9月

二人して墓を選んだ帰り道見上げる空にヒツジ雲浮く

秋のお彼岸も近づいてきますが彼岸のことは誰しもあまり考えたくないようです・・・しかし誰しもが避けて通れないことです。この世に生きた証としてどんな姿の物を選んで決めたとしても、残された人の為でなく自分たちが心の拠り所になれれば、それで良いのではないかと思っております。

丸ごとの鮭は燻しの窯の中威を張るごと尾鰭を立てて

温暖化の影響かもしれませんが鮭の遡上する周期がブリティッシュコロンビア界隈では変わってしまって、不漁続きのようです。いつもこの時期になるとあの真っ赤なサカエサーモンの姿焼きが、懐かしく思い出されました。

戦国の世の興亡を語るかに箕輪城跡石垣遺す 

八木原の家系図を目にしたとき家系筋に当たる元亀2年(1571年)の墓標が在ることを知り箕輪城跡を訪れてみましたが400年余りもの間、風化した後からは城跡に素人の私には知る由もありませんでした。群馬県高崎市が高崎城や先代の箕輪城の城下町であり、前橋市が昔の厩橋から来た地口であることにも興味をそそられることでした。群馬県の県庁所在地の前橋は、明治22年(1889年)に町制を施行し「前橋村」となりました、前橋の地名の起こりは、中世に「厩橋(まやはし)」で見え、江戸時代(慶安年間)に「前橋」と記されるようになったようです。「厩橋」の「厩(まや)」は「馬屋・駅(うまや)」のことで、馬屋のほとりで利根川に架かっていた橋を「うまやの端」と呼んだことから、「厩橋」と称したと考えられています、その川を見下ろす高台に八木原のうじを名乗る部落があり、本家跡も分かりその血筋の方とお会いすることができたことは旅の良い収穫でした。