クリムトと第九  「第九」初演200年②

フナに始まりフナに終わる
宮崎駿監督のアニメ映画「君たちはどう生きるか」が、アカデミー賞を取りました。八十路に入り、なお衰えぬその創作意欲にはただ感服するのみです。ところで、映画には音楽が付きものですが、宮崎アニメには「風の谷のナウシカ」から「君たちはどう生きるか」まで一貫して曲を提供してきた作曲家、久石譲の存在があります。彼はもともと、コアなファンにのみ喜ばれ一般的には難解とされる現代音楽畑の旗手でした。やがてポップスや映画音楽の世界に足を踏み入れたことで宮崎氏と出会い、それが大きな転機となりました。久石譲は20世紀末から指揮活動にも手を染め、指揮者としてリリースしたCDも何種かあります。その中で最大のものは、ベートーヴェンの交響曲全集でしょう。それは、スコア(楽譜)をじっくり研究する中で「ベートーヴェンの中に宝石を見つける思いがした」「ベートーヴェンはロックだ!」と語る彼の現在の音楽観が表れた記録と言えます。紆余曲折の果てにベートーヴェンにたどり着いたその姿は、さしずめ「釣りはフナに始まりフナに終わる」というところかもしれません。

ベートーヴェンの9つの交響曲の中で、楽聖が作曲に最も長い時間をかけたのが、最後の第9番「合唱付き」でした。
昨年の12月のニュースレターに「トットちゃんと第九」と題して、第九と日本のつながりについて書きましたが、今回も、1824年のウィーンでの初演から今年でちょうど200年目を迎える「第九」についてです。

第九の余波 CD 
音楽を聴くツールが発信データ中心になってきた現代では、CDを知らない若者も増える一方ですが、かつての王者、LPレコードを押しのけて台頭していくCDの勢いには、輝かしい未来が待ち受けているように思えました。このデジタルツールは、それまでのレコードと比べて操作が手軽なことやノイズが入らないことの他に、一枚あたりの収録時間が長い(初期は74分)というメリットが売りでした。この74分という時間には、異説も多々ありますが、指揮者カラヤンの意見があったとも言われています。彼によれば、途中で音盤を裏返したり入れ替えたりしなくても、長い曲を始めから終わりまで聴ける収録時間が理想でした。その際、基準とされたのが第九だったというのが、もっぱらの通説です。

第九の余波 世紀末ウィーン絵画
そのカラヤン亡き後、後釜としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督となったのがクラウディオ・アバドです。彼はそれ以前からベルリン・フィルのライバル、ウィーン・フィルとも関係が深く、彼自身初のベートーヴェン交響曲全集もウィーン・フィルとの録音でした。それは発売当初から大きな話題となりましたが、演奏や録音だけでなく、そのアルバムジャケットにも注目が集まりました。それは、19世紀末のウィーンの画家、クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」という壁画からデザインされたものです。この作品は3部構成で、「世の因習に奪われてきた自由を奪還する人間の戦い」であるベートーヴェンの第九の世界を視覚的に表現しています。前衛美術のリーダーであったクリムトには、支持者とともに敵も多く、この壁画もバッシングを受け、彼を支援してきたウィーン市当局までが拒絶反応を示しました。そのため、個人の注文にのみ応じ、描きたいものだけを描く画家として、彼が再スタートを切るきっかけとなった作品でもあります。