銘は、今でもよく覚えています。それは、後の人気演奏家となった彼のパフォーマンスとは一線を画するものでした。まるで誰もいない密室で、シューベルトと対峙して無言の対話を交わすかのような音で、自分を捨てた「無私」の境地を感じさせました。慌ててレコードジャケットの解説を読むと、その演奏について「尋常ならざる沈潜」という言葉が使われていました。「沈潜」とは「深く沈み込む」という意味ですが、あたかも、死を覚悟した作曲者晩年の「悟り」にも近い心情を具現化した音を聴く思いでした。そして、この録音はブレンデルが３１歳の時のものだということも分かりました。シューベルトの没年と同じ歳です。それが、この演奏家の内面に何らかの作用を及ぼしたのでしょうか。ブレンデルは今年６月に９４歳で亡くなりました。シューベルトの人生の３倍の長きにわたる生涯でした。その彼が遺した膨大な録音の中でも、この時期のものだけは、後年の巨匠然とした演奏に比べて、沈潜の妙が際立っているように感じます。シューベルトの即興曲は作品９０の４曲ともう一つ、作品１４２の４曲もあります。こちらも同じ年に書かれたものです。これら８曲の即興曲は、２００年にわたって多くの人々に変わらず愛されてきました。https://youtu.be/qZSnxngDT44?list=RDqZSnxngDT44　「即興曲」作品142　　伊藤恵（ピアノ）]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-11-25T19:25:35+00:00</published><updated>2025-11-26T19:56:19+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>日本では、今年もベートーヴェン「第九」の師走が近づいてきました。１２月限定の公演数の多さ　　から考えても、日本は、世界で最も「第九」を愛する国と言ってもいいでしょう。私の古い友人にも、第九を至高の音楽と呼んではばからない者が何人かいました。音楽雑誌やテレビ番組などでも、　１２月の特集として第九が取り上げられることが、今でもよくあります。<br>昔、そういった雑誌記事を読んでいると、こういうことを書いている批評家がいました。「自分も若い頃は第九に酔いしれた。これぞ人類の宝だと信じていた。しかし、歳を取るにつれて、作品がだんだん重く感じられるようになった。　今はむしろシューベルトのピアノ曲あたりで、優しく静かに慰めてもらう方がいい」<br>「第九」初演から３年後の１８２７年、５６歳で亡くなったベートーヴェンの葬儀には２万人を越えるウィーン市民が参列しました。シューベルトもその一人ですが、彼は敬愛する楽聖の棺を墓地まで挽いていく大役の一端を担いました。この年、彼が書いた　作品に「即興曲」があります。全部で　４つのピアノ曲から成る作品ですが、親しみやすいメロディが、明るい長調と暗い短調の間を夢のように揺れ動き、どの瞬間にも魅力が溢れる曲集です。また、昔からピアノ練習者に親しまれてきた作品でもあります。<br>長らく病をかかえていたシューベルトは、その翌年、帰らぬ人となりました。享年３１歳でした。ですから即興曲はシューベルト晩年の作品ということになります。「シューベルトは別れの音楽です。自分は逝くけれど残ったあなたたちは幸せでいてくださいね、というメッセージがこめられています」日本を代表する女流ピアニスト、伊藤恵（けい）は彼の晩年の音楽をこのように評しています。　　<br>https://youtu.be/FWLZi5sRrR4?list=RDFWLZi5sRrR4 　シューベルト「即興曲」作品９０　　アルフレート・ブレンデル（ピアノ）<br>ここで「即興曲」を弾いているブレンデルは、２０世紀のピアノの大家にして、シューベルトのスペシャリストとも称された人物です。この録音は、彼が自他ともに認める世界的ピアニストになってからのものです。　<br>ブレンデルは、デビューして間もない無名時代にも、アメリカの小さなレコード会社のために、「即興曲」を録音しています。廉価盤のLPとして発売されたその録音を私も持っていますが、それを初めて聴いた時の不思議な感銘は、今でもよく覚えています。<br>それは、後の人気演奏家となった彼のパフォーマンスとは一線を画するものでした。まるで誰もいない密室で、シューベルトと対峙して無言の対話を交わすかのような音で、自分を捨てた「無私」の境地を感じさせました。慌ててレコードジャケットの解説を読むと、その演奏について「尋常ならざる沈潜」という言葉が使われていました。「沈潜」とは「深く沈み込む」という意味ですが、あたかも、死を覚悟した作曲者晩年の「悟り」にも近い心情を具現化した音を聴く思いでした。そして、この録音はブレンデルが３１歳の時のものだということも分かりました。シューベルトの没年と同じ歳です。それが、この演奏家の内面に何らかの作用を及ぼしたのでしょうか。ブレンデルは今年６月に９４歳で亡くなりました。シューベルトの人生の３倍の長きにわたる生涯でした。その彼が遺した膨大な録音の中でも、この時期のものだけは、後年の巨匠然とした演奏に比べて、沈潜の妙が際立っているように感じます。<br>シューベルトの即興曲は作品９０の４曲ともう一つ、作品１４２の４曲もあります。こちらも同じ年に書かれたものです。これら８曲の即興曲は、２００年にわたって多くの人々に変わらず愛されてきました。<br>https://youtu.be/qZSnxngDT44?list=RDqZSnxngDT44　「即興曲」作品142　　伊藤恵（ピアノ）</h2>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/d37b85776695539f9edf6ec55629b196_17ed84c4d65df918cb0c5748d181c34f.jpg?width=960" width="100%">
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[教養講座「ヘタで何が悪い?! 抽象画と子供の絵」]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58175290/"></link><link rel="enclosure" type="image/png" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/a3961d3a7ef07b1aec1ae4753cf97512_4eb4181b221170db87eb66a8ebc40775.png"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58175290</id><summary><![CDATA[11月14日（金）桜楓会の教養講座「ヘタで何が悪い⁈抽象画と子どもの絵」が開かれました。講師は役員の丸尾が務めました。会員と会友を合わせて16名の方にご参加いただきました。プログラム 　　紹介した主な作品やアーティストなど　※ネット、YouTube等で閲覧や視聴が可権威と大衆 　　　モネ「印象　日の出」具象画と抽象画 　カンディンスキー「コンポジション」　　モンドリアン「コンポジション」「ブロードウェイ・ブギウギ」ジョアン・ミロ　　エミリー・カー　　東郷青児　　古田織部（織部焼）　　フランク・ロイド・ライト（建築家）　　ル・コルビュジエ（建築家）「ロンシャンの礼拝堂」抽象画と音楽	ヴィヴァルディ「四季」より「秋」第２楽章　　ショパンピアノソナタ第２番「葬送行進曲付き」より終楽章　パウル・クレー「リズミカルな森のらくだ」「ポリフォニー」「赤のフーガ」「階段の上の子ども」「格闘の場面」　谷川俊太郎　詩集「クレーの絵本」　　三善晃　合唱曲「クレーの絵本」　アンリ・マティス「ジャズ」　抽象画と子どもの絵　	クレー「太鼓奏者」　　　仙厓義梵(せんがいぎぼん)「犬」「龍と虎」「□△〇」　　　谷内六郎　週刊新潮の表紙絵　シャガール「空を飛ぶ馬」「私の村」　　ルオー「ヴェロニカ」　　ピカソ　皿絵　　　先史時代の洞窟壁画　テレジン強制収容所の子どもの絵と詩抽象画と迫害	クレー「リストからの抹消」「黄金の魚」「R荘」「飢えた少女」「死と炎」　　画家ヒトラーの絵画不安と創造	エルンスト・キルヒナー　　エミール・ノルデ　　映画「カリガリ博士」参加者の感想教養講座、見事でした。流れる小川の水に自然と身を任せる木の葉のように心地よい時間でした。 私は具象画、抽象画の両方とも好きですが、描くとしたら圧倒的に抽象画が好きです。単なる教養を高める講座ではなく、お話の一つ一つが遠くの場所、時間を超えて心が「旅」をしました。講座が終わっても、丸一日心地良い旅の余韻が残り、作品の背景の話が時間と距離を超えたリモートビューイングの旅を続けています。この講座自体が絵画に負けない「一つの作品」として、心の琴線に触れて今も響いています。こんなに感動出来るなんて、私の感性もまだまだいけるなと嬉しかったです。こんな時間を大変な準備をして挙行していただき、ありがとうございました。次回も待っていますよ。（会員）あれだけの話をするためには、話の内容・展開を決めるだけでも大変だと思いますし、それに沿う情報・材料を集めるのがさらに大変だと思います。丸尾さんは、もともと引き出しがたくさんあるとは存じますが、それにしても情報の宝庫でした。しかも、話題の点と点がつながって線になり、線がつながって面になり、という感じで進んでいくストーリー展開に大変引き寄せられました。「もしかして今回が最後かも」とのことでしたが、個人的には是非続けて頂きたいと思います。（会友）（記：　丸尾豪司）]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-11-14T19:51:40+00:00</published><updated>2025-11-25T19:52:03+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>11月14日（金）桜楓会の教養講座「ヘタで何が悪い⁈抽象画と子どもの絵」が開かれました。<br>講師は役員の丸尾が務めました。会員と会友を合わせて16名の方にご参加いただきました。</h2><h2><br><b>プログラム</b> 　　紹介した主な作品やアーティストなど　※ネット、YouTube等で閲覧や視聴が可<br><br></h2><h2><b>権威と大衆</b> 　　　モネ「印象　日の出」<br><br></h2><h2><b>具象画と抽象画</b> 　</h2><h2>カンディンスキー「コンポジション」　　モンドリアン「コンポジション」「ブロードウェイ・ブギウギ」ジョアン・ミロ　　エミリー・カー　　東郷青児　　古田織部（織部焼）　　<br>フランク・ロイド・ライト（建築家）　　ル・コルビュジエ（建築家）「ロンシャンの礼拝堂」<br><br></h2><h2><b>抽象画と音楽	</b></h2><h2>ヴィヴァルディ「四季」より「秋」第２楽章　　ショパンピアノソナタ第２番「葬送行進曲付き」より終楽章　パウル・クレー「リズミカルな森のらくだ」「ポリフォニー」「赤のフーガ」「階段の上の子ども」「格闘の場面」　谷川俊太郎　詩集「クレーの絵本」　　三善晃　合唱曲「クレーの絵本」　アンリ・マティス「ジャズ」　<br><br></h2><h2><b>抽象画と子どもの絵</b>　	</h2><h2>クレー「太鼓奏者」　　　仙厓義梵(せんがいぎぼん)「犬」「龍と虎」「□△〇」　　　谷内六郎　週刊新潮の表紙絵　シャガール「空を飛ぶ馬」「私の村」　　ルオー「ヴェロニカ」　　ピカソ　皿絵　　　先史時代の洞窟壁画　テレジン強制収容所の子どもの絵と詩</h2><h2><br><b>抽象画と迫害	</b></h2><h2>クレー「リストからの抹消」「黄金の魚」「R荘」「飢えた少女」「死と炎」　　画家ヒトラーの絵画</h2><h2><br><b>不安と創造	</b></h2><h2>エルンスト・キルヒナー　　エミール・ノルデ　　映画「カリガリ博士」</h2><h2><br><b>参加者の感想</b><br>教養講座、見事でした。<br>流れる小川の水に自然と身を任せる木の葉のように心地よい時間でした。<br> 私は具象画、抽象画の両方とも好きですが、描くとしたら圧倒的に抽象画が好きです。<br>単なる教養を高める講座ではなく、お話の一つ一つが遠くの場所、時間を超えて心が「旅」を<br>しました。<br>講座が終わっても、丸一日心地良い旅の余韻が残り、作品の背景の話が時間と距離を超えた<br>リモートビューイングの旅を続けています。<br>この講座自体が絵画に負けない「一つの作品」として、心の琴線に触れて今も響いています。<br>こんなに感動出来るなんて、私の感性もまだまだいけるなと嬉しかったです。<br>こんな時間を大変な準備をして挙行していただき、ありがとうございました。次回も待っていますよ。（会員）</h2><h2><br>あれだけの話をするためには、話の内容・展開を決めるだけでも大変だと思いますし、それに沿う情報・材料を集めるのがさらに大変だと思います。<br>丸尾さんは、もともと引き出しがたくさんあるとは存じますが、それにしても情報の宝庫でした。<br>しかも、話題の点と点がつながって線になり、線がつながって面になり、という感じで進んでいくストーリー展開に大変引き寄せられました。<br>「もしかして今回が最後かも」とのことでしたが、個人的には是非続けて頂きたいと思います。（会友）<br>（記：　丸尾豪司）</h2>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[リメンバランスデイ　追悼式典]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/55975285/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/4536f878490fe37907bde06f607790b7_efc6478fee54230e7268852e9adf7f55.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/55975285</id><summary><![CDATA[11月11（土）スタンレイパークにある日系戦没者慰霊記念碑の前で行われた追悼式典に桜楓会を代表して参加して来ました。1921年に200名近い日系カナダ人は兵隊としては、BC州では認められず、ALBERTA州まで行って志願し、ヨーロッパ戦線の中でも、激しい戦場に送られ、多くの犠牲者を出しました。そうやって命を落としていった人たちに敬意を表し献花してまいりました。式典は隣組関係者David Iwaasa氏の司会により始まり、First Nationの代表者による承認、カナダ国歌の斉唱、出席者の紹介、金光教牧師による祈り、戦没者の招霊の起床ラッパ、バグパイパーによる追悼の演奏、第一次大戦ヨーロッパでの激戦地フランダースの説明があり、K..Takahide氏のGod Save the Kingの独唱で式典は終了しました。最後に２０名の代表者が記念碑の塔の回りに献花を行い、戦死者の冥福を祈りました。桜楓会からは６名の参加者がありました。(記：松尾健一)]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-11-11T19:57:17+00:00</published><updated>2025-11-25T19:57:26+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>11月11（土）スタンレイパークにある日系戦没者慰霊記念碑の前で行われた追悼式典に桜楓会を代表して参加して来ました。<br>1921年に200名近い日系カナダ人は兵隊としては、BC州では認められず、ALBERTA州まで行って志願し、ヨーロッパ戦線の中でも、激しい戦場に送られ、多くの犠牲者を出しました。そうやって命を落としていった人たちに敬意を表し献花してまいりました。<br>式典は隣組関係者David Iwaasa氏の司会により始まり、First Nationの代表者による承認、カナダ国歌の斉唱、出席者の紹介、金光教牧師による祈り、戦没者の招霊の起床ラッパ、バグパイパーによる追悼の演奏、第一次大戦ヨーロッパでの激戦地フランダースの説明があり、K..Takahide氏のGod Save the Kingの独唱で式典は終了しました。最後に２０名の代表者が記念碑の塔の回りに献花を行い、戦死者の冥福を祈りました。桜楓会からは６名の参加者がありました。</h2><p>(記：松尾健一)</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ハリウッド映画四方山話　（投稿者：渡嘉敷治夫さん）]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58026968/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/5e75e5c3d11d59bfac1eab12e6e35276_0fed67a6d99f03bce9abca56dd94001a.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58026968</id><summary><![CDATA[2025年10月3日公開のハリウッド映画『The Smashing Machine』。主演は、いまや“ハリウッドで最も稼ぐ男”と称されるドウェイン・ジョンソン。物語は「霊長類最強」と呼ばれた総合格闘家マーク・ケアの、栄光と転落、そして再生を描いた実話ドラマです。撮影現場で初めてドウェイン・ジョンソンに会い、握手を交わした瞬間、胸が熱くなりました。私は25年前から彼の大ファン。身長196センチ、体重111キロ──実際に目の前に立つと、私のような体格でも見上げるほどの圧倒的な存在感でした。彼は驚くほどフレンドリーで、休憩中には「日本の餃子の王将が大好きなんだ」と笑顔で語ってくれました。初めて食べたときはあまりの美味しさに思わずテーブルを叩いた、という逸話まで披露してくれました。そんなドウェインに対し、私が演じたのは――彼のキャリアを容赦なく断ち切る冷酷な日本人興行主。落ちぶれた格闘家に契約打ち切りを突きつける、非情な男です。ドウェイン「契約を打ち切られるのですか？」私「このお金で終わりだ」彼が金を数えて驚く。「え、これだけ？」私「それだけだよ」ドウェイン「お願いだから試合を続けさせてくれないか」私は横の役員に向かって冷笑しながら言う。「こいつ、バカなんじゃないのか？ まだ試合するつもりでいるぜ」]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-10-26T02:27:50+00:00</published><updated>2025-11-01T02:29:09+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>2025年10月3日公開のハリウッド映画『The Smashing Machine』。<br>主演は、いまや“ハリウッドで最も稼ぐ男”と称されるドウェイン・ジョンソン。<br>物語は「霊長類最強」と呼ばれた総合格闘家マーク・ケアの、栄光と転落、そして再生を描いた実話ドラマです。<br>撮影現場で初めてドウェイン・ジョンソンに会い、握手を交わした瞬間、胸が熱くなりました。<br>私は25年前から彼の大ファン。<br>身長196センチ、体重111キロ──実際に目の前に立つと、私のような体格でも見上げるほどの圧倒的な存在感でした。<br>彼は驚くほどフレンドリーで、休憩中には「日本の餃子の王将が大好きなんだ」と笑顔で語ってくれました。<br>初めて食べたときはあまりの美味しさに思わずテーブルを叩いた、という逸話まで披露してくれました。<br>そんなドウェインに対し、私が演じたのは――彼のキャリアを容赦なく断ち切る冷酷な日本人興行主。<br>落ちぶれた格闘家に契約打ち切りを突きつける、非情な男です。<br>ドウェイン「契約を打ち切られるのですか？」<br>私「このお金で終わりだ」<br>彼が金を数えて驚く。「え、これだけ？」<br>私「それだけだよ」<br>ドウェイン「お願いだから試合を続けさせてくれないか」<br>私は横の役員に向かって冷笑しながら言う。<br>「こいつ、バカなんじゃないのか？ まだ試合するつもりでいるぜ」</h2>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[夏の実り　油彩]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58026957/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/6a9e194ee1bfa6202ad763c670679d15_5335588240399dd03654ba56e8af8311.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58026957</id><summary><![CDATA[毎日曜日、近くの公園で開かれるファーマーズ・マーケットで見つけた、ちょっと変わったお野菜、 絵の具を塗ったように鮮やかな紫色のカリフラワー、花のように開いたカリフローレ、とんがり帽子のような三角形のキャベツなどを並べてみました。さて、お味は普通のカリフラワーとキャベツでした。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-10-26T02:25:04+00:00</published><updated>2025-11-01T02:29:41+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/6a9e194ee1bfa6202ad763c670679d15_5335588240399dd03654ba56e8af8311.jpg?width=960" width="100%">
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			<h2>毎日曜日、近くの公園で開かれるファーマーズ・マーケットで見つけた、ちょっと変わったお野菜、 絵の具を塗ったように鮮やかな紫色のカリフラワー、花のように開いたカリフローレ、とんがり帽子のような三角形のキャベツなどを並べてみました。<br>さて、お味は普通のカリフラワーとキャベツでした。</h2>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ウィーンに旅する (完)]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58026950/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/63962fc74500a22bd4e9e2bc4127a2e1_e26e77a70ca347413bd196f2b2125cfd.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58026950</id><summary><![CDATA[シェーンブルン宮殿の日本庭園訪問の目的は達成し、夕闇迫るなか息子と私は帰途に就いた（と思った）。ところがネプチューンの噴水に引き返す前から目に飛び込んできたのは、丘の上の夜空に燦々と輝くグロリエッテである。私はそこまで行きたくなり、「今日はだいぶ歩いたよ」と言う息子の言葉をよそに丘に登り始めた。ジグザグの登山道に沿って暗闇のなか私達は辿り着いた。その眺めが次の写真である。ウィーンに関連する全ての美しいものの象徴のように見え、ウィーン滞在のピークであった。振り向いてウィーン市に目をやると、遥か彼方にシュテファン大聖堂の尖塔が白く夜空に浮かんでいた。この日の歩数は何と15,000歩を超えていた。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-10-26T02:22:45+00:00</published><updated>2025-11-01T02:24:56+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>シェーンブルン宮殿の日本庭園訪問の目的は達成し、夕闇迫るなか息子と私は帰途に就いた（と思った）。ところがネプチューンの噴水に引き返す前から目に飛び込んできたのは、丘の上の夜空に燦々と輝くグロリエッテである。私はそこまで行きたくなり、「今日はだいぶ歩いたよ」と言う息子の言葉をよそに丘に登り始めた。ジグザグの登山道に沿って暗闇のなか私達は辿り着いた。その眺めが次の写真である。ウィーンに関連する全ての美しいものの象徴のように見え、ウィーン滞在のピークであった。振り向いてウィーン市に目をやると、遥か彼方にシュテファン大聖堂の尖塔が白く夜空に浮かんでいた。<br>この日の歩数は何と15,000歩を超えていた。</h2>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/63962fc74500a22bd4e9e2bc4127a2e1_e26e77a70ca347413bd196f2b2125cfd.jpg?width=960" width="100%">
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			<p>シェーンブルン宮殿敷地内のグロリエッテ. 一つ星はヴィーナスだそうな。</p><h2>オーストリア•ハンガリア帝国統治下のウィーンは文化的に繁栄した。しかし帝国の圧政の中で王室、貴族、上流社会が権威をふるい贅沢を享楽する一方で、庶民、貧民は働き、喘ぎ、衣食住の足りない生活を強いられた者もいた。それもウィーン滞在中に絵画で目にした歴史の一部で、忘れられない。21世紀の今、私達は往時の専制の結果の一つとも言える様々な高度の文化（音楽、絵画、文学、建築など）を享受している。その文化の裏にこの紀行では言及しなかった無数の “犠牲者” がいた事を思うと、聴く、観る、読む作品の一つ一つが、より一層尊く貴重なものに思われる。<br>旅の終わり近くに、分かったという顔をしてアロイシアが私にひと言、 “Fish and green tea!” (「お魚と緑茶ね」) と。どうやら彼女は旅のあいだ私の食事を観察していたらしい。手術した手でテーブルナイフを使ってお肉を切るのは難しいので、フォークを使えば済むお魚をオーダーする。ワインは飲まないので緑茶を頼む。理由はそれだけなのだが、彼女は私の健康長寿（？）の秘訣を握ったと思ったらしい。ついでに私は “And eat to 80% of your capacity.” (私なりの「腹八分目」のこと) と言おうかと思ったが、やめておいた。<br> 16日に及ぶウィーン旅行は終わった。観た物、聴いたもの全てが高度な文化を物語っていた。二度と見ることはないと思っていたウィーン。感じ、考え、思うことの多かった旅。この歳で再度のウィーン訪問ができたのも、息子ジョンが飛行機の予約をし、アロイシアが前売りチケットを買っていてくれたおかげである。二人に深く感謝すると共に、この旅を分ち合った他の仲間たちにも心からありがとうと言いたい。</h2>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[変容する植物　―　アカンサス]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58026937/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/070b497cc90fa60fe596ab3c51c38aa8_0d5527f97094be4d435f557ef4ca353f.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58026937</id><summary><![CDATA[今回は趣向を変えて、美術作品に植物モティーフが使われている例を見てみたいと思います。西洋の古典建築（ギリシア、ローマ時代の建築様式とそれを手本にした後世の建築）の主要な要素の一つは円柱です。実際に荷重を支える役割だけでなく、装飾モティーフとしても円柱はしばしば用いられています。その中で、ヘレニズム期からローマ時代にかけて最も好まれたものがコリント式と呼ばれる円柱でした。ほっそりとした柱身に植物を図案化した装飾的な柱頭を頂き、華やかな印象を与える様式です。この柱頭の装飾は地中海地域に自生するアカンサスを図案化したものと言われています。さらにアカンサスのモティーフは、柱頭だけでなくレリーフや壁画などに使われている例もあり、唐草文様と並び古代以降もポピュラーな装飾モティーフでした。アカンサスは光沢のある濃い緑色の葉が放射状に広がる多年草で、その生命力の強さから、不死や再生の象徴とみなされていました。実はバンクーバー市内でも植えられているのを見たことがあります。]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-10-26T02:22:03+00:00</published><updated>2025-11-01T02:22:12+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<h2>今回は趣向を変えて、美術作品に植物モティーフが使われている例を見てみたいと思います。<br>西洋の古典建築（ギリシア、ローマ時代の建築様式とそれを手本にした後世の建築）の主要な要素の一つは円柱です。実際に荷重を支える役割だけでなく、装飾モティーフとしても円柱はしばしば用いられています。その中で、ヘレニズム期からローマ時代にかけて最も好まれたものがコリント式と呼ばれる円柱でした。ほっそりとした柱身に植物を図案化した装飾的な柱頭を頂き、華やかな印象を与える様式です。この柱頭の装飾は地中海地域に自生するアカンサスを図案化したものと言われています。さらにアカンサスのモティーフは、柱頭だけでなくレリーフや壁画などに使われている例もあり、唐草文様と並び古代以降もポピュラーな装飾モティーフでした。<br>アカンサスは光沢のある濃い緑色の葉が放射状に広がる多年草で、その生命力の強さから、不死や再生の象徴とみなされていました。実はバンクーバー市内でも植えられているのを見たことがあります。</h2>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/070b497cc90fa60fe596ab3c51c38aa8_0d5527f97094be4d435f557ef4ca353f.jpg?width=960" width="100%">
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			<p>コリント式円柱：　ケルスス図書館、114-117AD. エフェソス（トルコ）</p>
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			<p>アカンサスのモティーフの浮彫り：　Ara Pacis Augustae（アウグストゥス帝の平和の祭壇）、13-9BC. (ローマ)</p>
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			<p>アカンサス、ロードス島（ギリシア）</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[枯れ葉舞う季節 交響曲第３番 ブラームス]]></title><link rel="alternate" href="https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58026108/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/256751/6496ca2fc03d45e1ebc0a0faad3a8fac_5fdd5e7d6fac32f2bd1472a420ca39c0.jpg"></link><id>https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/posts/58026108</id><summary><![CDATA[秋も深まってきました。夕暮れ時、地面に舞う枯れ葉を見ながら、一抹の哀愁を感じる今日この頃です。今から６０年以上前のことですが、ヨゼフ・カイルベルトというドイツの名指揮者がいました。ヨーロッパの　　クラシック音楽を牽引する大立者の一人でした。彼はNHK交響楽団の招きを受けて何度か同団を指揮したことがあります。演奏された曲目のほとんどがドイツ・オーストリアの名曲ばかりでしたが、当時のライブ録音を聴くと、まだ発展途上だったN響から、ふだん聴けないような重厚で厳しいドイツ風の響きを引き　出していたことがよく分かります。ある日のリハーサルで「道に舞う枯れ葉のように」という言葉を使いながら、彼が曲のイメージを楽団に伝えていたことを、当時のコンサートマスターが語ったことがあります。印象に残る場面だったのでしょう。曲はブラームスの交響曲第３番の第３楽章でした。この楽章は、フランスの小説「ブラームスはお好き」（フランソワーズ・サガン）を原作とした映画「さよならをもう一度」（’６１)で使われて以来、単独で演奏されることが多くなった作品です。３人の男女の間に揺れ動く想いと葛藤を巡るストーリーの全編にわたって、この切ない第３楽章が編曲されながら使用されています。https://youtu.be/0UL09_Q4b5g?list=RD0UL09_Q4b5g&t=34 ブラームス交響曲第３番　第３楽章　　https://youtu.be/WCBoz0ls57k?list=RDWCBoz0ls57k ブラームス 交響曲第３番　第３楽章　　映画の画像つきhttps://youtu.be/sw0E1p9tpwM?list=RDsw0E1p9tpwM 同曲 ボサノバ風アレンジ　　　　　　　　 映画の画像つき前月号で、「出すぎた杭は打たれない」という形で何曲かご紹介しましたが、このブラームスの曲もその仲間の一つです。ただ、　　この交響曲は、第３楽章のみならず、４つの楽章すべてが魅力に富んでいますので、できるだけ全曲をお聴きいただきたいと思います。（ブラームスの交響曲は計４曲で、ベートーヴェンに比べて数は少ないですが、どの楽章も「外れ」のない充実したものです。）　https://youtu.be/aynbkhsvs4o?list=RDaynbkhsvs4o交響曲第３番（全曲）　バーンスタイン　ウィーン・フィル　ブラームスは、若き無名時代に同じドイツの先輩作曲家シューマンに見出だされ、世に紹介されました。そこから順風満帆のキャリアを重ね、押しも押されもせぬ大作曲家としての地位を築いていきます。年を経て、彼にも若き後輩を世に送る機会が訪れます。そのお相手は新進作曲家、ドヴォルザークでした。彼はドイツ人ではなく、ボヘミア（チェコ）の出身でした。しかし、その音楽にはドイツ音楽の影響が色濃く出ています。彼は後にアメリカに渡り、交響曲第９番「新世界より」で、よりグローバルな地平を切り開く　ことになりますが、渡米前の作品は、ドイツ風の響きの中にボヘミア魂が躍動し、スイングしています。　　中でも交響曲第８番は、その土俗的な持ち味から「新世界よりも傑作」という声が絶えない作品です。この曲も全楽章が聴きどころですが、中でも第３楽章が群を抜いて人気があります。日本では７０年代後半、CBSソニーのCMでこの曲が流れたことから、その人気に火がつきました。その時使われたのは、同社の所有するブルーノ・ワルター指揮コロンビア　交響楽団の録音でした。ワルターは、先述のカイルベルトよりもさらに古株の指揮者ですが、フルトヴェングラーやカラヤンやバーンスタインなどのレコードが多く出回る前は、日本で最もファンの多い指揮者でした。また、マーラーの弟子としても知られています。　　　　　　　　　　　　　　　https://youtu.be/obacQGFCY2M ドヴォルザーク　交響曲第８番　第３楽章　ワルター　コロンビア交響楽団https://youtu.be/7V0nX9AyFIk?list=RD7V0nX9AyFIk　交響曲第８番　　全楽章　ワルター　コロンビア交響楽団]]></summary><author><name>stessa</name></author><published>2025-10-25T22:36:42+00:00</published><updated>2025-11-01T02:22:36+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<h2>秋も深まってきました。夕暮れ時、地面に舞う枯れ葉を見ながら、一抹の哀愁を感じる今日この頃です。今から６０年以上前のことですが、ヨゼフ・カイルベルトというドイツの名指揮者がいました。ヨーロッパの　　クラシック音楽を牽引する大立者の一人でした。彼はNHK交響楽団の招きを受けて何度か同団を指揮したことがあります。演奏された曲目のほとんどがドイツ・オーストリアの名曲ばかりでしたが、当時のライブ録音を聴くと、まだ発展途上だったN響から、ふだん聴けないような重厚で厳しいドイツ風の響きを引き　出していたことがよく分かります。ある日のリハーサルで「道に舞う枯れ葉のように」という言葉を使いながら、彼が曲のイメージを楽団に伝えていたことを、当時のコンサートマスターが語ったことがあります。印象に残る場面だったのでしょう。<br>曲はブラームスの交響曲第３番の第３楽章でした。この楽章は、フランスの小説「ブラームスはお好き」（フランソワーズ・サガン）を原作とした映画「さよならをもう一度」（’６１)で使われて以来、単独で演奏されることが多くなった作品です。３人の男女の間に揺れ動く想いと葛藤を巡るストーリーの全編にわたって、この切ない第３楽章が編曲されながら使用されています。<br>https://youtu.be/0UL09_Q4b5g?list=RD0UL09_Q4b5g&amp;t=34 ブラームス交響曲第３番　第３楽章　　<br>https://youtu.be/WCBoz0ls57k?list=RDWCBoz0ls57k ブラームス 交響曲第３番　第３楽章　　映画の画像つき<br>https://youtu.be/sw0E1p9tpwM?list=RDsw0E1p9tpwM 同曲 ボサノバ風アレンジ　　　　　　　　 映画の画像つき<br>前月号で、「出すぎた杭は打たれない」という形で何曲かご紹介しましたが、このブラームスの曲もその仲間の一つです。ただ、　　この交響曲は、第３楽章のみならず、４つの楽章すべてが魅力に富んでいますので、できるだけ全曲をお聴きいただきたいと思います。（ブラームスの交響曲は計４曲で、ベートーヴェンに比べて数は少ないですが、どの楽章も「外れ」のない充実したものです。）　https://youtu.be/aynbkhsvs4o?list=RDaynbkhsvs4o交響曲第３番（全曲）　バーンスタイン　ウィーン・フィル　<br>ブラームスは、若き無名時代に同じドイツの先輩作曲家シューマンに見出だされ、世に紹介されました。そこから順風満帆のキャリアを重ね、押しも押されもせぬ大作曲家としての地位を築いていきます。年を経て、彼にも若き後輩を世に送る機会が訪れます。そのお相手は新進作曲家、ドヴォルザークでした。彼はドイツ人ではなく、ボヘミア（チェコ）の出身でした。しかし、その音楽にはドイツ音楽の影響が色濃く出ています。彼は後にアメリカに渡り、交響曲第９番「新世界より」で、よりグローバルな地平を切り開く　ことになりますが、渡米前の作品は、ドイツ風の響きの中にボヘミア魂が躍動し、スイングしています。　　中でも交響曲第８番は、その土俗的な持ち味から「新世界よりも傑作」という声が絶えない作品です。<br>この曲も全楽章が聴きどころですが、中でも第３楽章が群を抜いて人気があります。日本では７０年代後半、CBSソニーのCMでこの曲が流れたことから、その人気に火がつきました。その時使われたのは、同社の所有するブルーノ・ワルター指揮コロンビア　交響楽団の録音でした。ワルターは、先述のカイルベルトよりもさらに古株の指揮者ですが、フルトヴェングラーやカラヤンやバーンスタインなどのレコードが多く出回る前は、日本で最もファンの多い指揮者でした。また、マーラーの弟子としても知られています。　　　　　　　　　　　　　　　https://youtu.be/obacQGFCY2M ドヴォルザーク　交響曲第８番　第３楽章　ワルター　コロンビア交響楽団<br>https://youtu.be/7V0nX9AyFIk?list=RD7V0nX9AyFIk　交響曲第８番　　全楽章　ワルター　コロンビア交響楽団</h2>
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