ウィーンに旅する (3)

音楽ばかりではない。美術鑑賞も大いに堪能した。まず見に行ったのはベルベデーレ宮殿(上宮)のクリムト。以前の旅ではベルベデーレは閉まっていた。今度こそはと意気込んで行った甲斐はあって、目を見張るようなクリムト二作を見た。やっぱり原作は違う。しかし「接吻」の輝く金色と華麗な色彩に騙されてはならないと思った。抱擁し合う恋人達は花の上ではあっても崖っ淵にひざまずいて、しかも女性はその崖っ淵に爪先でしがみついているではないか。「恍惚の後に危機が待ち構えているのでは?」と思った。もう一作は官能的な貴婦人かと思わせるが、上にちゃんと「ユーディットとホロフェルネス」と題名がついている。この絵は広告などに使われる場合に上半身だけを見せるので、右下にホロフェルネスの首が置いてあるのに気付く人はあまり居ないと思われる。イスラエルの都市ベトリアがアッシリア軍に攻められた時、敵将ホロフェルネスの首を討ち取ってイスラエルを救った寡婦ユーディットの話は旧約聖書外典にあり、多くの画家によって取り上げられている。そののち訪れたウィーン美術史美術館に展示されているレンブラントはホロフェルネスの宴席に臨む着飾ったユーディットを描いている。

レンブラント「宴席に臨むユーディット」(1634年. プラド美術館蔵)


ルーカス•クラーナハ(父)1530年と1537年の二作

そこでユーディットとホロフェルネスの話を続けると、美術史美術館で見た画家は一様にホロフェルネスの首を見せる。なぜこの話が数多くの画家の想像力を掻き立てたのか気になる。小さな戦いが絶えなかったヨーロッパで、「救国の乙女ジャンヌダルクのように国を/市を救え」というメッセージだったのか、神を畏れる敬虔な寡婦の象徴であるのか、救国のためには流血をも辞さない勇敢な女なのか。


ソラーリオ (1520年頃)ルイーニ(1530年頃)ダセスト(1510年頃)

血生臭い絵画のついでに、同じく聖書からサロメがバプテスマのヨハネの生首を皿に受けている絵を見てみよう。ユーディットの絵には手助けする侍女が入っていることもあるが、サロメの絵には一様に命令を受けて手を下した男も描かれている。人物は聖書の時代でなくルネッサンス時代の服を着ていて、女性達は一様に美女である。ダセストの絵では悪女サロメが聖母マリアのように赤と青の衣を纏っている。これには何か意味があるのだろうか?しかし私は思った。これらの美女も、オーブリー•ビアズリー描くオスカー•ワイルドの戯曲「サロメ」の挿絵、特に最後の挿絵の妖艶な悪女のスゴさには敵わないと。  


上からカラヴァッジョ「ゴリアツの首を持つダビデ」(1600年)|ブリューゲル「バベルの塔」(1563年)と「農民の婚宴」(1568年) 

ついでに言えば、男の首を討ち取るのは女性とは限らない。ユーディットとホロフェルネスを描いたカラヴァッジョはゴリアツの首をとったダビデをも描いている。私は首を討ち取る人に固執しているわけではない。文盲の会衆の為に聖書に出てくる話を絵画で説明したことは理解できるし、この美術館には肖像画に混じって聖書に基づいた絵画が多数ある。
それに反して、遊ぶ子供達や村人の生活、農民の仕事を画題としたブリューゲルはやっぱり新しい観点を持った素晴らしい画家だったと思った。