ザルツブルクに一泊旅行をした日には暫く雪が降ったが、ソフィーはレンタカーを無事に運転してくれた。途中ハルシュタットの湖畔の教会が見えた。オーストリアの典型的景色として有名だそうな。
ザルツブルクに着くと、大規模なクリスマスマーケットをざっと見た後、モーツァルトの生家に急いだ。12世紀に尼僧院の敷地内に建てられ、結婚した父レオポルトが1747年に三階に入り、一家は26年間そこに住んでいた。台所、居間、寝室(モーツァルト生誕の部屋)とスタジオ(空の部屋にピアノだけが置いてあった)からなる質素な住まいで、七人の子供達の中で生き残ったのは1751年生まれの姉ナナールと1756年生まれのヴォルフガングのみ。寝室とスタジオが壁なしで隣接しているのが面白かった。睡眠時にふとアイデアの湧いた若き日のモーツァルトが寝床を飛び出してスタジオのピアノに向かったかも、などと想像した。
登山電車で行った丘の上の大司教の居城は立派で、窓から突き出た大砲や鎧などの武器、モーツアルトのオペラのシーンなど多くの展示物があり、特にマリオネット劇場の模型の数々は興味深かったし、ザルツブルクを巡る山々は美しかったが、コロレド大司教はモーツアルトを優遇しなかった人だという事が頭から離れなかった。
モーツァルト記念博物館内の台所
暖房装置
未完成の肖像画
登山電車で行った丘の上の大司教の居城は立派で、窓から突き出た大砲や鎧などの武器、モーツアルトのオペラのシーンなど多くの展示物があり、特にマリオネット劇場の模型の数々は興味深かったし、ザルツブルクを巡る山々は美しかったが、コロレド大司教はモーツアルトを優遇しなかった人だという事が頭から離れなかった。
ある日私達は友人お勧めのレストランに入った。私は鱒をオーダーした。シューベルトの歌曲の題名でありピアノ五重奏にもなっている上に、魚類でメニューに載っている唯一のお魚なのだ。出されたのは長方形のお皿に盛られた尾頭付きの鱒の丸焼きで、普通のディナープレートではハミ出す大きさだ。昔カナダ訪問の折お魚をオーダーした母が丸魚をナイフとフォークでどうやって開くのかと、少し困った顔をしたのを思い出す。その時は隣のテーブルにいた牧師さんが魚の捌き方を母にデモンストレーションしてくれた。それを側から見ていたのが今回役に立ち、自分で開いたフレッシュで美味しい鱒をエンジョイした。レストランを出る時、友人ロンディーから「ケイコ、とても上手にお魚を解剖していたわね」といかにも女医さんらしい褒め言葉を貰ってちょっと気をよくした。どうやら彼女は「解剖」の一部始終を斜め向こうから観察していたらしい。
大司教の城内の凝った暖房装置
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