夏の思い出 フィンガルの洞窟 メンデルスゾーン

8月は旅行シーズンですので、今年も多くの方がバカンスや遠出の旅を楽しまれたこと でしょう。せっせとお金を貯めて、念願のヨーロッパに私が初めて行ったのも、40年前の 8月のことでした。ツァーパックの旅行で、はじめは寄せ集めのよそよそしかった一行も、 何日かすると少しずつ打ち解けていきます。そうなると今度は何人かの方が、行ったことのある国の数や同じ国に行った回数や、どれだけ珍しい場所に行ったかなどを巡っての自慢話に花が咲くようになり、最後はさながらマウント合戦の様相を呈していきました。添乗員の方が小声で教えてくれたところでは、パック旅行の場合、必ずそういうお客様が何組かいらっしゃるとのことでした。そういう方のお話は、興味深く勉強になる反面、何度か聞いていくうちに、若干食傷ぎみになったというのも正直なところです。
ある日の食事で、そういうご夫婦と相席になりました。知的なご年配で旅行経験豊富なご様子でしたが、特にスコットランドが 良かった。あそこはお薦めです。とのことでした。そこで「ではフィンガルの洞窟にも行かれたのですか?」と尋ねたところ、「フィンガルの洞窟?何ですか、それは?」と逆に聞き返されました。「あれ? スコットランドが好きなのに、フィンガルの洞窟を知らないの?」と内心は思ったものの、そこは顔には出さず、同地について自分の知る限りの情報を一応お伝えしました。しかし、結局お二人は合点されずじまいでした。
フィンガルの洞窟は、スコットランド沿岸の島にある玄武岩の岸壁にできた洞窟のことです。長年にわたってバイキングの侵入に 悩まされてきたスコットランドですが、この洞窟は、彼らと戦った伝説の英雄フィンガルにちなんでこの名があります。二十歳の8月に当地を訪れたメンデルスゾーン(19世紀ドイツ)の「フィンガルの洞窟」という管弦楽作品でもその名をよく知られています。曲は彼が現場で着想した、岸壁に寄せては返す波を表す音型の繰り返しで始まります。そして、海の厳しさや人間どうしの争いなどを感じさせながら進み、最後は静かに消えていきます。全編、メンデルスゾーンらしい憂愁に満ちたメロディに溢れた曲です。
 https://youtu.be/zyZ5cHUaiBI?list=RDzyZ5cHUaiBI  序曲「フィンガルの洞窟」 (洞窟の動画つき) 
フィンガルの洞窟は、スコットランドの中でもハイランドと呼ばれる北部にあり、しかも、島から島へ船を乗り継がないと行けない  辺境の景勝地です。例のカップルは、観光地の多い南部の方がお気に入りのようでした。ただ、この洞窟のある島は「ヘブリデス諸島」の中の一つですので、あの時、ヘブリデスの名を出せば通じたかもしれないと、日本に帰ってから少々悔やんだ次第です。(メンデルスゾーンの曲も別名が「ヘブリデス」となっています。)
余談ですが、フィンガルの洞窟を形成する玄武岩という岩石は、それと同じ石でできた兵庫県の玄武洞から名付けられました。「玄武」は、亀の尾が蛇になっている中国の伝説上の奇獣で、 玄武洞の柱状節理が亀の甲羅や蛇を思わせるところからの命名でした。志賀直哉の小説でも知られる城崎(きのさき)温泉から目と鼻の先の玄武洞は神戸から車で3時間ほどですので、 私も何度かこの奇観を訪ねました。(自慢ではありません。念のため。)それもやはり夏が多かったことを覚えています。                                   記 丸尾豪司