印象派の先駆者と呼ばれるフランスの画家エドゥアール・マネをご紹介いたします。マネは 1832 年 パリの裕福な家庭に生まれました。海軍兵学校の試験に失敗すると父親から芸術家の道を歩むことを許され、 当初は歴史画家に師事しました。1859 年以降は公式美術展覧会サロン・ド・パリへの作品の応募を続け、 1861 年に 2 作品の初入選を果たしました。しかしマネのはっきりした輪郭や平面的な色面で描かれた作品 は当時のサロンでは非難にさらされます。
1863 年にナポレオン 3 世の考えにより、サロンの落選作品を集めた落選展が開かれ、そこにマネの落選作品「草上の昼食」が出展されました。しかし裸の女性が着衣の男性と談笑しているという主題が風紀に反すると非難を浴び、スキャンダルとなります。さらにその後サロンに出品して入賞した「オランピア」はパリの娼婦を描いたものであったためこれも大きな批判にさらされました。
その頃マネはパリのバティニョール地区にアトリエを持ち、近所のカフェ・ゲルボワで多くの時間を過ごしていました。そこにモネやルノワールなど若手画家も集まるようになり、彼らはバティニョール派と呼ばれるようになります。モネが生活困窮に陥った時にはマ ネが経済的援助もしています。
1870 年に勃発した普仏戦争ではマネは国民軍に入隊しました。
戦後、バティニョール派の画家たちがグループ展を立ち上げ、それが「印象派」と呼ばれるようになりまし た。マネは批評家からは印象派のリーダー格と目されていましたが、本人はサロン展で成功することを重視 し、印象派グループ展へは参加しませんでした。1880 年頃から病気による左脚の壊疽が進んだため左脚を 切断する手術を受けましたが、その後の経過が悪く 51 歳で亡くなりました。(病名は諸説あります。)
■エドゥアール・マネ(Édouard Manet) 生没年:1832 年 1 月 23-1883 年 4 月 30 日 作品タイトル:「草上の昼食/The Luncheon on the Grass」1863 年製作(当初のタイトルは水浴) オルセー美術館(パリ・フランス)所蔵作品
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