ウィーンに旅する (完)

シェーンブルン宮殿の日本庭園訪問の目的は達成し、夕闇迫るなか息子と私は帰途に就いた(と思った)。ところがネプチューンの噴水に引き返す前から目に飛び込んできたのは、丘の上の夜空に燦々と輝くグロリエッテである。私はそこまで行きたくなり、「今日はだいぶ歩いたよ」と言う息子の言葉をよそに丘に登り始めた。ジグザグの登山道に沿って暗闇のなか私達は辿り着いた。その眺めが次の写真である。ウィーンに関連する全ての美しいものの象徴のように見え、ウィーン滞在のピークであった。振り向いてウィーン市に目をやると、遥か彼方にシュテファン大聖堂の尖塔が白く夜空に浮かんでいた。
この日の歩数は何と15,000歩を超えていた。

シェーンブルン宮殿敷地内のグロリエッテ. 一つ星はヴィーナスだそうな。

オーストリア•ハンガリア帝国統治下のウィーンは文化的に繁栄した。しかし帝国の圧政の中で王室、貴族、上流社会が権威をふるい贅沢を享楽する一方で、庶民、貧民は働き、喘ぎ、衣食住の足りない生活を強いられた者もいた。それもウィーン滞在中に絵画で目にした歴史の一部で、忘れられない。21世紀の今、私達は往時の専制の結果の一つとも言える様々な高度の文化(音楽、絵画、文学、建築など)を享受している。その文化の裏にこの紀行では言及しなかった無数の “犠牲者” がいた事を思うと、聴く、観る、読む作品の一つ一つが、より一層尊く貴重なものに思われる。
旅の終わり近くに、分かったという顔をしてアロイシアが私にひと言、 “Fish and green tea!” (「お魚と緑茶ね」) と。どうやら彼女は旅のあいだ私の食事を観察していたらしい。手術した手でテーブルナイフを使ってお肉を切るのは難しいので、フォークを使えば済むお魚をオーダーする。ワインは飲まないので緑茶を頼む。理由はそれだけなのだが、彼女は私の健康長寿(?)の秘訣を握ったと思ったらしい。ついでに私は “And eat to 80% of your capacity.” (私なりの「腹八分目」のこと) と言おうかと思ったが、やめておいた。
16日に及ぶウィーン旅行は終わった。観た物、聴いたもの全てが高度な文化を物語っていた。二度と見ることはないと思っていたウィーン。感じ、考え、思うことの多かった旅。この歳で再度のウィーン訪問ができたのも、息子ジョンが飛行機の予約をし、アロイシアが前売りチケットを買っていてくれたおかげである。二人に深く感謝すると共に、この旅を分ち合った他の仲間たちにも心からありがとうと言いたい。