めったにテレビを見ない私ですので、国民的番組たる大河ドラマも紅白歌合戦も、長い間見たことがありません。同じNHKの朝ドラもほとんど全く見てこなかったのですが、今放映中の「おむすび」だけは9月開始から欠かさず見ています。理由は私の出身地の神戸が舞台であることと、来年の阪神淡路大震災30周年を記念した内容だからです。生まれ故郷の慣れ親しんだ土地がドラマに登場するのも楽しみですが、忠実に再現された震災当時の場面を見ることで、自分も被災した1月17日のさまざまな光景が脳裏によみがえってきます。そのような次第で、この秋は30年という時の重みをひしひしと感じながら過ごす毎日です。
神戸とその周辺では、毎年1月17日前後に震災関係のコンサートが開かれてきました。その中で、私も何度か足を運んだものに震災の犠牲者の御霊にささげるレクイエムがあります。もともとレクイエムは、カトリック教会が死者の魂を鎮めるために行うミサ(祈祷)のための音楽で、多くの作曲家が名作を残していますが、今では教会を離れてコンサートで演奏されることもよくあります。毎年の震災のコンサートでも、作曲当時からよく演奏されてきたモーツァルトとフォーレのそれが、繰り返し取り上げられてきました。しかし、30年を迎える来年2025年は、はじめてマーラーの作品が演奏されることになりました。曲は彼の8番目の交響曲で、俗に「一千人の交響曲」と呼ばれる壮大無比な楽曲です。音楽の天才にして深い教養の持ち主だったマーラーは、この作品でオーケストラに加えて、ゲーテの「ファウスト」の最終場面を歌詞とした声楽を駆使し、作品に深い奥行きを持たせました。ゲーテの「ファウスト」は「永遠に女性的なるものが我らを引き揚げる」という高名な決めゼリフで全編が閉じられる長大な作品です。今回、震災の区切りのコンサートにこの曲を取り上げることで、鎮魂や追憶といった死者へ目を向けてきた過去からステップアップして、未来への向上を目指す生者にスポットを当てるということなのかもしれません。(あくまでも私個人の推測にすぎませんが。)
この曲は、大編成のオーケストラに加えて、8人の独唱者、そして大人数のコーラス、さらには少年合唱まで加えた作品で、100年以上前の初演では、実際に1000人を超えるメンバーが舞台に居並びました。ただし、本来はオーケストラだけで演奏されるべき交響曲にマーラーが声楽を取り入れたのはこれが最初ではなく、彼の第2~4番の交響曲にすでに前例があります。歴史的に見ると、もともと交響曲という曲種は、管弦楽という楽器の集合体を演奏媒体として誕生し、発展してきました。そこに声楽を導入したのが革命家ベートーヴェンの第九であり、それを範として、彼を敬愛するベルリオーズやリストなどの後続たちが声楽入りの交響曲を書くようになり、その系譜はマーラーにまで連なっている。そういった説明がCDなどの解説書などには見られるかもしれませんが、正確にいうとそれは誤りです。
たしかにベートーヴェンよりも後の作曲家たちにとって、第九は大きなマイルストーン(一里塚)やランドマーク(指標)となった作品ですので、その点は揺るぎのない事実です。しかし、「交響曲への声楽の導入」という革新は、ベートーヴェンのアイデアではなく、他人の模倣でした。彼の若い頃、フランスで「合唱交響曲」という曲種が誕生し、人気のあった時代があります。当時の作曲家としてメユールやパエールといった人々の名が残っていますが、彼らに見るべき才はなかったようで、今となっては現実の音として聴くのも難しいようです。そういった、いわば二流の音楽家たちのアイデアを拝借しながらも、自らの表現を成し遂げられたところこそ、ベートーヴェンの才能であり、「したたかさ」でもあったといえるでしょう。
ところで、1月の「一千人の交響曲」を指揮するのは、地元関西出身の佐渡裕(ゆたか)です。彼は、バーンスタイン最後の弟子として海外での活躍も目覚ましい指揮者ですが、アマチュアがコーラスとして参加できる年末の「一万人の第九」を何年も前から指揮しています。以前テレビで見たその練習風景には、才能と経験に裏打ちされた彼の的確な指示により、大人数の合唱団が見る見る生気を得て、歌声が変わっていく様子がとらえられていました。そこには、人間に対する信頼の姿があるように思えました。
それを見ているうちに、ある映画の一場面が思い出されました。ちょうど阪神淡路大震災の頃のアメリカ映画「天使にラブソングを2」です。それは、反抗的な悪童ぞろいで教育困難な学校の生徒たちに音楽を指導し、さらには合唱団として育て、ついには全米コンクールで優勝させる教師のお話でした。女優ウーピー・ゴールドバーグ扮するその役柄は、いささかステレオタイプの熱血教師ではあったものの、(佐渡裕とも重なる)生徒の可能性への信頼と「自信ある行動は一種の磁力を有す」という言葉どおりの姿でした。そして、彼らがコンクールで歌った歌こそ、編曲バージョンではあるものの、第九の「喜びの歌」だったのです。
https://youtu.be/pIijA7s9_9Y 「天使にラブソングを2」 コンクールのシーン(Joyful Joyful)
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