前回、「ベートーヴェンはケチだった」と書きました。実はこれには立派な理由があります。要するに収入が不安定だったからです。彼に限らず、当時の芸術家たちは、おしなべてそうでした。なぜなら、社会の中では、彼らの地位がまだ確立されていなかったからで、教会や王侯貴族など、時の権力者に召し抱えられるより他に、生活の糧を得る手段がほとんどなかったのでした。
「音楽の父」バッハは教会に雇われる音楽家でしたが、二十人の子だくさんで知られる彼の生活は、音楽監督としての収入だけでは到底まかなえるものではなく、結婚式や葬式などのイベントでの臨時収入が、必要不可欠なものとなっていました。それまでの任地を去って、ある教会に赴任した頃、彼は知人に宛てた手紙の中で「当地は水や空気など環境が良いため、亡くなる者が少ない」と、葬式による収入が減じたことを嘆いています。バッハは低収入にあえぐ大黒柱でした。
「神童」モーツァルトは、若くして貴族たちの庇護を拒み、自らの才能と知人たちの支援だけを頼りに予約コンサートなどで身を立てることを企てますが、現実は厳しく、最後は貧困のうちに病没します。映画「アマデウス」の中で、彼の遺体が、まるでゴミ袋のように貧民墓地の穴蔵に投げ込まれる非情なシーンを目にしたモーツァルトのファンは、大いに心を痛めたと思いますが、そこには、いささかの誇張もない当時の芸術家たちの現実がありました。
「モーツァルトのように死にたくない」。彼より14歳年下のベートーヴェンは、きっとこう思ったことでしょう。ある時、彼は隣国ドイツの宮廷音楽監督就任の要請をカードに換え、ウィーンの貴族たちと交渉しています。地元の大作曲家に去られては一大事です。ベートーヴェンは貴族たちから、ウィーンに留まることを条件に、生涯に渡って年金を支給する約束を引き出すことに成功します。
しかし、この年金の約束は、しばらくして反古にされてしまいます。理由は、その貴族たちがウィーンを逃げ出したり破産したりしたためです。すると、ベートーヴェンは、年金の約束不履行を理由に裁判を起こし、勝訴します。このように、相手の身分が上であろうと、生殺与奪の権限を持っていようと、臆さず対等に渡り合う大胆さや反骨精神こそが、彼の音楽の本質と言えるでしょう。
その後、彼は、貴族からの援助ではなく、一般市民が集うコンサートの収益や作品(楽譜)出版の売り上げを主な収入源とする「印税作曲家」第一号となります。誰の援助もアテにせず、自らの才能だけを売り込んで勝負するわけですから、もう振り回される心配もありません。「オレの音を聴け!」とばかり聴衆に訴えかける彼の姿は、音楽史上初のロックンローラーだったと言えます。「古典派音楽」の完成者は間違いなくベートーヴェンですが、それと同時に彼が「ロマン派音楽」の祖と呼ばれるのは、「自分だけの音」を追及し、個人の「心」の問題をテーマにしたからで、それは21世紀の現代でも、多くの人の心をわしづかみにしています。
ところで、当時のこの貴族たちのように、それまで裕福で安穏とした暮らしをしていた特権階級の人々が、なぜこのように逃避行や没落の憂き目に遭ったのかといえば、それはナポレオン軍のオーストリア侵攻が原因でした。当初ベートーヴェンは、フランス革命で風穴の空いたヨーロッパの古い社会体制や身分制度を次々と破壊していくナポレオンを「英雄」として崇拝し支持していました。ギリシャ神話の中で、全能の神ゼウスの言いつけを破り、「知恵のシンボル」である天上界の火を盗み去って人類に与え、明るい未来を設えた神「プロメテウス」とナポレオンを同一視までしていたのです。そこには、身分制度によって貴族階級の女性との自由恋愛を阻まれ、天の啓示を代弁するクリエイターとしての立場にも拘わらず、社会の下層部に追いやられてきた芸術家としての積年の恨みつらみがありました。そういう個人的な不満を一気に解消し、自分たちの地位向上を実現してくれる理想のヒーローを待ち望んでいたベートーヴェンにとって、ナポレオンこそ、まさにプロメテウスだったのです。
それだけに、身分制度が解体されフラットになったはずの社会で、その後、新たな皇帝(身分制度の頂点)として戴冠したナポレオンに対するベートーヴェンの失望と落胆は、想像に余りあります。「結局、あの男もただの人間にすぎなかった」という言葉がそれを物語っています。人はやはり神になれなかった、というところでしょうか。ちなみに、革命を起こして、独裁者たる特権階級を瓦解させたはずの英雄たちが、今度は新たな独裁者となって、またもや民を圧迫する姿は、共産主義や社会主義の国家をはじめとして、現代まで輪廻のように繰り返されています。結局、「支配」は「動物」である人間の宿命なのかもしれませんね。
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