画家にして漁師 アルフレッド・ウォリスのこと

7月1日のカナダ・デーに、スティーブストンのサーモン・フェスティバルに行ってきました。コロナの収束が実感される出店やイベントの賑わいでした。また、アートショーでは、このニュースレターにも投稿されている橋本潤一さんの絵をはじめとして、興味深い作品と多数出会うことができました。日本の漁師さんたちが町の歴史に大きく関わってきたこのスティーブストンという土地で、アート作品をいくつも目にした後、出店が居並ぶ芝の日陰で座って、しばし休んでいると、アルフレッド・ウォリスのことがふと頭に浮かんできました。 

The Blue Ship Alfred Wallis

ルフレッド・ウォリスは、墓石に「画家にして船乗り」という墓碑銘が刻まれた人物で、私が大好きなアーティストです。スティーブストンがサーモン漁で栄えたのと同じころ、イギリスのセントアイブズという町も、イワシやサバ漁で賑わいましたが、ウォリスはそこに住んでいました。(コーンウォール地方)
彼の絵には、海と船がよく登場します。お世辞にも上手とは言えない絵です。遠近法も完全に無視されています。画材は絵具ではなく、船の塗装に使うペンキです。キャンバスや紙ではなく、積み荷をほどいた後、港で捨てられた廃材の木の板や段ボールなどに描かれています。よく見ると、廃材のいびつな形がそのままになっていたり、板や段ボールに印刷された文字やロゴが透けて見えたりする絵もあります。この「青い船」に描かれた船の茶色のマストは、何もペイントしなかった廃材のむき出しの地の色です。そういった素朴極まりない絵を描き続けたのがアルフレッド・ウォリスです。
ウォリスは幼くして両親を亡くした、いわゆる孤児でした。少年の頃から船に乗って働いていましたが、その働きぶりは真面目なものでした。やがて結婚しますが、そのお相手は、なんと彼の友人の母親でした。母の愛を知らずに育った彼にとって、この20歳上のシングルマザーだった女性は、妻でもあり、母の代わりでもあったのかもしれません。
二人の間に生まれた子どもは幼くして亡くなってしまいますが、それでも夫婦二人だけのつましい生活は幸せなものでした。妻と海が人生のすべてでした。
そんな彼が67歳の時、妻が老衰で亡くなります。いつかその日がくると覚悟はしていたものの、その打撃は大きく、弱りきった彼は次第に精神を病んでいきます。心を和ませるのは、ただ無心に海を眺めて過ごす時だけでした。
ある日、何かに突き動かされるように、塗装用のブラシとペンキで廃材の上に絵を描き始めたのは、彼がちょうど70歳の時です。絵の心得は全くありません。心の衝動のままに、ただ自分のためだけに描きました。そこで初めて知った描く喜び。彼は取り憑かれたように絵を描き続けます。当時はすでに蒸気船の時代でしたが、彼の絵には帆船がよく登場します。それは、妻と過ごした時代の記憶にある海のシーンを描いたからだと言われています。 
全くの素人で、画壇とは無縁だった彼が「芸術家」として認知されるようになったのは、前衛絵画の巨匠、ベン・ニコルソンが、偶然、彼を発見したことによります。こうやって画家としての名声を高めていったウォリスでしたが、敬虔なクリスチャンだった彼は安息日である日曜日には、決して筆を取ろうとしませんでした。
このニコルソンのことや、ウォリスのような下手な絵がなぜ人を惹きつけるのかということ、またセラピーとしての創作など他にも書きたいことはありましたが、字数が尽きてしまいました。続きはまた次回にでも。