ドライブ・マイ・カーと女性たち(1)

日本映画「ドライブ・マイ・カー」が大きな話題となっています。カンヌ映画祭で4冠を獲得し、バンクーバー映画祭で最も注目を浴び、アメリカではゴールデン・グローブ賞を受賞。さらにはアカデミー賞にもノミネート(来月末に受賞発表)されるという勢いで、日本国内以上に海外でのうなぎ上りの評価に、出演者、制作者ともに目を丸くしているようです。映画のコメンテーターとしても知られるオバマ元大統領が、昨年末に「今年一番の映画」と語ったこともニュースになりました。
これは、村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」(2014年)の中の「ドライブ・マイ・カー」と他のいくつかの短編を原作とした映画です。小説の方は、全編に漂う喪失感や、結晶化されて決して流れ出さない感情の表現など、どれをとっても彼の長編小説と共通した春樹ワールドの発露でした。しかし、映画の方は、原作の様々な題材は使っているものの、テーマや登場人物のキャラクターやエンディングなどの点から、小説とはもはや別世界、別作品ととらえるのが妥当ではないかという気がします。
そこで思い出されるのが、黒澤明の「羅生門」です。芥川龍之介が、人間のエゴイズムをテーマに著した暗澹たる小説「藪の中」を原作としながらも、そこに予定調和的な「希望」を添えた点や、もともとは、この映画が国内よりも国外での評価が高かった点などに「ドライブ・マイ・カー」はオーバーラップします。 (「羅生門」はヴェネチア映画祭でグランプリ受賞)
ところで、原作である短編集「女のいない男たち」は、女と男が、それぞれ別々の役割を画然と果たしている物語の集合で、近年のジェンダーフリーの考えとは遠いところにある作品のようにも見えます。(決して男尊女卑的な意味ではありません。)小説「ドライブ・マイ・カー」も、冒頭から男と女の運転の違いについての考察めいた文章で始まっていますが、その辺りのニュアンスは、映画では特に意識されていないようにも感じられます。
村上は、1990年代、夫婦でアメリカに住んでいたことがあります。彼は、その頃のエッセイの中で、アメリカでは初対面の人から受ける質問には同じパターンのものが多く、特に女性からの「奥さんは何をしている人なのか」という問いかけが圧倒的に多いことに驚いたということを書いています。フェミニズムという点では、日本とは比較にならぬパワーを持った国のことですから、この質問も当然のことでしょう。しかし、その女性たちの中には、「ドライブ・マイ・カー」を見た人や原作を読んだ人もいるでしょうから、そこからどんな感銘を受けたのか。特にそこに描かれた女と男の姿にどんな思いを抱いたのか、素朴な気持ちで聞いてみたい気がします。
そのアメリカでも、女性参政権が合衆国憲法で認められたのは1920年のことですので、フェミニズムというこのテーマは、人類の歴史の比較的新しい部類に属するのかもしれませんが、今後も、人間の表現活動に多大な影響を与えていくことでしょう。
さて、ここからは話題が少し逸れますが、男尊女卑が当たり前だった時代にも、表現者として光を放っていた女性について思いを巡らせてみると、たとえば、平安時代の小野小町は優れた歌詠みとして知られる「六歌仙」の一人ですが、女性はその中で小町一人でした。やはり平安時代、一流のエッセイストとして知られた清少納言は、当時のブログ集とでも呼ぶべき「枕草子」の中で「女性は家庭に引きこもらず、職業人として社会に進出して、自分の世界を広げるべし」という一文を記しています。
人間の死体をつなぎ合わせた人造人間が登場する小説「フランケンシュタインの怪物」を書いたのは、イギリスのメアリー・シェリーです。これは彼女の十代の作品ですので、その才能たるや半端なものではありませんでした。しかし、(男性の)ゴーストライターの作と疑われたり、女性だったため実名を出せず、最初はやむをえず匿名で出版せざるをえなかったことなど、今では考えられない苦労がありました。(ちなみに、「フランケンシュタインの怪物」も、小説と映画ではテイストに大きな差があります。)
このように女性にとって厳しい状況の中、本人の名で自作を世に送り出すことのできた作曲家に、バダジェフスカがいます。彼女の「乙女の祈り」は「エリーゼのために」と並ぶピアノ入門者の大人気曲ですが、作曲者17歳の作でした。オーストリアのパラディスという盲目の女性は、モーツァルトにピアノ協奏曲を献呈されるほど腕の達者なピアニストでしたが、作曲家としても名を残しており「シチリアーノ」が有名です。これは、5月に桜楓会が主催するイベント「朗読とバイオリン」でも演奏予定の佳曲です。
「ドライブ・マイ・カーと女性たち」、次回は美術史における女性たちについて述べてみたいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=ff8vJAZwvh4 バダジェフスカ「乙女の祈り」「乙女の祈り」画像つき
https://youtu.be/TeDB27cq3fE パラディス「シチリアーノ」(英ロイヤル・ウェディングのチェロ版)フォーレ「夢のあとに」とセット