笑いのパワーで権力に抗議「びっくり」「さよなら」ハイドン

カナダはもう冬ですが、日本の秋は運動会の季節ですね。運動会は、スポーツが得意な人には見せ場が満載の晴れ舞台ですが、足の遅い人や運動が苦手な人にとっては、針のむしろにすわるような一日かもしれません。その悲哀を自虐の笑いに変えて歌った曲に「地獄の運動会」があります。これは、嘉門(かもん)達夫による替え歌の一種で、原曲は、日本の運動会を経験した者なら誰でも知っているあの曲ですが、実はれっきとしたクラシック音楽です。替え歌をレパートリーの一つに持つ歌芸人の嘉門には、他にもクラシック音楽を原曲とする楽しい替え歌がいくつもあります。(「鼻から牛乳」の原曲はバッハ)

フォーク・クルセダーズの歌った「タテツキー行進曲」は、世界最強の超大国に盾ついた歌ですが、知らぬ人のいない「ラデツキー行進曲」というクラシック音楽を原曲に、イラク戦争前夜のアメリカを、皮肉たっぷりに揶揄しています。ここで注目すべきは、「笑い」の力で権力を批判している点で、それは、お上や世情を「笑い」で批判した江戸時代の狂歌や川柳などに通底するものがありそうです。カリカチュア(風刺画)などにも共通していますが、「笑い」や「ユーモア」による批判や抗議は、いつの時代でも普遍的な力を持っているのでしょう。
https://youtu.be/bbxNI0mGzpU              嘉門達夫「地獄の運動会」 原曲「クシコス・ポスト」(カール・ネッケ) 
https://www.youtube.com/watch?v=wqqEvCevEjU  嘉門達夫「修学旅行行進曲」 原曲「トルコ行進曲」(モーツァルト) 
https://youtu.be/JneRjSrF8dA     フォークル「タテツキ―行進曲」 原曲「ラデツキー行進曲」(ヨハン・シュトラウス一世)

替え歌の他にも、「ユーモア」をもって権力に対する批判や抗議をした例として、「交響曲の父」ハイドンの「びっくり」交響曲が挙げられます。オーケストラが、「キラキラ星」に似たメロディーをゆっくり二度くりかえして演奏するのですが、ピアニシモ(最も弱く)で、まさに音が消え入りそうな瞬間、突如大音響が鳴り響いて聴き手を驚かすという趣向の曲です。驚きのあまり、手に持った飲み物をこぼしてしまうお客さんもいます。
ハイドンは18世紀オーストリアの作曲家ですが、彼の時代の音楽家は、王侯貴族や教会をパトロンとして、彼らから与えられる報酬をアテにして生きるのが通例でした。作品の印税で音楽家が暮らせるようになるのはずっと後の話ですので、雇い主たちの顔色を伺いながら音楽活動をするしかなかったのです。その王侯貴族たちは、社交の一環としてよく演奏会を開いていましたので、ハイドンも、そこで自作をよく演奏しました。しかし、そうしたコンサートは、音楽を聴くよりも、おしゃべりやいねむりをする場所であったため、ハイドンは常日頃、そのことを苦々しく思っていました。しかし、権力者には物申せません。そこで思いついたのが音楽でユーモラスに抗議する方法で、かくして生まれたのが「びっくり」交響曲だったのです。
また、領主の夏の避暑地に同行させられ、なかなか休暇をもらえない音楽家たちの不満を訴えるために作ったのが、「さよなら」交響曲で、曲の途中で、演奏者たちが次々退場していくという破天荒な演出が組み込まれています。これを実際に聴いた領主は、ハイドンたちの思いを汲み取り、楽員たちの即時帰宅を許可したと言われています。きっと「笑い」が功を奏したのでしょうね。
https://www.youtube.com/watch?v=VOLy6JxEDLw  「びっくり(驚愕)」 (交響曲第94番)の第2楽章
https://youtu.be/vfdZFduvh4w   「さよなら(告別)」 (交響曲第45番)の第4楽章 4分20秒からメンバーの退場開始