寛政三美人

美人画で一世を風靡した喜多川歌麿の代表作のひとつ「寛政三美人」(版元:蔦屋重三郎)です。
浮世絵といえば葛飾北斎と並んで世界的にも有名な歌麿ですが、その生まれた年や出身地などは不明な点が多く、没年53歳(かぞえ)から逆算して宝暦3年(1753年)生まれといわれています。
背景を省略して※雲母摺を施し、女性の顔をクローズアップで描いた「美人大首絵」構図を考案、それが大ヒットし、彼を浮世絵美人画の第一人者と位置づけました。
この絵のモデルは当時実在した娘たちで、奥が吉原芸者で富本節(三味線)の名取りの富本豊雛、手前右が難波屋おきた(16歳)、左が高島おひさ(17歳)で、どちらも水茶屋の看板娘でした。一見同じように見える顔ですが、よく見ると吊目がちなおきた、つぶらな瞳でぽってりと丸いおとがいのおひさ、正統派美人顔の豊雛と、巧みに描き分け、着物や持ち物などでモデルの性格や日常までも表現しようと試みています。
しかし時代は老中松平定信のあの寛政の改革(1787年〜1793年)へと移り、歌麿は文化元年(1804年)に風紀取締りの処分を受けて手鎖50日の刑に処せられました。そしてその2年後に過労のためこの世を去りました。享年53歳。
後年、作品の多くが海外に流出し、特にボストン美術館は喜多川歌麿の浮世絵383点を大変良いコンディションで所蔵しています。
※雲母摺(きらずり)とは=雲母、もしくは貝殻の粉を使って背景を一色で塗りつぶす技法。一見灰色一色に見えますが、光が反射することできらきらと輝きます。