キューバ旅行記【さあ、キューバへ】

【さあ、キューバへ】
2016 年 2 月 5 日午前 3 時 30 分、先発の 17 名(2 日後、後続 4 名が合流して、総勢 21 名)がバンクーバー空港に集合。外はまだ夜明け前。ここから 1 週間のキューバ旅行が始まりました。
ボーイング 737-800 という、およそ 150 席の飛行機で、7 時間半かけてキューバのバラデロ空港に到着。途中ケローナに降り、たくさんの乗が乗り込んできました。バンクーバーを出る時には、われわれグループの他には乗客はわずかにちらほらいるだけでしたので、9 割ほどの乗客はケローナから乗ってきたことになります。ここで 1 時間ほど止まっていましたので、キューバのバラデロ空港まで実質 6 時間半ほどのフライトだった事になります。
【バラデロのリゾート】
時差は 3 時間。早朝にバンクーバーを出たのに、バラデロに到着したらもう夕方でした。キューバ島は北緯 20 度くらいなので立派な熱帯なのですが、肌寒いほど涼しかったです。小雨も降っており、南洋の島に来たという実感はまったくありませんでした。そしてホテルでチェックイン。Memories Varadero Beach Resort Hotel という、キューバ島の北側で、メキシコ湾と大西洋に面した半島の突端にあるリゾートホテルで、ものすごく広大な敷地に 30 数棟のコテージが点在しています。建物の一つ一つは 3 階建てで、1 棟 50 室くらいはあったかもしれません。
従って、仮に満室だとすれば 3,000 人以上の宿泊客がいる事になります。事実、われわれがよく食事をした一番大きなバッフェ・レストランにはいつも 500 人くらいの人々がいたような記憶があります。
【旨いカクテル、モヒート】
ホテルの敷地のはずれが海岸なので、かぁ~っと晴れていたらどんなに良いだろうなぁ、と思いながらも、何回か海岸に出てみました。風が強く遊泳禁止の赤旗がいつも翻っていましたが、この海の向こう、およそ 150 キロのところには厳しい経済制裁を課していた米国のフロリダ半島があるんだなぁ、と思うと、その近さになんだか不思議な気分でした。
この浜辺にある小屋でもハンバーガーやホットドッグを作ってくれたし、モヒートというカクテルも作ってくれました。モヒートはキューバ特産のラム酒をベースに、ミントの葉をすりつぶして入れたお酒です。お天気はあまりよくなかったのですが、みんなで食事をしたり、飲んだり、おしゃべりしたり、散策をしたりと、楽しい時間を過ごす事ができました。
ホテルの敷地内にはさまざまな施設が点在し、いろいろなプログラムが催されていました。プール、ショウ劇場、そして日本料理などのアラカルト・レストラン、24時間営業のカフェテリア等々。最初の頃はあまり広すぎて、どこに何があるのかさっぱりわからず、ホテルでもらった地図を片手にうろうろ歩いたものでした。夜は灯りが無いので地図さえ見る事ができず、迷子になった事もありました。
【お湯の出ない部屋】
ホテルの設備には若干問題のある部屋もあって、お湯が出ない、バスタブにお湯をためるとどこからともなくそれが漏れてくる、ベッドのスプリングが正常でない等々の苦情が出た部屋もありました。何とか直ったところもあったし、部屋を変えてもらったところもありましたが、まぁ、「これも、キューバだから」という事で、諦める事にしました。
【ハバナ観光】
途中、2 月 8 日には、みんなで首都ハバナへバスで行きました。貸切の綺麗なバスにガイドさんも同乗しての、One Day Trip です。ハバナはホテルから約 140 キロ離れていて、バスで2~3 時間かかります。途中ガイドがキューバの歴史、産業構造、地理など興味深い話をたくさんしてくれましたが、その英語による説明を井上正康さんと田中秀子さんがわかりやすく日本語に直して説明してくださったおかげで、本当によくわかりました。感謝します。
【キューバの歴史】
キューバ島は 1492 年 10 月にコロンブスの第 1 次航海で発見されたのだそうですが、ガイドによればその後のスペイン人によるキューバ征服と植民地化の有様はひどいものでした。まずは原住民たちを殺戮しつくし、スペイン人の島にしてしまったのだそうです。その数千にも及ぶ死体を放り込んだという入江があり、そこは「殺戮の海」と現在でも呼ばれているそうです。
その後サトウキビのプランテーションでの労働力としてアフリカから奴隷が運び込まれ、今に至っているようです。ヨーロッパ人と原住民(南米のような、おそらくはアジア系)の混血というより、生粋のスペイン人とまったくの黒人、と言った感じの人が多かったという印象がありましたが、こうした歴史の反映かもしれません。
【貧しくても明るい街】
ハバナの街ではスペインの建築様式を残す古い建物が多く、あたかもヨーロッパの古都のような雰囲気を醸し出しているようでした。革命広場に建つ近代的なビルにはキューバ革命の旗手のひとりであるチェ・ゲバラともう一人の革命家のモニュメントが壁一杯に掲げられていました。そしてその下には、1950 年代を思わせる古いアメリカ車が何台も並んでいました。たぶん、タクシーではなかったでしょうか。
ハバナの街を見るにはこの 1 日観光ではまったく時間が足りません。例えば、1959 年 1 月 1 日にハバナ占領を果たして革命政権が樹立された前後の歴史やそれにまつわる貴重な資料など、もっともっと時間をかけて見てみたいものだとしみじみ思いました。それでも、たまたま晴れ上がった素晴らしいお天気の中でのそぞろ歩きは素晴らしいものでした。あまたの社会主義を標榜する国々の中で、唯一成功に近いのではないかといわれるキューバの、その貧しくても明るい雰囲気を感じ取れた事は、しっかりと思い出に残りました。
【ロブスター、サトウキビ、そしてゴルフ】
他にも近くのバラデロの街でキューバ名産のロブスターを楽しんだグループや、サトウキビ畑とラム酒の製造を見学した人々、ゴルフを楽しんだ人々など、おもいおもいで楽しい時間を過ごしました。それでも滞在期間中 3 回はアラカルトのレストランを予約して、全員で会食を楽しみました。どれも素晴らしい思い出として残っています。
【旅の成果】
今回は 21 名の皆さんが参加されましたが、その平均年齢はなんと 75 歳でした。皆さんはそんな年齢を感じさせないほどお元気で、それが桜楓会の素晴らしさを物語っていることを実感しました。そして誰一人として怪我をされたり重篤な病気になったりせずに戻って来ることができた事が、何より嬉しい事でした。天候に恵まれたとは言いがたい毎日だった事や、ホテルの施設のメンテナンスに問題があったとはいえ、みんなで楽しい時間を共有し、一緒に食事をしたり飲んだり語り合ったりする事で、お互いによく知り合える事ができたことが、この旅の素晴らしい成果であったと、しみじみ感じています。
(文責:久保克己、 写真提供:井上正康さん)