芭蕉は忍者?ベートーヴェンは危険分子だった? 一年遅れのメモリアル

歴史には「珍説」というものがあります。                                            
根拠や傍証には乏しく荒唐無稽と思われながらも、昔から人々の間でまことしやかに語り継がれてきた伝説の類です。
曰く「平泉で自害したはずの源義経は、実は死んでおらず海を渡って大陸に逃れた。その後、彼はジンギスカン(チンギスハン)となって元寇を引き連れ日本への復讐を企てた」「イエス・キリストの墓は青森にある」「モナ・リザはダ・ヴィンチの自画像である」「アポロ宇宙船は月に行っていない」等々。

  

どれも強いインパクトがあって、たとえ決定的と思える反証が現れても、依然としてそれを信じる人がなくならないのが、これら珍説の特徴です。有名なネッシーの写真も、撮影者の告白によって捏造であることが判明してから長い年月が経っていますが、それでも、ネス湖(スコットランド)には古代の恐竜が生き延びているということを信じて疑わない人が後を絶ちません。
そういった珍説の一つに「松尾芭蕉は忍者だった」というものがあります。
こちらは、信頼度の点では他の説よりも少し高くなるようですので、グレーゾーンの珍説というところでしょうか。
忍者と言っても、黒ずくめの衣装で天井裏に潜んで手裏剣を投げるというような、時代劇によく出てくる代物ではありません。そういうイメージは「下忍」と呼ばれる下級忍者のもので、「上忍」と呼ばれる上級者は、一般市民としての顔を持ちながら隠密として暗躍するという存在です。芭蕉は、その上忍だったというのがこの説で、言い換えれば、芭蕉は「スパイ」だったということになります。
彼が江戸幕府のスパイだったという説は、畢生の大作「奥の細道」を生んだ奥州北陸への旅にも、そのいくつかの根拠や傍証があると言われています。曾良という名の、芭蕉に同行した弟子が旅の中で取った不自然な行動の数々や幕府の要職に就いた彼の後半生、江戸幕府と伊達藩(仙台藩)との長年に亘る確執、「奥の細道」の中でピークを形成すると言われる「平泉」のくだりが、解釈によっては「戦争回避・平和祈念」と読むことが可能なことなどで、他にもまだまだあります。とりわけ仙台城を訪れた彼らが、いくつかある入城門の中でも、特別なゲストを迎える時にしか開かれない門から入城したという事実は、一介の俳諧師だったはずの彼らが、実は幕府からの重大なミッションを携えた特使であった、と考える向きもあるようです。
さて、今まで述べた「珍説」に比べると、ぐっと信憑性が高まる説に「ベートーヴェンは危険分子だった」
というものがあります。
この希代の大作曲家は、彼が暮らすウィーン市当局から「危険人物」としてマークされ、ブラックリストに載せられていたというのです。
今述べた芭蕉もそうですが、芸術家というものは「美の求道者」として、日常生活とは没交渉に創作活動をしていると思われることがよくあります。社会や現実には背を向けて、ただひたすら自分との対話や己の世界の中だけに生きているようなイメージです。しかし、現実はさにあらずで、芭蕉やベートーヴェン以外にも、社会や政治や時代と積極的に関り、それを作品に反映させていったアーティストは、枚挙にいとまがありません。
ベートーヴェンの場合、彼の音楽の集大成であり、「喜びの歌」や「第九」の名でも知られる交響曲第9番の中にその大きな傍証を見ることができます。
とりわけそこに暗号のように潜ませた政治的メッセージを読み解くことで、「人間ベートーヴェン」の姿が鮮やかに浮かんできます。
そして、それこそが彼を当局から危険人物扱いさせた理由でもあるのです。
昨年(2020年)は、ベートーヴェン生誕250年のメモリアル・イヤーでした。音楽界は、楽聖生誕を祝うイベントの数々を企画し、その前年後半から大いなる盛り上がりを見せていました。しかし、まるでそれに合わせるかのようにコロナの脅威が勃興。彼をめぐって世界のあちこちで盛り上がるはずだった昨年は、ベートーヴェン関連の多くのコンサートやイベントが中止の憂き目に遭いました。地元のVSO(バンクーバー交響楽団)も大物演奏家を何人も招聘し、さまざまな意欲的企画を立ち上げて力を入れていたものの、すべてが竜頭蛇尾で終わってしまったことは、彼らのファンとしても残念至極です。
そういったこともあって、今後はこの投稿欄をお借りしながら、一年遅れの「ベートーヴェン・メモリアル」をいくつか書いてみたいと思います。
次回は、先ほど述べた「第九」に託した政治的メッセージなどを中心に……。