酒・女・歌  ベートーヴェン俗人伝説    生誕250年メモリアル③

大人顔負けの「とんち」を駆使して難題を解決する小坊主と言えば、アニメでも親しまれている「一休さん」ですが、そのモデルが一休宗純という実在の僧侶だったことはよく知られています。しかし、一休さんのトレードマークだった「とんち」は、実は後世の創作で、この人物とは無縁のエピソードでした。それどころか、彼の実像を一言でいえば「破戒僧」だったようです。僧侶でありながら、酒を飲み、肉を食べ、何人もの女性と浮名を流すという、およそ煩悩を地で行くような生き方で、この世の享楽を愛してやまない暮らしぶりでした。それでも、一応は聖職者ですから、寿命が尽きる際には解脱の境地にでもたどり着いたかと思いきや、辞世の言葉は「死にたくない!」でした。このように、聖人というより俗人の名の方がふさわしいのが、等身大の「一休さん」です。(その姿には、当時の形骸化した仏教界に対する彼なりの反骨精神が込められていた、とも言われていますが・・・。)


前回は「聖人」ベートーヴェンについてでしたが、今回は「俗人」ベートーヴェンについて書いてみます。

ベートーヴェンは無類の引っ越し魔でした。56年の生涯で彼が引っ越した回数は、一説によれば80回を超えます。そして、その多くは隣人トラブルが原因だったと言われています。耳の不自由だった彼は、昼夜の別なくピアノを弾きまくり、インスピレーションが浮かべば大声で歌い出すため、必ずと言っていいほど近隣住民からクレームが入りました。バスタブの水を溢れさせて、階下まで水浸しにするのも得意技で、おまけに、家賃の支払いが悪いこともあって、家主から追い出されることもしばしば。と言っても、決して支払いができないほどお金に困っていたわけではなくて、単なるケチだったようです。

彼のトラブルは、隣人たちだけではなく、家の中でも頻繁に発生していました。その証拠の一つがこちらの肖像画です。これは、ベートーヴェン晩年のもので、いかにも芸術家らしい威厳のある表情をしています。しかし、この顔は、実は不機嫌の極みだった楽聖を画家が写し取ったものだったのです。なぜそんなに怒っていたかというと、家で雇っていた家政婦が料理に失敗したことが原因で、彼女と口論になったためです。しかし、家政婦にも言い分がありました。それは、ベートーヴェンの金払いの悪さでした。給金の支払いを巡って両者にトラブルめいたものがあったことが、筆談に使ったその頃のメモに残っています。 

あるとき、一人のフランス人が、しょっちゅう引っ越しをして所在がつかめないと言われるベートーヴェンを探して、ウィーンの街を駆けずり回っていました。彼はオーストリアに侵攻したナポレオン軍の一兵卒でしたが、以前から尊敬してやまなかったベートーヴェンに一目会いたいという一心からそのような行動に出たのでした。ようやく楽聖の住処にたどり着いた彼ですが、あいにく主人は出かけていると見えて留守でした。鍵が開いていたので、失礼を承知で部屋に入りこんだ彼が、その時の印象を書き残しています。食べ残しや、脱いだ服や、散乱した楽譜で、足の踏み場もない部屋の中でしたが、ピアノやヴァイオリンに高級品をそろえていた点は、さすが大音楽家です。しかし、よく見ると、ピアノのすぐ下には、携帯用の便器が中身の入ったまま置かれていて、ベートーヴェンを雲の上の人として崇めてきたこのフランス人を大いに幻滅させました。

また彼は、ワインに目がなく、年代ものを飲みたいという理由だけから、ウィーン郊外のワイナリー近くに居を構えたことがあります。そして、朝から晩まで飲んだくれては、また真夜中にピアノを弾き、大声でがなり立て、クレームをつける人たちとまたひと悶着・・・。余談ですが、当時のワインは、酸味防止のために鉛が入った甘味料を混ぜて売られていました。この鉛を毎日摂取したことが、巡り巡って彼の難聴を引き起こした原因だったという説があります。(古代ローマでも、やはりワイン好きの貴族たちが、来る日も来る日も鉛入りのワインを大量に飲み続けた結果、肉体や精神に異常をきたし、果ては皇帝をはじめとする政治家たちを退廃の境地に陥れ、やがてそれが帝国を滅ぼす原因になったという、近年の学説があります。)

ベートーヴェンが亡くなった後、彼の机の引き出しから、宛名不明のラブレターが発見されました。相手に届けられることなく、机の中で眠り続けたその恋文には、「不滅の恋人へ」という文言が記されていました。それ以来、研究家たちは、この女性が誰なのか侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を続けていますが、いまだにその女性は謎のままです。しかし、「不滅の恋人」の候補として、何人もの女性の名前が挙げられた点からも、お騒がせ人間だったベートーヴェンが、実は、多くの女性たちと交際していたことが分かります。彼女たちの多くが、平民の彼とは身分違いの貴族階級だったことや、彼が「美しい女性しか愛せない」と手紙に書いていることなどからも、かなりハードルの高い恋愛をしていたようですが、それでも彼に惹かれる女性は後を絶たなかったのです。                                                           

ウィーンのワルツ王、ヨハン・シュトラウスに「酒・女・歌」という作品があります。歓楽の町にして音楽の都であるウィーンらしい表題ですが、これは、マルチン・ルターの言葉を元にしています。世界史の教科書では、ルターは「堕落したカトリック教会に反旗を翻して宗教改革を断行した人物」ということになりますが、彼は「酒と女と歌を愛さない者は愚か者である。」という言葉を遺しています。彼の目に映る当時のキリスト教は、あまりにも禁欲的なものを大衆に押し付けているように見えたため、信仰に「人間らしさ」を求めた思いから生まれた言葉だと言われています。

その点、一見ハチャメチャな人生を送ったように見えるベートーヴェンも、ルターに言わせれば、酒も女も歌も愛した優等生だったと言えるかもしれません。


最後に、これも余談ですが、江戸時代の浮世絵の大家、葛飾北斎は93年の生涯で、引っ越した回数が90回を超えるそうですから、上には上がいるものです。
人間の過ちこそ人間を本当に愛すべきものにする(ゲーテ)