深川洲崎十万坪

歌川広重の「名所江戸百景」から傑作の一つといわれる「深川洲崎十万坪(ふかがわすさきじゅうまんつぼ)」をご紹介します。
ここに描かれている洲崎(すさき)は現在の東京都江東区東陽一丁目辺り。
絵の上部にはまるで下界を包み込むように雄々しく羽をひろげた大鷲。反面、下界には雪が舞い、遠くの筑波山まで続く寒々しい大地と海。よく見ると波間には棺桶が意味ありげに浮かんでいます。
元禄年間(1688~1704)、江戸城への運搬船の水路として河川を整備し、その河口付近の湿地帯を塵芥で埋め立ててできたのがこの地域です。 当時はここに洲崎弁天があり、景勝地として、潮干狩り、舟遊び、初日の出などで江戸っ子たちから好まれた場所でした。ところが寛政三年(1791年)、この一帯を台風による津波が襲い、家屋を飲み込み、多数の死者が出る大惨事が起きました。それ以降は幕府が高潮に備えてここを居住禁止区域としました。
広重がこれを描いたのは災害から65年後のこと。絵の左側には家屋の屋根や材木が立っているのが見てとれます。復興も終わり、日々の賑わいが普段の日常となるにつれ忘れ去りがちな遠い過去の惨事を、作者は大鷲からの鳥瞰図というダイナミックは手法で、警鐘の意味を込めて描いたのではないか、という説もある興味深い作品です。