セーヌ川を下る旅 (最終回)

ここまで美術の話が多かったが、音楽も十分に楽しんだ。ピアニストの息子ジョン•キムラ•パーカーがミネソタ交響楽団の夏季音楽祭を担当している関係で巡航中の演奏を頼まれていた。彼はその日に見聞きした物事に関する曲を中心に解説つきで演奏した。例えば、ジベルニーのモネーの庭園を見た日にはドビュッシーの「雨の庭」、ルーアンの大聖堂を見た日にはこれもドビュッシーの「沈める寺」、サティーの家を見た日には彼の曲「ジムノペディー第一番」が曲目に含まれるといった具合。フランス旅行なのでコンサートの曲はクープラン、リュリ、マスネ、フランク、フォーレ、ミヨー、ラヴェルなどフランスの作曲家、それにパリで活躍したショパン、ストラビンスキーなども含まれていた。それでもバッハやベートーベンもあり、ピアソラも聴けた。



ノートルダム寺院広場の展示

写真の一、名高いガーゴイルも火災に驚き悲しんでいるよう

ノルマンディーのビーチを見た日にはメシアンの「時の終わりのための四重奏曲」だった。この曲はメシアンがドイツ軍の捕虜だった1941年に収容所内にバイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノを見つけて、やむを得ずこの組み合わせのために作曲したものだ。ヨハネの黙示録、10章、1〜7に基づいている。初演は収容所内。この日はピアノがクラリネットとチェロもカバーし、バイオリニスト(妻のアロイシア)との二重奏で第八楽章を演奏した。いつかメトロポリタン美術館所蔵の中世の絵で、時の終わりを告げる天使を描いたのを見たことがある。陸と海に着けた天使の両足に炎が燃え盛っている凄まじいシーンだったが、「イエスの不死性への讃歌」と副題のついたこの第八楽章には壮烈さはなく、ただ現在の世界情勢を考えさせられた。時の終わりを肌身に感じている人が世界中に無数にいることを思った。この夜のコンサートはこの一曲だけで人々の瞑想のうちに静かに終わった。

パリでは空と雲が美しい

音楽に関して忘れ難いのは、シャンゼリゼー劇場で、ピアニスト、グリゴリー•ソコロフの演奏会に行ったこと。彼の弾くバッハは絶妙そのもの。まろやかな音なのに数曲のDuetの二つの流れがはっきりと聞き取れる。パルティータ第二番では夫々のダンスの特徴が生かされていた。ショパン、シューマンも弾いたが、バッハの演奏が忘れられない素晴らしいリサイタルだった。
パリ滞在最後の日、火災後の修復中のノートルダム大聖堂を通りかかった。中には入れないが広場に丁寧な展示があり、それを丹念に読んで、いかに注意深い修復がなされているかを理解した。
思い返してみると、パリの空と雲が美しかったのが第一に頭に浮かぶ。フランスの日光の穏やかさは目新しく、それがあってこそ印象派の画家たちが栄えたのだと納得した。 
最後に食事のこと。船内の食事はフランス料理の名に恥じない美味しさで、朝には通常のシリアルだけでなくオムレツとクロワッサンを加え、ランチは豪華なビュッフェ、晩餐は三コース。美食のせいで心配していた体重は、帰国後普段の質素な食事に戻ったら元通りだった。こんなに美味しい食事ができるのだから別に船外でレストランに入る必要はなかったのだけれど、それも経験のうち。
一家三代一緒の旅は楽しく充実していた。孫娘の「オバアチャンと一緒でほんとに良かった」という言葉が嬉しかった。他にも訪れた町や場所や見ものはありますが割愛します。目の黒いうちにフランス旅行ができて感謝の気持ちで一杯です。 (完)