歌から見るヒロシマ・ナガサキ

それは、5月15日に行なわれた桜楓会主催のイベント「朗読とバイオリン」での出来事でした。
この日最後の朗読作品「サラダ記念日」の前に、司会の私から「記念日」について少しお話をさせていただきました。すると、終演後、ある沖縄出身の方からお礼の言葉をいただきました。その日がたまたま「沖縄返還記念日」だったので、司会でそれに触れたことについてのお礼でした。思いもかけぬ感謝のお言葉に驚くとともに、「戦争を知らない子どもたち」の一人として、80年近く前に終わったはずの戦争が、現代に及ぼす傷の深さをあらためて知ることとなりました。
その翌月の6月23日は沖縄「慰霊の日」でした。そして、来月の8月は広島・長崎・終戦記念日など、日本が忘れてはならない負の記念日が続きます。戦争の加害や被害について議論すると、どうしようもない沼にはまっていくような思いがしますが、私個人は、「戦争には勝者も敗者もない。あるのは敗者だけだ。」という言葉に最も共感を覚えます。
この文章は日本で書いています。今回は二年半ぶりの帰省になりますが、成田から伊丹に向かう夕方の飛行機の窓から外を見ていると、変った形の雲を見つけました。じっと見ていると、それがだんだん原爆のキノコ雲に見えてきました。さらに見続けていると、頭の中である曲が聞こえてきました。「大地讃頌(さんしょう)」という合唱曲です。なぜこの歌を思い出したのか。あらためて考えてみると、歌詞の中に「平和な大地」や、「恩寵(おんちょう)の豊かな大地」などという言葉が出てくるためだということに気付きました。
https://youtu.be/RnL1FGCv0FY 大地讃頌 
この歌は、管弦楽伴奏の全7曲から成る合唱曲「土の歌」のフィナーレ(終曲)として書かれたものです。この「土の歌」は、母なる大地と人間との関係についてさまざまなテキストで語りかける作品ですが、そこには戦争や平和についての深い思いも表現されています。とりわけ核兵器の恐怖を描いた第3楽章の「死の灰」では、ヒロシマやナガサキといった名前が直接登場します。そういう楽章をすべて通過した後に、終曲「大地讃頌」を聴くと、その意味がより深く感じられることでしょう。  
https://youtu.be/f33pjc3qA78 死の灰  「土の歌」第3楽章
                                          

この映像で指揮をしているのは、山下一史(かずふみ)という指揮者です。彼は若い頃、カラヤン晩年の弟子の一人でした。ある時、急病で倒れたカラヤンが、彼を代役に指名してベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の「第九」を指揮させたというニュースは、当時の日本にも青天の霹靂(へきれき)として伝わってきました。しかし、その頃はまだ無名の存在だったため、「ベルリン・フィルを振った山下って誰?」が、クラシック音楽好きのにわか合言葉のようになりました。そんな彼も、今では押しも押されもせぬ大指揮者です。しかし、実は彼のお母さんも、ある意味、世界的によく知られた人なのです。それは一枚の写真を通してのことでした。
                                                         

こちらの写真をよくご存じの方もいらっしゃると思いますが、広島で被爆した放射能によって髪の毛が全て抜け落ちた少女の写真です。原爆の悲劇を後世に伝えるために、その時抜けた髪の毛のふさとともに、長年にわたって広島平和記念資料館に展示されてきたものです。                    
後に、成人したこの女の子が結婚して生まれたのが、この山下一史でした。幼い頃から被爆二世としての差別を経験しながら苦労して成長したことが、音楽家、山下の根底にはあると言えます。ですから、彼がここで「土の歌」を指揮しているのも十分納得がいくことです。
山下が振るこの「大地讃頌」の映像は、緑豊かな樹木のアップで終わっています。それは、被爆直後の広島や長崎で「今後70年は草も木も生えない。」と言われたにもかかわらず、樹木からすぐに芽が出たことが人々を勇気づけ、さらに町の再生につながるエネルギーの一つになったというエピソードを象徴しているのかもしれません。
コーラスにオーケストラを加えた「土の歌」の分厚い響きは、まるでマーラーの交響曲のように壮大で、発表当初から人気がありました。作曲者の佐藤眞(しん)は、後にピアノ伴奏のバージョンも発表していますが、終曲の「大地讃頌」は、日本の学校の合唱コンクールや卒業式などでよく歌われる定番曲にもなっています。         
https://youtu.be/lWqRxZNPVuE
 大地讃頌 (中学校の卒業式における全員合唱)