聴衆は身じろぎ一つしなかった…嘆き リャードフ

寒さ厳しい今月ですね。こんな時は明るい音楽もいいですが、冬らしさを前面に出した曲も悪くないかもしれません。失恋した時や落ち込んだ時は、明るい曲で無理やり自分を鼓舞するよりも、悲しい曲に浸った方が心の回復が早いという(心理学や音楽療法で言われる)「同質性の原理」の応用です。
20世紀初めのロシアにリャードフという作曲家がいました。チャイコフスキーやムソルグスキーのような大曲を書く人ではありませんが、味のある小品を得意としていました。彼の代表的な作品に「8つのロシア民謡」があります。若き日のリャードフがロシア各地で収集した民謡が、10分を少し越えるひと時にオーケストラで次々と奏でられます。8つの曲はそれぞれ「聖歌」「クリスマスの贈り物」「嘆き」「道化の歌」「鳥の物語」「子守歌」「踊り」「村人の踊り」というタイトルを持っています。     https://youtu.be/Z53hVTQEeUw  「8つのロシア民謡」 リャードフ
この曲集の第3曲「嘆き」は、「哀歌」や「愁いの歌」などと訳されることもあります。名前はともかく、私には、この曲について終生忘れられない記憶があります。1970年代後半のことで、それはきわめて稀有な体験でした。その日聴きにいったオーケストラの演奏会のアンコールとして「嘆き」が演奏されました。初めのチェロのフレーズが鳴り始めるや、一瞬にして誰もが固唾(かたず)を飲んでその音に聴き入りました。名も知らぬこの曲にまるで憑りつかれたかのようです。わずかの後、深い余韻を残して「嘆き」は終わりました。しかし…誰も拍手をしません。会場は金縛りにあったように静まり返っています。あまりの感銘の深さに誰もが拍手という行動に移れなかったのです。どれほどの時が流れたことでしょう。この静寂が永遠に続くかと思われた瞬間、耐えかねたように聴衆の一人が大きな声を上げました。演奏に対する賞賛の声です。すると魔法が解けたようにあちこちで拍手が始まりました。 それはまたたく間に大きなうねりとなり、ホール全体を嵐のように包み込んで、いつ終わるともなく続いたのでした。「音楽の神髄に触れた。」あの日、私だけでなく会場の人全てがその思いを胸に家路についたと確信しています。もう半世紀近くも前のことです。
この奇跡のような演奏を成し遂げたのは、朝比奈隆の指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)でした。朝比奈氏は、当時70歳の手前。演奏家として最も脂ののっていた時期で、この頃を境にして、日本音楽界の最重鎮としての道を歩んでいくことになります。「嘆き」は、聴衆を大切にした朝比奈氏がアンコールでよく演奏した作品の一つで、いくつかの同曲のライブ録音も存在します。
戦後の焼け跡からスタートした朝比奈=大フィルは、地道に音楽集団としての研鑽に励み、彼らを後方支援する批評家たちの力もあって、徐々に演奏レベルを向上させました。晩年の90年代はチケットが毎回完売、演奏会は終演後の拍手が鳴りやまず、舞台からオーケストラが去った後も、指揮者だけが果てしなくカーテンコールされるという「朝比奈現象」まで引き起こしました。氏は大フィル以外の楽団とも数々の名演奏を残しています。「指揮台の朝比奈先生を見ていると、なぜか涙が止まらない。」 NHK交響楽団の若い女性バイオリン奏者の言葉からも、人が歳を重ねる意味を、朝比奈隆は身をもって示したように思います。
https://youtu.be/Y1AOHb7TAT8 「嘆き」 朝比奈=大阪フィルハーモニー  (1996年) 88歳
https://youtu.be/7mGuKEyj0zA  「嘆き」 朝比奈=新星日本交響楽団  (1992年) 84歳
その朝比奈氏も今年で没後四半世紀が過ぎようとしています。もはや過去の人かと思っていたところ、なんと今月、氏の未発表の録音がCD化されました。まさに「虎は死して皮を残す」です。生粋の江戸っ子ながら、京大で法学を学び、その地のロシア人音楽家に弟子入り。卒業後、関西の私鉄の運転士やデパートの売り子を経た後、指揮者への道を歩んだ変わり種の朝比奈氏は、戦前に移り住んだ神戸でその生を終えました。今は自宅近くの、市内が一望できる墓苑で永遠の眠りについています。 ここは、今放映中のNHK朝ドラ「おむすび」でも、大震災の犠牲者の墓として度々画面に登場した墓所です。