印象派を代表する巨匠、ピエール=オーギュスト・ルノワールです。
1841年、フランス中部のリモージュで仕立て屋を営む労働者階級一家の6番目の子供として生まれました。1844年に一家でパリへと移り、1854年から陶器の絵付職人として奉公に出ますが失業。家計を助けるためにペンキ職人などをし、20歳の時に画家になる決心をして画塾に入ります。そこでモネやシスレーら、のちに印象派と呼ばれる画家達と出会います。1864年、画家としての登竜門であるサロン(官展)に23歳で入選。
1874年、モネやピサロら画家仲間と第一回印象派展を開催します。しかし当時主流だった写実的な絵画とは全く違った印象派の絵は批評家などから酷評され、作品は殆ど売れませんでした。その一方でルノワールの絵を理解する支援者も現れて少しずつ生活は上向いていきました。貧しかったルノワールは経済的見通しも考慮してサロンへと再度応募、入選するようになり、印象派展からは徐々に離脱していきました。1880年頃から色彩や輪郭があいまいな印象派の技法に疑問を抱き始め、イタリア旅行をきっかけに古典主義を探求して作風を変化させていきます。
女性との関わりが多かった事でも有名なルノワールは1885年にモデルのアリーヌとの間に長男が生まれ、その後、結婚して家庭を築いています。1888年頃にリウマチ性関節炎に襲われ、冬は南仏で療養するようになりました。その影響で1890年以降は温かい暖色の色調で女性の裸体画を多く描いています。1900年のパリ万博にはルノワールの作品が11点出品され、同年レジオンドヌール勲章を受勲。名声を馳せていきました。
晩年は体調がさらに悪化し、1911年には車椅子生活を余儀なくされますが、それでも痛みに耐えながら手に絵筆を縛り付けて作品を描き、最後まで精力的に制作を続けました。享年78歳。
2012年、アメリカのバージニア州に住む女性が蚤の市で7ドルで購入した小さな絵がルノワールの作品と判明。オークションの予定落札価格はなんと10万ドルが設定されました。また1990年に日本の大昭和製紙が入手したルノワールの大作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のオークション落札価格は7810万ドル(約119億円)でした。
■ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)
生没年 1841年2月25日-1919年12月3日
作品タイトル「The Luncheon of the Boating Party/舟遊びの昼食」 1881年製作
フィリップス・コレクション(ワシントンD.C.)所蔵
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