先日、バンクーバーのアートギャラリーで開かれている「オノヨーコ展」を見に行ってきました。「イマジン」「平和」と書かれたバナーが飾るギャラリーの外壁を見て、生前のジョン・レノンとオノ・ヨーコの二人三脚にしばし思いを馳せることとなりました。半世紀以上前から「女性であること」を強く打ち出して創作を続けてきた彼女も今年89歳。その矍鑠(かくしゃく)たる活動には、ただ「脱帽」の一言です。
まず、遊び心ある「来場者参加型」の展示コーナーが楽しかったです。また、かつて世界的な話題となった二人のヌードフォトや、「Bed in for Peace」にニクソン大統領とベトナム戦争の映像などがありました。そして、それらに交じって「War is over, If you want it」や「You may say I'm a dreamer」といったジョン・レノンの歌詞がちりばめられた館内を歩いていると、「Love& Peace」の60年代にタイムスリップしたかのような感覚を味わいました。
しかし、その時代と今とを比べ、結局、人類は何も学習せず、何も成長していないのではないか。そんな思いにも捉われた次第です。
さて、「ドライブ・マイ・カーと女性たち」の2回目は、オノ・ヨーコのように、女性であることを全面に打ち出して表現したアーティストを取り上げてみます。
男尊女卑や因習の強いヨーロッパでも、その洗練された優美さで足跡を残したマリー・ローランサンのような女流画家がいますが、やはり、それより歴史の浅いアメリカ大陸の諸国で活躍した女性の中に、光るアーティストが多いようです。
たとえば、カナダで最も名の知られた画家エミリー・カーの絵には、独自の文化性が乏しかった当時のカナダの芸術界の中で、きわ立った先進性が見られます。それは芸術だけではなく、社会の中でもがんじからめのしがらみから逃れようとする女性としての叫びが込められていたからではないかと思われます。
アメリカのジョージア・オキーフは、好んで花の絵を描いた女性ですが、抽象画にも関心を示したところなどは、エミリー・カーと同じく自分にしか描けないものを目指した強い意志が感じられます。なお、彼女の描く絵(特に花のシリーズ)は、しばしば「エロティックである」という批判を受けましたが、本人は「そんなものは描いていない」と、その声をつっぱね、創作の姿勢を変えることはありませんでした。
フリーダ・カーロは、メキシコで最も有名な画家ですが、少女時代に遭遇した交通事故による後遺症に生涯苦しめられながらも、女性としてのアイデンティティをキャンバスに表現し続けました。その生き方は何度か映画化されています。
オノヨーコと同じ頃、やはりアメリカで認められた前衛画家に日本の草間彌生(くさまやよい)がいます。幼少時代から続く精神疾患の体験を自ら語る彼女がたどり着いたのは、水玉模様で画面を構成することや、かぼちゃをモチーフにしたオブジェを作ることなどでした。それらの作品は、今では世の中に広く受け入れられています。そこに目を付けたフランスのファッション・ブランド「ルイ・ヴィトン」が商品のデザインとして、草間とコラボレーション契約したことは、大きな話題となりました。それには当然「商業主義に走りすぎだ」という批判もありますが、草間をあしらったルイ・ヴィトンの商品は、今も売れ続けているようです。よく売れることが、その創作家を世の中が受け入れていることの証とするならば、生前、一枚しか絵が売れなかったために、絶望して自ら命を絶ったゴッホの痛みもさもありなん。彼女を見ていると、そんなことを思ったりします。
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