世界一の長寿国といえば、言うまでもなく日本のことですが、それに伴う社会問題もいくつか 抱えています。「孤独死」もその一つです。孤独死とは「誰にも看取られずに一人で亡くなり、死後もしばらくの間発見されない状態」(ウィキペディア)のことです。その死因で半数を占めるのが病気で、自死は含まれません。遺品整理の業者によれば、孤独死する人はごみ屋敷のような室内で亡くなることが多いとのことです。そこにはセルフネグレクトが関係しているというのが専門家の見解です。自分で自分の世話をしなくなる状態、つまり、食事、着替え、入浴、ごみ捨てなどといった日常の行動を放棄し、持病の悪化の他にも、栄養失調による餓死や免疫力低下による感染症などで亡くなるメカニズムがそこにあります。また一人暮らしのセルフネグレクトには、一日中誰とも話さないといった孤独感が深く関わっているとも言われます。
つい先日、日本政府から「孤独死推計」という初の調査報告がありました。孤独死といえば高齢者に多いイメージがありますが、今回の発表ではそれに加えて、以前ほとんど見られなかった二十代、三十代の孤独死が増えている現状が浮かんできました。「お一人様」という言葉が定着して、日本では若者を中心に、外食でもカラオケでも一人だけで楽しむ風潮が広がっています。 自由で気楽な「お一人様」ですが、その反面、ネット社会の中で、仮面をつけた自分に人知れず苦悩する若者の姿も浮かんできます。近未来のディストピア小説「1984」の作者として知られるジョージ・オーウェルは、若い頃に「群衆の中の孤独」を感じたと言っていますが、それに近い「本当の自分を誰も知らない」という孤独感や絶望感を抱えた若者が増えているのかもしれません。
一方、孤独は必ずしも不幸ではない。いや、むしろその逆であると語る詩人がいました。古代中国の陶淵明(とうえんめい)(陶(とう)潜(せん))です。社会から隔絶した暮らしの中で、不安も不満もない満ち足りた自分の暮らしをのどかに詠んだ代表作に「飲酒」があります。「私の粗末な家は人里にある。しかし、誰も訪問することがない。私の心が俗世間から離れていて誰とも付き合いがないからだ。庭の菊の花を摘み、夕日に映える南山を眺める。そこを鳥たちが連れ立ってねぐらに帰っていく。この中に人生の本当の意味がある。それを説明しようにも、ふさわしい言葉が見つからない。」 (陶淵明「飲酒」 大意)
時代は下って、19世紀ドイツロマン派の詩人、リュッケルトの「私はこの世に忘れられ」という詩が、陶淵明に近い心境を語っていると思われます。そして、この詩に音楽をつけたマーラー(19世紀オーストリア)の歌曲は名曲として知られています。
https://youtu.be/CMIsBjKPSWk 「私はこの世に忘れられ」 マーラー (日本語訳つき)
この歌は、同じ頃(20世紀初頭)に彼が作曲した交響曲第5番の第4楽章とメロディラインや雰囲気が似ているという指摘が あります。「マーラーのアダージェット」として知られるこの楽章との聴き比べもまた興味深いものです。なぜなら、これは親子ほど年の離れた新妻、アルマへの愛のメッセージとして書かれた曲だからです。かたや隠遁生活を、そしてかたや新婚の歓びを同時に音にできる分裂型の芸術家マーラー。彼こそが「群衆の中の孤独」というものを誰よりも知る人物だったのではないでしょうか。
https://youtu.be/BJT5BUZr_9Y マーラーのアダージェット 動画の画像はこの曲が使われた映画「ヴェニスに死す」から
かつて、グリンツィングというウィーン郊外の土地にあるマーラーの墓を訪ねたことがあります。生前、カトリックには改宗したものの、ユダヤ人だったため、ベートーヴェンやシューベルトたちが眠る中央墓地に入れなかった彼の墓石の前で「私はこの世に忘れられ」が思い出されました。彼にとって愛や孤独や死はいかなるものだったのか。しばしそういう思いにふける時間でした。
マーラーの墓 グリンツィング
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