さよならだけが人生だ アヴェ・ヴェルム・コルプス    モーツァルト

もうすぐ12月ですね。35年という短い生涯を駆け抜けたモーツァルトの命日である12月5日が近づいてきました。今回は、彼にフォーカスしてみたいと思います。

モーツァルトの生涯はよく三期に分けて考えられます。①バイオリン教師であった父に連れられ、神童としてヨーロッパ各地を渡り歩いた少年期 ②教会の大司教と大喧嘩したあげく、故郷ザルツブルクを飛び出すまでの青年期 ③亡くなるまでウィーンで過ごした晩年の三期です。①②の段階でも、すでに多くの佳品を作曲していたモーツァルトですが、今日掛け値なしの傑作と呼ばれているものの多くは③のウィーン時代に集中しています。もし③がなければ、彼は才能ある作曲家の一人として終わったかもしれません。いかに天才といえども、モーツァルトは一日にして成らず。熟成するにはそのための時間も必要だったようです。

③のウィーン時代のモーツァルト作品の特徴でよく挙げられるのが、透明さと哀しさです。もともと明快な響きの彼の音楽でしたが人生の第4コーナーに差しかかるや、それまで以上の透明度を獲得します。さらに、明るい長調で書かれているにもかかわらず、胸にしみるような寂しさや哀しさがそこに漂っています。「誰もが真似して誰も成功しなかった」と言われる唯一の音楽です。神童と呼ばれた音楽家は、他にもメンデルスゾーンやサン・サーンスなどがいますが、この高みにまで達したのはモーツァルトだけでしょう。

「アヴェ・ヴェルム・コルプス」はモーツァルトが亡くなる半年前、あるアマチュアコーラスのために書いた合唱曲です。タイトルは「まことのお体」と訳される言葉で、聖体(十字架上で息絶えたキリストの体)のことを指します。本来は5~6月の「聖体祭」のための曲でしたが、今ではイースターやクリスマスなどでもよく歌われます。この簡潔極まりない短い音楽の中に、まさにモーツァルト晩年のエッセンスが凝縮されています。そこには、あたかも台風一過の秋晴れの空のように、全てを乗り越えた後の悟りともいうべき穏やかな感情が、そこはかとない哀しみを漂わせながら静かに流れています。

https://youtu.be/pscsAvGjQI0   

アヴェ・ヴェルム・コルプス 男声合唱とオルガン

 
https://youtu.be/OByoTbEZ8io
  

アヴェ・ヴェルム・コルプス 混声合唱と弦楽合奏


中国古代の詩に「酒を勧(すす)む」という作品があります。旅立つ友への惜別の念を歌ったもので、日本語の名訳でも知られています。  

この盃(さかずき)を受けてくれ どうぞなみなみ注(つ)がせておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ(井伏鱒二(いぶせますじ)井伏鱒二(いぶせますじ) 訳)          

モーツァルトの音楽の「哀しみ」の元として考えられるものの一つが、①の少年時代の体験です。モーツァルトの前半生は「別れの連続」でした。息子の天分を見抜いた父親とともに音楽修行の旅に出た彼は、行く先々で歓待され、その才能を称賛されます。そこで出会った数多くの人々の中には、生涯の絆を結んだであろう好人物が何人もいたはずです。しかし、その多くは一期一会の出逢いに終わりました。年端もいかぬ少年時代に彼が学んだものは「別れこそが人生である。」という哲学でした。その原体験としての喪失感が、後年、苦難の道を歩むことになるモーツァルトの音楽に美しさだけではなく、陰りまでをも与えたと言えます。  
彼が6歳の頃、ウィーンの宮廷で出会った一歳上の女の子がいました。すっかり仲良くなった二人は、大人になったら結婚しようという約束を交わします。しかし、これもやはり一度きりの出逢いだったため、二人の「婚約」も実現しませんでした。この女の子こそ、後にフランス王家に嫁ぎ、革命により処刑されたマリー・アントワネットその人です。

                (記 丸尾豪司)