アマチュア参加ガン患者と第九 「第九」初演200年⑤

日本のテレビ番組には音楽関係のものが数多くあります。ギネスブックで、クラシック音楽の長寿世界一の番組と認定された「題名のない音楽会」を代表として、ジャンルにかかわらず、各放送局が趣向を凝らして作り上げた音楽番組は、さながら百花繚乱の趣があります。 


その中の民放系番組の一つが、今年の8月に「ガン患者と第九」という特集を組んでいました。 ベートーヴェンの第九はオーケストラ以外に大編成のコーラス(合唱)を用いる作品ですが、この番組は、そのコーラスをガン患者が担当するという、おそらく世界でも前例のないコンサートと  その練習の様子を伝えるものでした。
これは、2017年と2019年にも開かれましたが、コロナ禍による中断の後、今年の6月30日に満を持して再開されたチャリティコンサートです。場所は東京のオペラシティ・ホール、管弦楽は日本フィルハーモニー交響楽団でした。そして、数年前に血液のガンである悪性リンパ腫を患いながらも寛解し、現在も活躍中の男性アナウンサーが司会として起用されました。このコンサートの収益は、ガンの研究団体に寄付されるとのことです。
オーケストラとともに歓喜の歌を歌いあげた数十名の合唱団のうち8割がガン患者で、残りもガン担当の医師や看護師やサポートメンバーなどで占められています。その中には、自らもガンを発症したガン専門の医師も含まれています。治療の甲斐あって病が完治した人もいれば、今も闘病中の人もいますが、どの人も前を向いて生きている様子が画面から強く感じられます。そして、もちろん全員が音楽のアマチュアです。
練習風景も、とても和やかで楽しい雰囲気にあふれていました。メンバーは、皆一様に明るい表情で、それだけを見ていると、とても難病を患ったとは思えないほどです。ガンの宣告を受けてから、ここに至るまでには一人一人たいへんなご苦労があったであろうことは容易に想像されますが、それだけにベートーヴェンの演奏における「喜び」の表現には、ウソや半端がないと言えるでしょう。
日本で演奏される第九のコーラスには、アマチュアの参加率が非常に高いのですが、ここでも、そういったメンバーに プロの指揮者が真摯に指導をする姿がありました。指揮者は日本の中堅指揮者として知られる藤岡幸夫氏で、時には熱っぽく、また時にはユーモアを交えた練習風景からは、参加者全員の生きる喜びがじかに伝わってくるようでした。
57年の生涯で、絶えず人間関係の葛藤に煩わされていたベートーヴェンですが、それと同時に難聴をはじめとする健康上の問題も大きな悩みの種でした。彼にはいくつもの持病がありましたが、中でも、第九完成の後に悪化した腸の病は深刻で、一時は生死の境をさまようほどでした。その後かろうじて快復した彼は、当時作曲中だった弦楽四重奏曲の第3楽章に感謝の思いを表現しています。その楽譜には本人による「病より癒えた者からの神への聖なる感謝の歌」の但し書きがあります。
その楽章はまさに教会での礼拝を思わせるような響きで、当時、彼が大きな関心を寄せていたルネサンスの大作曲家、パレストリーナの教会音楽の強い影響が見られます。またその一方で、力強く弾むような響きも聴こえますが、それは、生まれ変わって生きる喜びを表現するかのようです。その部分の楽譜にも、「新しい力を得て」というベートーヴェンの書き込みがあります。そして、それは前述のガン患者の皆さんの姿とオーバーラップするようにも感じられます。
ちなみに、この弦楽四重奏曲のフィナーレ(最終楽章)の主題(メロディー)は、本来、第九の最終楽章に使われるはずだったもので、それが後に現在の「歓喜の歌」に差し替えられたという経緯があります。もしこの主題が使われていたとすれば、第九はどんな姿になっていたのか。そんなことを考えながら聴くと、また興味深いものがあるかもしれません。https://youtu.be/1HJt624BgdU 弦楽四重奏曲第15番 第3楽章「感謝の歌」  3分19秒から「新しい力を得て」
https://youtu.be/IsXMge_FpeY 弦楽四重奏曲第15番  第5楽章(最終楽章) 「歓喜の歌」に差し替えらた主題