ポール・セザンヌ

フランスを代表するポール・セザンヌは、1839年にフランス南東部エクス・アン・プロヴァンスの裕福な商人の家に生まれました。10代後半から画家になりたかったセザンヌは、厳しい父親を説得し、1861年に大学を中退して絵を描くためにパリに移り住みました。しかし一旦は父親に呼び戻されて父親の所有する銀行で働くのですが、一年後に再びパリへ行き、本格的に画家として活動を始めました。その3年後にサロンに作品を提出しますがすべて落選でした。人生を通して計8回もサロンに作品を提出しますがすべて落選でした。これは当時の印象派の画家達の中でも最多の落選回数です。
30歳の頃に絵画のモデルをしていたオルスタンスと知り合い同棲を始め、後に二人の間に子供ができて結婚しました。1874年モネ達と共に「第一回印象派展」に参加しますが不評に終わります。そして1878年、印象派に行き詰まりを感じたセザンヌは独自の手法を探るため故郷エクスに戻りました。43歳の時、ついに待望のサロン初入選を果たします。しかしこれにはサロン審査員の友人の裏手引きがあったようです。後年父親の遺産を相続して経済的に安定し、政策に没頭できるようになり、この頃からセザンヌに対する評価が高まり始めます。
1906年戸外で制作中に嵐にあって体調を壊し、それがもとで肺炎を起こし10月22日、エクスのアパートで死去。享年67歳。パリにいた妻子はセザンヌの最後に間に合いませんでした。
■ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)生没年 1839年1月19日- 1906年10月23日
 作品タイトル「サント・ビクトワール山 /Mont Sainte-Victoire」1885-87年製作 
 ニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵