トットちゃんと第九

いよいよ年の瀬ですね。今年も年末の風物詩、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」とヘンデルのオラトリオ「メサイア」が世界各所で上演・演奏されてきたことでしょう。日本ではこれに加えて、ベートーヴェンの第九が定番メニューとなっています。                   
近年は「一万人の第九」と称して、会場の観客全員が巨大な合唱団となって第九を歌うという壮大なイベントまであります。
https://youtu.be/weBcmhMwGnY 一万人の第九(指揮 佐渡裕(ゆたか)) 

ところで、どうして日本の12月は第九なのでしょうか。「くるみ割り人形」と「メサイア」は、いずれもクリスマスと関係の深い作品ですので理解できますが、第九はクリスマスとは全く無縁の曲なのです。
もともと、東ヨーロッパでは大晦日に第九を演奏するという習慣がありました。これは今ではウィーンなどにも定着しているようです。群馬交響楽団(群響)のように大晦日に第九コンサートを開く団体もありますが、12月中、毎日のように国内のどこかで第九が演奏されているのは世界でも日本だけで、「紅白第九合戦」などと揶揄する人もいるほどです。



今年の夏、日本のテレビ番組で、女優の黒柳徹子(89)が、それについて語るシーンがありました。彼女は、「一つ音楽を選ぶとすれば『第九』です。」と語った後、年末の第九を日本に定着させたのは、彼女の父、黒柳守綱(もりつな)だったと述べました。黒柳守綱は、新交響楽団(今のNHK交響楽団)のコンサートマスターだった人物です。その頃の日本のオーケストラ界は脆弱(ぜいじゃく)で、こぞって技術レベルが低く、収入も不安定だったため、「年越しの銭」にも苦労していました。ある時、年末に第九をやれば、臨時収入になるのではないかと思いついた守綱たちが、それを実行に移したということです。

なぜ第九をやるとお金が入ってくるのか。その秘密は、この大曲がオーケストラの他にコーラス(合唱)を使うという点にありました。当時の日本には、プロの合唱団というものがほとんどなく、コーラスが必要な曲を演奏する際には、アマチュアの起用が常でした。アマチュアたちは自分の晴れ舞台を見てもらいたいので、熱心に友人や家族や親せきなどにチケットを売りさばきます。結果的にそれが大口の現金収入になるというわけです。こうして始まった年末の第九はその後、日本の津々浦々に広がり、現在に至っています。1824年に第九が初演された際は、期待したほどの収益が上がらず大いに落胆したベートーヴェンでしたが、今の第九の盛況ぶりには、きっと草葉の陰で苦笑していることでしょう。
この「年末の第九」誕生のエピソードには、黒柳徹子誕生の秘話も隠れていました。守綱がコンサートマスターを務めるオーケストラの第九に呼ばれたのは、音楽学校の声楽科の学生たちでした。その中の一人の女性と、彼女に一目惚れして結婚した守綱との間に生まれたのが、徹子だったというわけです。徹子によれば、彼女のお母さんは娘をあやしながら、子守歌によく第九(喜びの歌)を歌っていたとか。
黒柳徹子は女優・タレント・司会者としての活動のほかに、「窓際のトットちゃん」が縁となって着任したユニセフ親善大使として、世界の子どもたちのために尽力・貢献している重鎮でもあります。高らかに人類愛を謳った第九の余波は、200年経ってこんなところにも及んでいたということになります。                 
翻訳され世界各国で読まれている「窓際のトットちゃん」 は、1981年に黒柳が上梓した戦後最大のベストセラーです。発達障害だった彼女の自伝的エッセイですが、戦時中の日本を描いているため、黎明期の日本のオーケストラの苦労話なども登場します。ヒットラーのユダヤ人狩りから極東の日本にまで逃れてきた名指揮者ローゼンシュトックの名も見られ、音楽好きの興味をそそる一冊でもありました。今年、トットちゃんのその後を綴った「続 窓際のトットちゃん」が10月に発行され、今月はアニメ化された「トットちゃん」の上映が始まりました。映画「ゴジラ-1.0」も今、アメリカ・カナダで上映中ですが、1954年の「初代ゴジラ」のBGM(映画音楽)には、守綱も参加していましたので、今年の12月は、第九と格別に因縁の深い月となった感があります。 
https://www.youtube.com/watch?v=5BeJoYoTgto&pp=ygUi44Ot44O844K844Oz44K344Ol44OI44OD44Kv44CATumfvw%3D%3D ローゼンシュトックとN響(演奏記録) https://youtu.be/f_WuEozpFiE 初代ゴジラBGM (作曲 伊(い)福部(ふくべ)昭(あきら))