津田佐江子さんが旭日小綬章を受章

会員であるわれらが津田佐江子さんが旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)を受章されました。これは、かつては勲四等旭日小綬章と言い、天皇の名で授与される大変名誉な勲章です。津田さん、本当におめでとうございます。心からの祝意を表したいと思います。旭日章は「社会の様々な分野における功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた者を表彰する場合に授与する」と定められていて、津田さんの場合には「日本とカナダとの相互理解促進に貢献した功労」が認められての受章となりました。

津田さんが社主を務められたバンクーバー新報は1978年12月16日に、バンクーバーの津田さんの自宅のベースメントで産声を上げました。その後紆余曲折を経てパウエル通りの、かつての日本人街の名残をとどめる一角に落ち着きました。当初は手書きのガリ版刷りで無料配布だったそうです。バンクーバーに寄港する貨物船や、のちには飛行機でやってくる旅客が持ち込む日本の新聞を収集し、それらを編集して日系人の方々に提供していたと聞きます。日本語のニュースが無かった時代に、ここに住む日系人たちにとってはどんなに懐かしく、楽しみな存在であったことでしょう。

爾来41年余り、バンクーバー在住の日系人のための新聞としてスタートしたバンクーバー新報はその後カナダで最も読まれている邦字新聞にまで成長しました。誌名も「バンクーバー」から「晩香波」、「晩香坡」そして今の「バンクーバー新報」に変わりました。しかし、2020年4月30日号を最後に、紙媒体によるバンクーバー新報は廃刊となり、その後はオンライン版に移行して現在に至っています。バンクーバー新報は1年間52回発行するのだそうですが、この41年と3カ月の間、一度も休刊も記事無しの白ページも無かったという偉業を成し遂げています。
まさに「継続は力なり」と言うにふさわしく、バンクーバーの日系コミュニティにしっかりと根を下ろしています。

バンクーバー新報が創刊された1978年という年は日系社会にとっては実に活気に満ちた時代のただ中に有ったようです。カナダの移民法が1967年に改定され、それまで日本人には固く閉ざされていたカナダ移民への道が開かれて、技術力やその他種々の能力に溢れる日本人の若者たちがどんどん移民としてカナダに渡ってきた時代でした。バンクーバー新報創刊の一年前の1977年は日系移民100年祭が企画実行され、今も続くパウエル祭が始まり、3年前の1974年には隣組も結成されています。我々の桜楓会が設立されたのはバンクーバー新報創刊7年後の1985年です。ちなみにこの時代、最低賃金は時給2.75ドル、一戸建ての家はだいたい5万ドルで買えたと聞きます。
社主だった津田佐江子さんは新聞社の運営にとどまらず、多くの日系コミュティとの深い係わりを保ってあちこちで活躍されてきました。ソフトボール大会の創設や運営、カラオケチャンピオン大会、大相撲カナダ場所やNHKのど自慢大会の誘致などへの尽力等々と枚挙にいとまがありません。そうした日系社会への貢献や日本とカナダの友好親善関係への寄与を高く評価されて、平成26年度(2014年)外務大臣表彰を受賞されています。
大きく様変わりしてきた時代を忙しく駆け抜けてきた津田佐江子さんですが、これからはゆっくりと、楽しい桜楓会のイベントの中でお過ごしいただきたいと願っています。津田佐江子さん、受章本当におめでとうございます。     (記:久保克己)