表(ひょう)裏(り) アダージョとフーガ  モーツァルト

サンタクロースがそりに乗ってやってくることもあってか、12月はルロイ・アンダーソン(20世紀アメリカ)の「そりすべり」をよく耳にします。 

https://youtu.be/gAZXuASwLKg そりすべり R・アンダーソン 

そういえば、モーツァルトにも「そりすべり」という曲があります。アンダーソンよりも150年以上も前の作ですが、こちらも軽やかな鈴の音が心地よい曲です。 
https://youtu.be/VzgRbCU6swc
 そりすべり モーツァルト
子どもが無邪気に遊ぶようなこの曲は、35歳で世を去った作曲者の死の年の作ですが、何も知らずに聴くかぎり、そのことに気づく方はほとんどいらっしゃらないと思います。以前もこのニュースレターでご紹介したとおり、彼の音楽は、特にその晩年において尋常ならざる透明感にたどり着きました。そうした曲の他の例として、死の3年前(1788年)に書かれたピアノソナタハ長調があります。これは、楽譜が一見簡単そうに書かれているため、ピアノを学ぶ年少者にもよく弾かれる曲ですが、歳や経験を重ねたピアニストによる演奏は、一味も二味も違う慈愛に満ちたものになる珠玉の作品と言えます。

 https://youtu.be/I_AX4R-d29o ピアノソナタハ長調 モーツァルト  イングリット・ヘブラー(ピアノ)
このピアノソナタには、後世のモーツァル研究家による「K545」という作品番号が付けられています。つまり作曲順につけられた番号です。そして、このピアノソナタに続く弦楽のためのアダージョとフーガK546は、ほぼ同じ時期の作品にもかかわらず、同一人の作とはとうてい思えないほど重厚で深刻な音のドラマが鳴り響きます。その様は、鬼気迫ると言ってもいいほどです。モーツァルトの内面で、一体どのような嵐が吹き荒れていたのでしょうか。

創作家が同じ時期に対照的な作品たちを生み出すことはよくあります。作曲家をとっても、ベートーヴェンやブラームスなどにその顕著な例が見られますが、モーツァルトのこの作品たちも、そういった意味で光と影を持った一対と呼んでいいでしょう。それは人間の持つ表裏一体の二面性を表しているとも言えるかもしれません。https://www.youtube.com/watch?v=3cjjChlqifo&pp=ygU44Oi44O844OE44Kh44Or44OIIOOCouODgOODvOOCuOODp-OBqOODleODvOOCrCDjg4_nn63oqr8gay41NDY%3D

12月はベートーヴェンの誕生月(16日生まれ)にしてモーツァルトの没した月(5日が命日)でもあります。14歳違いの二人ですが、ともに古い音楽の形式であるフーガに高い関心を持ち、特に晩年、集中的に取り組んでいます。それはフーガの大家バッハの研究によるところが大でしたが、そこにはシュヴィーテンという男爵の存在がありました。彼は、死後忘れ去られたはずのバッハの音楽をことのほか愛好した通人であったため、二人の楽聖は、この男爵を通じて「音楽の父」の世界を深く知ることとなったのでした。
モーツァルト最後の作品としてK626の番号を持つのが、未完に終わったレクイエム(死者のためのミサ)ですが、そこで使われているフーガには、このアダージョとフーガK546がこだましています。                     https://youtu.be/h2aW4gSHEDU   キリエのフーガ (モーツァルトのレクイエムより)

 
  裏を見せ 表を見せて 散る紅葉   良寛                 


 (記 丸尾豪司)