寡作で有名なオランダの画家ヨハネス・フェルメールが人生を通して描いた作品はわずか 45 点。その中で現存しているのはたった 35 点です。フェルメールは 1632 年にオランダのデルフトに生まれます。父親は宿屋と画商を仕事としていました。その影響もあってフェルメールは絵の修業をしていたと推測されます。
1653 年に裕福な母を持つカタリーナ・ボルネスと結婚して画家として生計を立てはじめます。その後、義母と同居を始めますが、その理由としてフェルメールには 15 人(うち 4 人は夭折)も子供がいて生活のためだったようです。さらに父親の死後は実家を継いで宿屋を経営し、その収入や、裕福だった義母やパトロンのおかげで、純金とほぼ同じぐらい高価だった青い絵の具ウルトラマリン(ラピスラズリ)を惜しげもなく絵に使用できました。
下の絵のターバンの部分がその絵の具で描かれており、フェルメール・ブルーとも呼ばれています。しかし 1670年代になると英蘭戦争が勃発したことでオランダの国土は荒れ、経済が低迷して、彼の義母も裕福でなくな り、オランダ絵画市場も大打撃を受けました。彼の絵も一枚も売れなくなり、まだ未成年だった子供たちの 生活のために、抱えた負債をなんとかしようと必死で駆け廻りますが、1675 年にデルフトで死去しました。 享年 43 歳。彼の死後、妻カタリーナは破産し、彼の死から 12 年後に 56 歳で死去しました。
■ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)
生没年:1632 年 10 月 31 日—1675 年 12 月 15 日 作品タイトル「真珠の耳飾りの少女」1665 年制作 マウリッツハイス美術館(オランダ)所蔵
この絵はフェルメールの死後競売にかけられて所有者が転々とし、1881 年にはオークションで、わずか 2 ギルダー30 セント(およそ 1 万円)で売買されました。その後マウリッツハイス美術館に寄贈されたあと 何度も丁寧に修復され、現在の価格は 100 億円とも 150 億円ともいわれる名作です。
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