国のため死ねるか否か若人に問ひてみたしと思ふ八月
収容所の酷な営み語りかくGreenwoodの博物館は
一首目は、八月という語を聞くだけである年齢以上の日本人なら戦争や原爆を思い出します。
運命的とはいえ特攻隊の御霊には痛恨の極みであります。
戦後76年が過ぎ、若者の思想背景がいかなるように変わったかを時代の流れに危惧します。
二首目は私的のようですがこうした書き方の方が取り入れ易いかと思いまして、、、
私は昭和16年12月21日生まれですがパールハーバーの奇襲攻撃から13日後の戦中派の世代です。
それからちょうど4ヶ月後に1942年4月21日にグリーンウッドの田舎町は日系人、日系カナダ人が強制移動を余儀なくされて過酷なキャンプ生活を強いられました。
人口は1177人になり、最初の強制収容所となりました。
その後 タシメ、レモンクリーク、ニューデンバー、スローキャン、ローズベリーなどの土地に2万3千500人を超える大勢の日系人及び日系カナダ人が強制収容所での苛酷な窮乏生活に堪えました。
なお、桜楓会としても2002年の桑原会長時代には51名の参加者でロッキー山脈の南側に位置するクータニー国立公園の絶景やアインスワースホットスプリングスの洞窟温泉の神秘性も兼ねて、ニューデンバー方面に探訪旅行をされております。
もうあれから19年が経ち桑原氏は感慨深く回想をしておられました。
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