またしてもミャンマーが政変に揺れています。スーチーさんの拘留も、軟禁を含めてこれが何度目のことでしょうか?
対立と和解の間に揺れてきた軍部と民衆。今度はどのような結末に至るのか。今、世界が見つめています。
この「対立」と「和解」という二つの言葉に、ミャンマーの旧称「ビルマ」を掛け合わせると、そこに一つの歌が浮かんできます。「埴生の宿」です。
「home sweet home」を原題に持つイギリス生まれの「埴生の宿」は、小説「ビルマの竪琴」の中で重要な役割を演じています。第二次世界大戦末期、ビルマの村落で、進退窮まった日本軍の部隊と彼らを包囲するイギリス軍との間で歌われるのが「埴生の宿」で、日本語と英語の異なった歌詞ながら、両者が同じメロディーを唱和して一時的な和解を見るというのが、この小説のヤマ場の一つです。
この物語はもちろんフィクションで、この場面も一見荒唐無稽なものに思えます。
しかし、実はこのシーンの元になったと思われる史実がいくつかあります。一つはアメリカの南北戦争でのエピソードです。
同じ国民どうしが北軍と南軍に分かれて、川をはさんで対峙する夜の戦場に、一人の兵士の奏でるラッパのメロディーが響き渡りました。それを聞いた対岸の兵士たちが手持ちの楽器で演奏に参加します。やがて川の両岸での合奏となり、両軍の兵士の目には涙が光っていたというもので、この時演奏された曲が「埴生の宿」でした。
もう一つは第1次世界大戦中のクリスマスイブに起きた出来事です。
「♬きよしこの夜…」イギリス軍兵士の耳にあのクリスマスキャロルが聞こえてきました。塹壕の中からにらみ合うドイツ軍からの歌声です。ドイツ語のその歌にイギリス軍も英語で唱和。これを機に両者とも自主的に銃を置いて交流し合ったという「クリスマス休戦」が、この日、戦場の各地で自然発生していました。両国の兵士たちは故郷の家族の写真を見せ合い、照明弾の下でサッカーに興じたそうですが、日英の部隊が登場する「ビルマの竪琴」にも、見知らぬ者どうしが写真を見せ合う場面が描かれています。作者の竹山道夫はこれらの事実を知っていて、それを小説の構想に盛り込んだのかもしれません。
「埴生の宿」という言葉は「土で作ったみすぼらしい家」という意味ですが、この曲はもともと19世紀イギリスの作曲家ビショップの歌劇「ミラノの乙女クラリ」の中で歌われるアリア(歌)でした。片田舎出身の女性が貴族に見初められ婚約したまでは良かったものの、上流社会になじめず、たとえ粗末でもぬくもりのある故郷のわが家(sweet home)を偲ぶという歌詞です。
やがてこの歌だけがオペラから離れ単独で歌われるようになり、さらにアメリカに伝わったことで一躍グローバルな人気曲となりました。大ヒットの秘密は、世界中から新大陸に渡った人々が、この望郷の詞に自らを重ねてさかんに歌ったことにあるようで、移民の国アメリカならではのお話です。
「ビルマの竪琴」を生涯二度に渡って映画化したのは市川崑監督ですが、同氏のドキュメンタリー映画「東京オリンピック」は、アニメ「千と千尋の神隠し」に破られるまでの36年間、観客動員数第1位を誇っていました。今年の「東京オリンピック」は、カンヌ映画祭受賞者の河瀨直美が映画化の監督を務めますが、その前にそもそも大会自体が開催されるのか、ミャンマー政変とは別の意味で今、世界が見つめています。
https://youtu.be/Spe80whBRBM 「埴生の宿」ダークダックス 竪琴(ハープ)伴奏付き
https://www.youtube.com/watch?v=v11APy5ivVg 「Home sweet home」と「埴生の宿」(連続歌唱)
https://youtu.be/-7USDR9ka60 映画「ビルマの竪琴」 (抜粋)
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