画家にして船乗り     アルフレッド・ウォリス(2)

8月に「画家にして船乗り」のアルフレッド・ウォリスについて書きましたが、力不足のため、尻切れトンボのような文章になってしまいました。その後、あの続きが気になるという感想を寄せてくださる方もいましたので、今回、それに少し追加してみたいと思います。
1.セラピーとしての創作                                                           晩年は出家して京都に庵(いおり)をかまえた女流小説家瀬戸内寂聴(じゃくちょう)は、生前、あるテレビ番組で次のように語っていました。「小説家が小説を書くのは欲求不満の表れなんです。」彼女に言わせると、何かすっきりしないものが自分の中にあって、心が満たされていないから、それを埋めるために作品が生まれてくるということです。「幸せなら、私は小説を書かないでしょう。」という彼女の言葉をウォリスにあてはめれば、最愛の妻を失って生きる意味や気力を失っていた彼も、絵を描くことで心のバランスを取っていたということになります。
カナダの子どもたちにも人気のキャラクター、アンパンマンの作者やなせたかしは、詩人としても活躍しましたが、「心に傷がないと詩は書けない。」と言っています。 アンパンマンは、やなせの子ども時代の家庭環境の辛さや、戦争中の飢えや家族と仲間の死の体験などがあったからこそ生まれたヒーローです。歌謡曲の世界にも「作詞家は幸せになると詞が書けなくなる。」という言葉があるそうで、つまるところ、創作とはその人にとっての心の癒し~セラピーの面を持つのかもしれません。
2. 表現の自由
現代美術の世界で、段ボールを使った作品などを発表しているある日本人アーティストが、ウォリスの作品を見ながら、一言 「うらやましい」とつぶやきました。「現代美術の作者たちは、紙やキャンバスに筆や絵具で描かなくてはならないだとか、いかに分かりやすく表現するのかとかいう習慣や常識に抗って作品を作る。しかし、ウォリスの絵にはその『気負い』もなく、彼はただ心の命ずるままに描いている。あらゆる因習や制約から逃れて、自由に表現したいというアーティストの願望を、彼は自然体で実現している。そこがうらやましい。」と。そういえば、幼年の頃から絵の神童と称えられ「私は一度も子どもらしい絵を描いたことがない。」と語っていたピカソも、晩年に至って「やっと子どものような気持ちで描けるようになった。」と喜んでいたそうです。最後は、すべての約束事から解放されて、真の自由を手に入れたというところでしょうか。 それは90年を超える生涯で、最も大きな絵の喜びを感じた時代だったのかもしれません。
3.ベン・ニコルソン 
私は神戸に帰ると、必ず実家から歩いてすぐのところにある「横尾忠則」現代美術館に通います。この夏は少し遠出をして、広島市現代美術館まで足を伸ばしました。それだけ現代美術にもいくばくかの興味関心のある人間です。そんな私は、もう何十年も前、倉敷の大原美術館で買い求めた一枚の複製画を額に入れて、今も後生大事に飾り続けています。画家の名はベン・ニコルソン。現代美術では、もはや古典と呼ばれる存在のイギリス人ですが、これがいくら眺めても飽きないのです。
彼はある時、友人の画家と訪れたセント・アイブズの町で、部屋中に自作を貼っていたウォリスの家の前を偶然通りかかります。そして、窓の外から彼の芸術を発見しました。前回ご紹介した「青い船」もそうですが、現在は、権威あるテート・ギャラリー(英)などに展示されているウォリスの作品は、この時のニコルソンたちの尽力で知られるようになったものです。既存の画材や伝統的な画法などには目もくれず、ただ心のおもむくまま画面を大胆かつ載然と区切って自在に描かれたウォリスの絵に、彼らは、自分たち前衛美術とのレゾナンス(共振)を見出したに違いありません。一見、下手でしかないウォリスの絵に魅了される人が増え続けている理由は、そんな「束縛のない自由」を感じるからではないでしょうか。