再びフレイザー河の話に戻ります。
河口に出来る洲は非常に変化に富んでいて流れで出来上がる洲の形だけでなく、この河に流れ込む支流や深い沼沢地が無数ある。それらが流域の景観に大いに貢献していると思う。
サーリッシュ海に流れ込んでいるフレイザー本流は三つの大きな支流に分かれて海に注ぎ込んでいる。
シーアイランド国際空港を形成しているノースアームとミドルアーム両支流、リッチモンド市とスティーブストン町の在るルルアイランド等を抱え込む本流、その南の河洲にはウエザムアイランド等の野生生態系の巨大な研究保護地域、南隣のエスキアム原住民族の居住地区等が連なる。
今秋、僕はスティーブストン町西端にあるゲリーポイント公園を再訪問して昔の沼沢地であった公園の西端で安宅家のボート工場があった狭い長細いスラウ(沼沢地)を歩いて一枚絵を描いた。
アタギの船は非常に良質で評判が良かったそうだ。最近日系人女性に会ってお父さんがアタギの漁船を持っていたと自慢気であったのを知った。アタギが栄えたのは20世紀初頭から1942年までの事で、その昔スコットランド人が缶詰工場を経営して成功していた沼沢地が海からの唯一の進入路であったのだ。現在はスコッチポンドと観光地点に名前が付けられている。アタギの案内板もあり、当時の水杭も残されている。
先回に書いたフレイザー河エステュアリーの岸辺を歩いた折、朽ち果ててはいるが連なる水杭をみてどうもこの辺りには一時は日本人が住んでいたな?という感が頭を掠めたが、調べてみるとこれはスティーブストンの対岸近辺でライセンス持たず漁業をしていた形跡であろうと想像されて居るらしい。
国立野生生態研究公園のトレイル何処にも日本人については何の解説も見当たらない。
その後、ウエッブサイトで見つけたある一枚の写真で日本人の船らしきものがエウイン・スラウで発見された事を知った。カナリー博物館長の堀田さん(大河内)の話でその事は確認出来た。先日冬のスタヂオでその朽ち果てた船体のイメージを残そうと小さな水彩画を描いてみた。
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