元祖モーニング娘⁈ マンドリン協奏曲 ヴィヴァルディ

いよいよ春本番ですね。春と聞いて真っ先に思い浮かぶ曲は、ヴィヴァルディの「四季」の1曲目「春」ではないでしょうか。どれほど多くの人がこのバロックの名曲を耳にしてきたことでしょう。ただ、彼にはその他にも優れた作品がありますので、今回はあえて「四季」以外の名曲をご紹介します。
「春」と同じく、曲名も作曲者名も知らずに聞かれているヴィヴァルディ作品の一つにマンドリン協奏曲があります。離婚する若い夫婦を描いて話題となった映画「クレーマー・クレーマー」(’79)の中で、ストリート・ミュージシャンたちが奏でる同曲は、この映画のシンボル的音楽ともなっています。映画といえば、黒澤明監督の遺作でもある、内田百閒と教え子たちがモデルの「まあだだよ」(’93)は日本的な美に溢れた映画でしたが、そのエンドロールでもヴィヴァルディが使われていました。曲は、当時斬新だった彼のバイオリン協奏曲を12(1ダース)まとめた曲集、「調和の霊感」の中の第9番第2楽章でした。https://youtu.be/xt2AYpTN0D8 マンドリン協奏曲ハ長調  https://youtu.be/Tzv_Q6zP8Xg  「まあだだよ」エンドロール 
ヴィヴァルディは、17世紀のベネチア(ベニス)生まれです。当時のベネチアには、身寄りのない子どもを預かる養育院(孤児院)がいくつもありました。旅行者の多い歓楽地としてのベネチアには、婚外子や未婚女性の子どもが多数いましたので、これに対し、キリスト教会が慈善事業としてそのような養育施設を作ったのでした。そこでは、大人になるための教育が施されましたが、その中に音楽も含まれていました。そのため、養育院の子どもたちが歌ったり楽器を演奏したりする姿は、ベネチアの呼び物の一つでもありました。バイオリンの名手ヴィヴァルディはもともと聖職者だったため、ある養育院で音楽教師をしていました。そこは女子だけの施設でしたが、多種多様の楽器を自在に操る妙齢の女性たちで編成された音楽集団は、ビジュアル的にも人気が高く、熱狂的固定ファンが多数いました。今でいうアイドルグループ的存在です。日本にも「モーニング娘」というグループがあります。それを プロデュースしたのは歌手のつんくですが、ヴィヴァルディと彼女たちの姿は、その300年前の先駆とも言うべきものでした。最初は教師だったヴィヴァルディも、彼女たちのために作品を次々書いていくうちに作曲家として目覚めていきます。マンドリン協奏曲も 調和の霊感も、彼女たちがいたからこそ生まれた作品と言えます。その後、彼は当代きっての人気作曲家となりますが、やがて  その人気が下降線を辿りはじめると、もう一旗挙げるべく活動拠点をなぜかアルプスを越えたウィーンに移します。が、この目論見は見事に失敗。貧困と失意のうちに彼は世を去ることになります。そして、その音楽も19世紀に至るまで忘れられたままでした。
そのウィーンには私も何度か足を運んだことがあります。しかし、当地ゆかりの芸術家や文学者たちの足跡を辿ることに熱中し、ヴィヴァルディのことはすっかり忘れていました。ある日、マーラーが結婚式を挙げたというカールス教会を訪ねた時のことです。教会から外に出て、その前の広場をブラームスの有名な銅像を見たりしながら歩いていると、ある建物に「アントニオ・ヴィヴァルディ」の名を刻んだプレートを見つけました。「もしや」と思いプレートの文言に目をやると「ここは貧民墓地の跡地で、ベネチア生まれのヴィヴァルディは1741年ここに埋葬された。」とありました。「俺のことも忘れるな。」異郷の地で再ブレークの夢破れて散ったヴィヴァルディの無言の叫びを聞く思いでした。彼がウィーンに行った理由は、近年の研究で判明しています。自分の支援者だったオーストリア皇帝カール6世の援助を頼ってのことだったのです。(これは皇帝の急死により頓挫。) カールス教会の名前はこの皇帝にちなんだもので、おそらくその関係で、ヴィヴァルディはその敷地の中の墓地に葬られたのでしょう。
では最後に「調和の霊感」から第6番をご紹介します。この曲を弾きたいがためにバイオリンを習い始めたという知り合いが私には何人かいます。   https://youtu.be/BL-KzcwHDbY バイオリン協奏曲イ短調 「調和の霊感」から