2014年の秋東京のサントリー美術博物館で凄い仏師に出会った。 羽田に着き直ぐに駆け付けたのが鎌倉時代の大仏師運慶展であり、運慶作品の内高野山にある仏像全てを一同に観せていたのである。非常に気に入ったので帰国寸前に再度訪れて楽しんで帰国した。この時から高野山に興味が出はじめたと思う。同時に仏像を鑑賞して熱心に祈る人々とは異なり、私は館内で鉛筆を借りてスケッチに熱中した。仏像達を描くと通じる物が有り興奮してくる。キリスト教会等でも人々の信仰心の滲む特殊な雰囲気を感じると心が高まる。
日本の美術館や神社仏寺などでは写真厳禁、スケッチ禁止など警備員が厳重に監視して居て、絶対にイメージを持って帰れない様になっている。仏像達の印象や詳細を記憶するしか無いのである。従ってスケッチが許される施設が有れば其処では鉛筆を貸して居てそれのみを使わせるほど厳しいのである。又、長居は出来ないシステムにもなっている。日本の評判の展覧場は人がお互いぶつかる程必ず混んでいることも一要因であるとは思う。運慶に惚れ込み柱の影で絵を描いていると其処でも数分間ぐらいしか無い。
日本の人々は変わった事をしている人を嫌うのだろうか。プロは私の様な気遣い無しに許可証を貰い、特別の日時を選んで絵を描いたり写真を撮ったりするのだと思う。
カナダでも勿論同様な制限はあるのだが、Vancouver 美術館では水彩画は出来ないがスケッチなどは自由に許している。学生達は写生したりノートブックなど持って勉強している。そういう事情で私の場合は添付の様な素早い鉛筆素描画がその場で生まれる。少々乱暴だが此れ等の生体験記録は何時迄も自分の側に残る事が良いと思う。 当展覧会で、高野山から来た八童子、不動明王、空海坐像など仏師運慶及び慶派の平安鎌倉時代の仏師達の作品の一部でも鑑賞出来て素晴らしいと感じた。
数年前の仏像展で高野山金剛峯寺の事を更に深く知り、空海の眠ると言われる奥の院を昨秋訪れることが出来た。奥の院は裏に森があり弘法大師(空海)の御廟を白木の門前で拝む。続く礼拝者の波が称えるお経の声と信仰者の息使いが始終流れて来る最丁点である。奥の院は聖域であり木の橋を超えると写真撮影、大声など禁じられている。毎日二度特選された僧侶達によって食事が運ばれて入る聖域とされている。その域に入る地点は如何にも空気が違う。裏山ある女人道に沿って登ってはみたがやはり下の御廟は森の中には見えなかった。 御廟で声を出して称えるのは「南無大師遍照金剛」であった。その後私は苦しい高野山周辺諸所の山登りにも自然に口にして居た。古い杉木立の道を抜けて奥の院の裏手に回ると弘法大師御廟への入り口である白木の門が見つかる。其処からは誰も近寄れない。
あっという間に一年経ったが、昨秋にはすでに中国では新型コロナは発生して居たらしい、今後ワクチンの助けで世界が平常に戻るのであろうか? 時空安寧を祈りたい。
不動明王坐像
三鈷を握る弘法大師坐像
八大童子(1)運慶作
八大童子(2) 運慶作
八大童子(3)運慶作
御廟橋から見た奥の院正面(現場写生のうえ自宅にて水彩着色)
Moleskine Watercolor Paper: 10.5 x 11.5 inch. (220x300mm) 135Lb.
0コメント