2月24日(月)、桜楓会の教養講座「疑え!そこの常識」が開かれました。講師は広報役員の丸尾が務めました。
今回はこれまでと違い、オンラインでの開催に加えて夜7時からの開始となりましたが、会員と会友を合わせて28名の方にご参加いただきました。今回のテーマは、「芸術の鑑賞における知識と想像力」についてでした。
<プログラム>
史上最悪の王妃
巷間伝えられるマリー・アントワネットのイメージは、悪意と敵意から作られた虚像であるが、噂や流言によって思考停止に陥った民衆により、彼女は革命のいけにえとなった。現代社会においても何ら変わらぬ人間の思い込みや刷り込みの姿から想像力の重みについて考える。
画家の固定イメージ
「ヴィーナスの誕生」のボッティチェリや、アール・ヌーボーのポスターで人気のあるミュシャたちが晩年にたどりついた別人のような作風などから、画家の固定化したイメージについて考える。
カラーでよみがえる過去
興福寺の阿修羅像やギリシャのパルテノン神殿などの、今の姿とは全く異なる創建当時のカラフルな復元像から、目の前に見ているものと「思い込み」について考える。
ゴッホ
ゴッホの絵画を「大芸術家だから」と盲目的に愛好するのではなく、哲学や神学などの面から洗い 直しをして見つめ直す。
アールブリュットと病理
精神的な病理をかかえていたゴッホの姿から、他の芸術家における病的な面と創作の関係についてまた障害者の生み出すアート作品から嘘のないひたむきな表現について考える。
日本人画家 浜田知明
大戦中、兵士として地獄のような辛酸を舐めた画家が、戦後、常識に抗う姿勢で愛と性と死を 大胆に描く姿から「人間の真の姿は陰の部分にあり」という境地に至るまでの過程を追う。
参加者の感想
昨夕の教養講座は大変楽しみました。丁寧に行き渡った講義内容に、まるで美味しい料理を食べさせてくれるシェフの姿を感じました。大小の「疑」のお話を聞き、プレゼンターの知にますます興味を持ってしまいます。今回の話の中で、色々な障害・苦難に面した多くの画家の仕事を見せていただきましたが、素晴らしい切り口でした。西洋の戦場画家達、戦争当時者達にも多くの巨大作が見られますが、講義内の日本人画家(※浜田知明)がその苦難の ために考え、それによって絵が変わったという点も印象的で見事です。今後の講座も期待しています。遠く離れていても近いです。(会員)
芸術家として大成するには狂気が必要か否か?という点については、昔から興味を持っておりました。古今東西、大作家に自殺者が多いのも同様の話かと思いますが、芸術が人を狂気に駆り立てるのか、狂気が大成につながるのか。さらにこれらは政治家にも言えることではないか?などと思っております。「視点を変える」というのも面白かったです。「それは知らなかった、 気付かなかった」という思いで拝聴しておりました。次回も同様の機会があれば、参加させて頂きたいと思っております。もし可能であれば、日本人と西洋人の間での、芸術における評価の違い(草間弥生さんは日本ではあまり知られていない ように思われますが、カナダでは多くの人が知っておられて驚いたことがあります。)逆に、日本ではこの絵画は人気があるが、海外ではあまり評価されていないというようなお話があれば、面白いなと思っている次第です。テーマの一つに入れて頂けると幸甚です。(会友)
事前のご案内文から、非常に興味深く拝読し、楽しみにしておりました。 冒頭のマリー・アントワネットをめぐる話題は、まさに昨今の多くの事件や醜聞をも思い起こさせる時宜を得たテーマと受け止め人々の思い込みや時流の中での先入観に飲み込まれる恐怖について、改めて認識しました。美的評価以外の政治的意図によって一度宮廷に保管されれば、必然的に後世に残り、そこに様々な称賛の言葉が積み重なると、徐々に不動の地位が付与されていく。そのようなことはいくらでも起こるのではないかと思うことがしばしばあります。 そもそも普遍的な美を定義することも容易ではないでしょうし、結局は時代や地域の影響下で、人々は何を楽しむかということに過ぎないのかもしれず、難しいことではあると思いますが、既存の評価や位置づけを疑うことも含め、思考や感覚を徹底 して自由にしていくことの重要性、あるいはその営為の楽しさというものを改めて考えさせていただきました。先週末、ちょうど偶然に山田五郎氏のYouTube番組で、アルフォンス・ミュシャの話を聞いたところだったのですが、墓地の プレートに2人のクーベリックとともに彼の名前が刻されていることは昨夜初めて伺い、チェコという国に改めて強い関心を抱き ました。ミュシャは日本人に好まれる作家ではありますが、人気があるのはポスター系の装飾絵画であって、国民画家としての 晩年の大作などはほぼ知られておらず、この作家に限らず、その全貌を正面からとらえることの難しさも感じました。ジェズアルドや浜田知明等々、今回も初めて知る名前が続出し、マニアックな(?)新しい世界に目を開いていただきました。 ブルックナーとシューベルトの関係の逸話も初めて伺いましたし、実に私は知らないことばかりです。様々な問題意識の喚起も含め、この度も本当にありがとうございました。次回も参加させていただければと念じております。(会友)
進行も資料も題材もPC進行もいい!この丸尾さんの講座自体が一つの作品、完成品でした。講座の中で私は心の中で「あっ!」と歓喜した時がありました。それはゴッホのブーツの絵が現れた時でした。私はゴッホの絵の中でもブーツの絵がたまらなく好きなのです。ゴッホは農民や労働者の過酷な労働や生きざまを描くことに強い関心を抱いて いたのでしょう。汚れ、使い込まれたブーツは厳しい労働の日々や持ち主の人生を物語る象徴です。履き古されたブーツは彼の人生が苦難の連続であり、経済的困窮や不安や孤独だったことのメタファーではないかと推察します。彼にとってこのブーツは、単なる物質ではなく、それを履く人間の生活や労働、人生の艱難辛苦を示す象徴的なメッセージを投げかけています。数多くのテーマがあるのに、今回のテーマの一つに、この絵への私の価値観と同じ波長で丸尾さんがゴッホのブーツを選んで くれたのはほんとに感動でした。今回の講座の一番うれしかった瞬間です。人生に栄養をもらいました。丸尾さん、ブラボー!(会員)
他にも、講座の後でアメリカの美術館に行かれた方から「教養講座の話を思い出しながらゴッホを見ています。」というお便りを いただきました。
(記 丸尾豪司)
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