落語的ホラーソング  魔王 シューベルト


最近は英語バージョンでの海外公演も見られるようになった落語ですが、カナダではまだ気楽に日常接することはむずかしいようですね。
落語の魅力の一つは、たった1人の噺家が語りと所作だけで、何人もの役を演じ分けることです。有名な演目「寿限無」でも「ご隠居・父・母・近所の子ども」の4役を1人で演じるのが通例となっています。  

この落語のように、クラシック音楽の中にも1人の歌手が何役も兼ねる作品があります。その代表がシューベルトの歌曲「魔王」です。
風が吹きすさぶ夜半、馬に乗って原野を駆け抜ける父子がいました。幼い息子がおびえながら語る「暗闇の中の恐ろしいものが、自分を連れ去ろうとしている」という言葉を父は意に介さず、そのまま馬を走らせますが、家につくと、その言葉どおり息子は息を引き取っていたという曲です。恐怖に満ちた子どもの声と、猫なで声で甘く誘いながら、最後に本性を現す魔王の声の対比が聞きものですが、歌手は「父・息子・魔王・語り」の4者を、それぞれ声色を変えて、演じ分けながら歌います。これはシューベルト18歳の作品で、1000を超える彼の創作の中の「作品1」にあたります。(人生最初の作曲ではなく楽譜出版した最初の曲という意味です。)
歌詞は文豪ゲーテ。彼は「漁師の娘」という舞台劇の一場面に挿入する目的でこの詩を書いたので、劇のストーリーとは無関係の内容になっています。しかし、発表当初からこの詩は人気が高く、100を越える数の作曲家たちがこれに曲をつけました。その中でも、迫り来るようなホラー的表現において、シューベルトのものは圧倒的な存在感を見せつけています。これを聴いてゲーテもさぞ喜んだであろうと思いきや、なんと「どこの馬の骨とも知れぬ若造の愚作」として、老詩人はこれを無視したそうです。この曲の現在の人気ぶりを考えると意外な感じがしますが、芸術の評価というものは往々にしてそういうところがあるようです。
子どもの魂を連れ去った魔王は、その10年ほど後、この天才作曲家の命をも奪っていきました。彼の人生は、享年31という短すぎるものでしたが、その死後、「魔王」を聴き直したゲーテは、態度を改め、シューベルトの才能を褒め称えたと言われています。
この曲は、日本でも昔からよく知られていて、志賀直哉の「暗夜行路」の中にも、「魔王」をコンサートで聴いた主人公が(批判的な)感想を語る場面があります。また中学校の音楽の授業でこれを聴いて、夜眠れなかったという感想を漏らす人が、けっこういるようで、「運命」や「四季」等と伍して、「魔王」はクラシック音楽の裏人気ナンバーワン曲などとささやかれることがあります。

https://www.youtube.com/watch?v=2d4SddVDBZI  「魔王」 (歌詞 ドイツ語と日本語)

https://www.youtube.com/watch?v=s8OhQejy3qY  「魔王」 (日本語) 「父・息子・魔王・語り」を4色の歌詞で区別