バブル雑感② サントリーのCM

もうすぐ12月ですね。昨年12月のニュースレターの巻頭言で「パッヘルベルのカノン」をご紹介しましたが、それについて感想を寄せてくださる方が何人かいらっしゃいました。 何年経っても、皆さんの心の中には山下達郎の「クリスマスイブ」が残っているようです。あの曲が使われたJR東海「シンデレラ・エキスプレス」のCMは、構成から演技や撮影にいたるまで、まるで映画のようなクオリティの高さを持っていました。YouTubeにもアップされたその動画には「このコマーシャル、もう一度見たかった」の感想がいくつも寄せられています。今振り返ると、あのCMの放送当時は、若い恋人たちもクリスマスイブに大金を投じては、高級なレストランやホテルを予約するなど、バブル真っ最中のことでした。


このように「もう一度見たかった」の声が多く寄せられるCMは、その他にいくつもあります。その中でも、洋酒メーカーの「サントリー」が、やはりバブル期に放映したテレビコマーシャルは、とりわけ秀抜なものでした。それはもはや、「映像芸術」とまで呼び得るレベルに達していて、今見ても、当時の日本の文化的爛熟ぶりをまざまざと見せつけられる思いがします。そこには、詩人のランボー、建築家のガウディ、そして音楽家のマーラーなどが登場します。それまでは、一部のマニアだけが愛好するハイブローなものとして敬遠されがちだったこれらのアーティストを、このCMが広く一般に認知させた功績は高いと言えるでしょう。
サントリーCM ランボー編

https://youtu.be/hy-z421FwGQ 
サントリーCM  ガウディ編 マーラー編

https://youtu.be/NSlVsnMbZ48  
これらは、わずか1分の間に盛り込まれた豊富な情報量と余韻の深さが心に残るものばかりです。

中でも、マーラー編の情報量は群を抜いていました。


ベルギーの画家マグリットのシュールな絵画、「風神雷神図」(俵屋宗達)、中国の墨絵などをモチーフとして構成され、音楽は中国風の響きで、漢詩(中国の詩)をドイツ語に翻訳したものを歌っています。 

これは、マーラーの交響曲「大地の歌」から「青春について」と題された楽章の引用でした。
生前、作曲家としては不遇の中、「やがて私の時代が来る」と豪語したのはマーラーですが、その音楽に世界的なブームが巻き起こったのは70年代後半のことです。日本でも、80年代以降のバブル期に彼の作品の飛躍的な演奏回数を記録し、マーラー関連の日本語文献も多数出版されました。彼の作品は、大人数のオーケストラを必要とし、曲によっては、合唱や歌手などを加えた破格の大編成で書かれています。それだけ経費の掛かる曲ばかりでした。しかし、バブルの好景気の影響で、その莫大な費用を易々と調達できるようになったことが、日本でもマーラーブームを呼んだ要因の一つです。さらに、「生と死の不安」を見つめた彼の作品のテーマが、当時の日本の世相とマッチしていたという点も、見のがすことができません。
バブル期から世紀末にかけては、「ミレニアム」という耳慣れない言葉が日本でも一般に浸透して、人類絶滅の「ノストラダムスの大予言」やコンピューターの「2000年問題」など、「終末論」におののく風潮がありました。メディアによる虚々実々のそれらの報道に日本全体が煽られ、まるで中世の「末法思想」のごとき様相を呈していたと言っても過言ではないでしょう。今からすれば、それらは、「大山(たいざん)鳴動して鼠一匹」、人騒がせな妄言にすぎませんでした。しかし、豊かさに酔いしれれば酔いしれるほど、それを失うことにおびえ、前代未聞の繁栄の陰で限りなく増大していった不安。それがあのバブルの正体だったのかもしれません。
青春について 「大地の歌」第3楽章 日本語訳  https://youtu.be/WYIKxT0CT6A  
この曲は、庭の池にある四阿(あずまや)に集う若者たちの様子を描いています。彼らは着崩れを起こすまでに酒に酔い、ただただ戯れるばかりです。ビートルズの「オクトパス・ガーデン」のように、日常の束縛から逃れ、まるで自分たちだけの「パラダイス」を楽しんでいるような光景です。       

ただし、「大地の歌」のパラダイスは、壊れやすい陶器でできていることや、そこに入るには橋を渡るという通過儀礼が必要なこと、建物が池の水に「さかさま」に映し出されているという点などから、この詩に現実逃避や、疲れたペシミズム~厭世(えんせい)主義~を見る人もいます。