桜楓会には、ゴルフをたしなむ方が大勢いらっしゃいます。カナダに移住された頃のゴルフがいかに廉価だったか、皆さん、よくお話してくださいます。しかし、最近はカナダのゴルフもお金がかかるようになった。最後は、そのようなお言葉でしめくくられることが増えてきたような気がします。
2003年にバンクーバーで開かれた「NHKのど自慢」が日本で放送された際、バンクーバーは、世界一住みやすい町として紹介されていました。豊かな自然や穏やかな気候に恵まれていることと、治安の良さがその理由でした。他にも、物価の低さが大きな要因だったことは言うまでもありません。しかし、それから約20年が過ぎ、自然の豊かさはまだしも、気候や治安などは、少しずつ様変わりしてきたことを誰もが感じていると思います。特に物価については、今や多くのものが日本より高いと言っていいでしょう。
カナダの物価高はしょせんバブルなので、日本のように、いずれ弾けるだろうという声をよく聞きます。とは言っても、カナダは広い国ですので、物の値段も州や地域によって差があるようです。また80年代半ばに始まり90年代初めに弾けた日本のバブルと比較しても、そもそも消費税の額も違っていましたので、単純な同一視は難しいような気がします。ただ、私は最近、日本のそのバブル期のことを思い出すことが増えました。我知らず、あの頃の日本と今のバンクーバーやカナダを比べているのかもしれません。
バブルという儚(はかな)げな言葉には、上滑りで虚しいイメージが伴うものです。しかし、日本のバブル期は、文化の面ではいくつかの実りがあったように思います。その一つが村上春樹の小説です。彼の登場は、一つの時代の始まりを告げるものでした。
村上の小説には、日本文学がそれまで主流としてきたウェット感が希薄です。そして、感情がドライに結晶化しているがごときその文体に新しい波を感じた人が多かったようです。それは「ノルウェイの森」(‘87)の出現で決定的なものとなります。村上春樹は、少年時代からアメリカ文学に原語で親しみ、そのテーストを身に着けた作家ですので、あの独特の文章スタイルが誕生したのかもしれません。この小説は明治から読み継がれてきた漱石や芥川などを凌いで、発行部数最大の記録を今も更新中です。
ところで、これも「のど自慢inバンクーバー」の頃だったと思いますが、北京や上海などの中国の大都市で村上春樹ブームが起きているということが、日本の朝のニュース番組で伝えられたことがあります。特に「ノルウェイの森」が、若者たちに絶大な人気があるとのことでした。当時、日本にいた私は、出勤前にもかかわらず、その番組から目が離せませんでした。やがて、番組のコメンテーターが、中国都市部での村上人気の理由について分析を始めました。それは、やや難解ながら、おおむね次のようなものでした。
“経済政策として資本主義の方向に舵を切ったことは、中国を急速に近代化させた。そして、都市部の富裕層を中心にインテリゲンチャ(知識階級)が生まれている。それは経済成長によって近代化する社会では自然に起こる現象である。それに伴い、人間関係から来る葛藤や、理不尽な社会への懐疑や不安など、個人の心の問題が浮き彫りになっていくのも、近代社会の宿命である。ゆえに、人生の荒波に船出した悩み多き若者たちが「生と死」を大きな命題としている村上ワールドに惹かれて共感するのも、無理からぬことである。また、都市のレストランやカフェなどといったファッショナブルなスポットが彼の小説にはよく登場する。さらにはクラシック、ジャズ、ロック、フォーク、歌謡曲など多種のジャンルの音楽が、至るところに登場しては作品を彩っている。そういうオシャレなセンスにも、若者たちは惹き付けられるのである。“
「ノルウェイの森」は、村上がそれ以前に書いた短編小説「蛍」を拡大改作して作られた小説です。そして、「蛍」にも「ノルウェイの森」にも、ただ一か所太字で記された同一の一行があります。死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。古来より生や死について語られた格言はあまたありますが、これも、そこに仲間入りできる資格を持つくだりだと思います。
「生」と「性」と「死」が、ほとんど同義語と化している「ノルウェイの森」は、バブルという泡沫(うたかた)の夢に浮かれる日本の若者たちの揺れ動く心の深奥に深いレゾナンス(共振・共鳴)を引き起こしました。それはさらに中国のインテリの若者たちのハートをも捉えました。それらはすべて20年以上前の出来事ですが、その影響は、今も様々な余波となって世界に広がっているようです。村上がノーベル賞候補として、毎年のように話題に上るようになったのも、その表れの一つと言えるでしょう。
次はバブル期のテレビCMについて書いてみたいと思います。
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