お先に行きますが皆さんお幸せに 即興曲 シューベルト

日本では、今年もベートーヴェン「第九」の師走が近づいてきました。12月限定の公演数の多さ  から考えても、日本は、世界で最も「第九」を愛する国と言ってもいいでしょう。私の古い友人にも、第九を至高の音楽と呼んではばからない者が何人かいました。音楽雑誌やテレビ番組などでも、 12月の特集として第九が取り上げられることが、今でもよくあります。
昔、そういった雑誌記事を読んでいると、こういうことを書いている批評家がいました。「自分も若い頃は第九に酔いしれた。これぞ人類の宝だと信じていた。しかし、歳を取るにつれて、作品がだんだん重く感じられるようになった。 今はむしろシューベルトのピアノ曲あたりで、優しく静かに慰めてもらう方がいい」
「第九」初演から3年後の1827年、56歳で亡くなったベートーヴェンの葬儀には2万人を越えるウィーン市民が参列しました。シューベルトもその一人ですが、彼は敬愛する楽聖の棺を墓地まで挽いていく大役の一端を担いました。この年、彼が書いた 作品に「即興曲」があります。全部で 4つのピアノ曲から成る作品ですが、親しみやすいメロディが、明るい長調と暗い短調の間を夢のように揺れ動き、どの瞬間にも魅力が溢れる曲集です。また、昔からピアノ練習者に親しまれてきた作品でもあります。
長らく病をかかえていたシューベルトは、その翌年、帰らぬ人となりました。享年31歳でした。ですから即興曲はシューベルト晩年の作品ということになります。「シューベルトは別れの音楽です。自分は逝くけれど残ったあなたたちは幸せでいてくださいね、というメッセージがこめられています」日本を代表する女流ピアニスト、伊藤恵(けい)は彼の晩年の音楽をこのように評しています。  
https://youtu.be/FWLZi5sRrR4?list=RDFWLZi5sRrR4  シューベルト「即興曲」作品90  アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
ここで「即興曲」を弾いているブレンデルは、20世紀のピアノの大家にして、シューベルトのスペシャリストとも称された人物です。この録音は、彼が自他ともに認める世界的ピアニストになってからのものです。 
ブレンデルは、デビューして間もない無名時代にも、アメリカの小さなレコード会社のために、「即興曲」を録音しています。廉価盤のLPとして発売されたその録音を私も持っていますが、それを初めて聴いた時の不思議な感銘は、今でもよく覚えています。
それは、後の人気演奏家となった彼のパフォーマンスとは一線を画するものでした。まるで誰もいない密室で、シューベルトと対峙して無言の対話を交わすかのような音で、自分を捨てた「無私」の境地を感じさせました。慌ててレコードジャケットの解説を読むと、その演奏について「尋常ならざる沈潜」という言葉が使われていました。「沈潜」とは「深く沈み込む」という意味ですが、あたかも、死を覚悟した作曲者晩年の「悟り」にも近い心情を具現化した音を聴く思いでした。そして、この録音はブレンデルが31歳の時のものだということも分かりました。シューベルトの没年と同じ歳です。それが、この演奏家の内面に何らかの作用を及ぼしたのでしょうか。ブレンデルは今年6月に94歳で亡くなりました。シューベルトの人生の3倍の長きにわたる生涯でした。その彼が遺した膨大な録音の中でも、この時期のものだけは、後年の巨匠然とした演奏に比べて、沈潜の妙が際立っているように感じます。
シューベルトの即興曲は作品90の4曲ともう一つ、作品142の4曲もあります。こちらも同じ年に書かれたものです。これら8曲の即興曲は、200年にわたって多くの人々に変わらず愛されてきました。
https://youtu.be/qZSnxngDT44?list=RDqZSnxngDT44 「即興曲」作品142  伊藤恵(ピアノ)