全部聴いてほしいのに・・・「なぞ」の変奏曲 エルガー

スピルバーグ監督の新作映画が「ウエストサイドストーリー」と聞いて驚かれた方は多いと思います。今からちょうど60年前(1961)に名匠ロバート・ワイズによって映画化された不朽のミュージカルをリメイクしたとあって、今年一番の話題の映画となることは間違いないでしょう。(公開は12月)
「ウエストサイドストーリー」は、レナード・バーンスタインが、作曲家として最も成功した舞台作品です。後に彼は、このミュージカルの中のいくつかの曲をメドレーで演奏する「ウエストサイドストーリー・シンフォニックダンス」というオーケストラ曲(声なし)として発表しました。今でもよく演奏される曲ですが、終わりまで聴くと、ちょっと奇妙に感じられるかもしれません。耳慣れた曲が次々と登場する中、当然選ばれるべき1曲がそこから外されているからです。このミュージカルの「愛のテーマ」とでも呼ぶべき歌、「Tonight」がそれです。「特定のナンバーだけが有名になるのは、作品として名誉なことではない。」これはバーンスタインが「Tonight」を外した理由を語った言葉ですが、「ニューヨークの下町のロミオとジュリエットが交わす愛の歓びだけが、この物語のテーマではない。作品にはそれ以上に大切なものが込められている。そこを聴いてほしい。」おそらくそういう思いだったのでしょう。
かように真の創造者というものは、曰く言い難い何者かを形にすべく、創作の細部から全体にまで全霊を傾けるものですが、作者の思いに反して、作品の特定の部分だけが飛びぬけて有名になってしまうという皮肉な例も、枚挙にいとまがありません。
今回はそういう中から、エルガー(イギリス)作「エニグマ変奏曲」の中の「ニムロッド」をご紹介します。「エニグマ」とは「謎」のことですが、シャーロック・ホームズやギネスブックを産み出し、クイズという言葉の起源を持つイギリスの人々は、昔から「謎かけ」「謎解き」が好きな国民だと言われてきました。この「謎の変奏曲」も、そのミステリー好きの国民性を表したものの一つと言えるでしょう。
変奏曲(バリエーション)は、最初に演奏されるメロディー(主題とも言います)を何度も繰り返す音楽ですが、繰り返されるたびにメロディーの形やリズムや響きを次々と変えて演奏していく形式で出来ています。19世紀イギリスの作曲家エルガーが、親しい人々の「音楽による肖像画」として作ったのが「エニグマ(謎)変奏曲」で、この曲の楽譜には、新しい変奏に入るたびに、作曲者による「C・A・E」や「☆☆☆」といった特定の人物を表す書き込みがあります。発表当初は、それが誰を指すのか謎だったことが、曲名の由来になっているのですが、現在ではその全てが誰であるか解明されています。9番目の変奏に書き込まれた「ニムロッド」は、旧約聖書の「箱舟」で知られるノアの子孫にして、狩の名手のことですが、イェーガーというエルガーの親友を指しています。「イェーガー」がドイツ語で狩人を表すことと、この曲の始まりが、この人物の愛したベートーヴェンのピアノ曲「悲愴」の第二楽章とオーバーラップする点などが、謎解きのポイントとなりました。その崇高なエモーションをたたえた荘厳な響きのゆえに、この第9変奏「ニムロッド」だけが単独で演奏されることが多く、後には歌詞も付けられ、礼拝の曲としても親しまれています。
変奏曲の中の一曲だけが偏愛されている例として、「パガニーニの主題による変奏曲」(ラフマニノフ)の第18変奏も有名です。
https://youtu.be/VXc9ezCbNdk   「ニムロッド」 (「エニグマ変奏曲」の第9変奏)
https://youtu.be/MRcwRFOrCpg  リメンバランスデーの式典における「ニムロッド」(歌詞付き)
https://youtu.be/V4O_l7CUQcI   「パガニーニの主題による変奏曲」の第18変奏