演奏中止の理由とは?「1812年」チャイコフスキー

ウクライナでの戦争が一年を超えました。大国のパワーに小国が押しつぶされ、短期間で悲惨な結末を迎えてしまうのでは、という大方の予想を超えて戦闘が長引く姿は、かつてのベトナム戦争を思い起こさせます。さらに、長期化する中で核兵器の使用が真剣に検討され、争う両者をめぐる大国たちの思惑が複雑に交錯する点なども、まさにあの時代とそっくりです。                   

「歴史から学べ」とはよく言われることですが、人類は一体何を学んできたのでしょう?

この戦闘は、「侵攻」だの「紛争」だのといろいろな呼び方がされていますが、戦争指導者たちが安全の保障された場所に身を置き、それと引き換えに、前線に駆り出された若者や無防備な市民たちが次々と命を落とすという図式は、結局どれも同じです。
時あたかも今月は、野球のワールド・カップともいわれる「WBC」が、世界20か国の参加で開催されました。言語も文化も違う国どうしのスポーツの競い合いを通して、様々な感動的エピソードが誕生しました。会場の一つであった日本でも、その「おもてなし」の精神や言葉を超えた交流の様子が連日報道され、大げさな言い方をすれば、人間の尊厳を肌で感じるイベントとなりました。
20世紀ドイツの文豪トーマス・マンが、ルーブル美術館に居並ぶ巨匠たちの傑作を前にして、次のような言葉を残しています。「人間は罪を犯してきた。獣のようにふるまってきた。しかもその間に絶えずこういう芸術を産み続けてきたのだ。この場合、それらの根源を成す神の部分と獣の部分とを区別するのは誤りではなかろうか。この両者は、人間の全体からほとばしり出るのだ。」

この言葉によると、無慈悲に殺し合うのが人間ならば、互いにリスペクトし合えるのも人間であるというところでしょうか。 


長引くウクライナの戦争の影響は、世界の政治、経済、市民生活にさまざまな影響を与えていますが、音楽の世界にもその波は押し寄せています。昨年、コンサートで演奏予定だったある曲を他の曲に変更するというオーケストラのニュースが、世界の各所で立て続けに報道されました。それは「1812年」というチャイコフスキー(19世紀ロシア)の曲です。

1812年は、ナポレオンがロシア遠征に失敗して退却した年です。そして、この「1812年」という曲は、その戦闘の様子を音楽で表現したものです。侵攻の当初は優勢だったフランスが、北国の極寒(冬将軍)の前にしだいに動きを失い、攻勢に転じたロシアがやがて大勝利を収めるという史実を、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」やロシア国歌や、キリスト教の一派であるロシア正教の聖歌などを使って分かりやすく描いた作品です。世界中でこの曲のキャンセルが相次いだのは、ロシアの勝利を表す曲の結末が今の世界情勢にふさわしくないという判断からだったようです。(それに反発する声もネット民を中心として強いようですが…。)

しかし、キャンセルが頻発したということは、この曲が、元々あちこちのコンサートプログラムに載っていたからで、それだけ人気のある作品だということになります。派手な大音響の連続のうちに閉じられる曲の最後が、聴衆にとっては言葉にならないカタルシスを産み出すのでしょう、終演後はやんやの大喝采に包まれます。打楽器も大活躍ですが、屋外での演奏や録音では、しばしば本物の大砲まで動員されることもあるという、いささかクレージーな曲でもあります。(もちろん実弾ではなく空砲です。)

https://youtu.be/qW4C2h3lPac 「1812年」後半部分の演奏

フランス国歌➝ ロシア正教の聖歌「主よ 我らを守りたまえ」(3分57秒)➝ ロシア国歌(5分07秒)➝ 教会の鐘➝ 終

この動画のように、もう一度この曲を純粋に音楽として味わえる日はいつのことでしょうか。