危うきに近寄らず ― 毒性をもつ植物日本でどこにでも生えているドクダミは、名に反して毒草ではありませんが、野草の中には毒性をもつものは珍しくありません。君子危うきに近寄らず、馴染みのない植物には不用意に触ったり、口に入れたりしないのが賢明です。Indian Hellebore 水辺や湿地帯に群生する多年草。葉や花など全てにアルカロイド系の毒が含まれ、特に根の部分の毒性が強く、わずかな分量でも口にすると意識不明となり死に至ることもあるそうです。Foxglove ジギタリスの名で知られています。ヨーロッパから移入された外来種で、背が高く華やかな姿は一際目立ちます。個体全てが有毒で、心臓の機能に影響するため、強心剤の原料として使われていたこともありました。Cow-Parsnip この数年話題になっている外来種のGiant Hogweedとよく似ている北米の原生種で、Giant Hogweedよりも小型です。茎の表面の樹液に触れると皮膚の炎症を起こすことがあります。ただし先住民は茎の皮を剥いて芯の部分を食用にしていたそうです。Red Elderberry 房状の赤い実をつける灌木。茎、葉、樹皮などには青酸が含まれていて有毒ですが、赤い実は食用になります、ただし種を取り除き、必ず加熱しなくてはならないそうです。Western Bog Laurel 湿地帯に自生し、ピンク色の可愛らしい花をつける小型の潅木。葉の部分は人間にも動物にも有毒で、さらに花の蜜にも毒が含まれているそうです。2025.06.26 05:16
North 40 Waterworld10“H x 14”W、300lbラフ水彩紙使用冷戦時代この近くにはカナダ軍隊のコミュニケーションセンターが設置されていたそうだ。デルタ市のバウンダリー湾の北に接しバウンダリー空港があり、その北側の森は働いていた当時の人々の為の住宅地区になっていた。従ってオンタリオ通りとか、アルバータ、セントローレンス、スキーナなどとカナダの親しみ易い道路名が幅広い舗装された街路の後に残されている。その通りには数々の住宅が建ち並んでいたらしい。住まいの形跡は残されていないが、区画から見ると明確である。この不思議なムードの宅地には樹林が育ち鳥の鳴き声のする森や藪が辺りを覆っている。大木のオークなどが目立ち、地上は水に覆われ何とも言えないムードを与えている。周りで懸命にイーゼルを立てて絵を描くアーティスト達は美を求めるのに集中しているのだろうか? 僕はここに光の変化の激しい水中の大木肌を見て1995年のUniversal film;Waterworld を思い出していた。ケヴィン・コストナー主演の地球環境滅亡後の世界を描いた小説の映画化である。両極地の氷が完全に溶け、7600mも地球上の水位が上がりドライランドは残っていないと思われていた時代の文明の想定である。この物語ほど地球文明が変化してしまうのは恐怖であり寂しさを感じてしまう。デルタ市のこのOff-leash Dogパークに入り妙な気持ちになった。此処に住んでいた人間はどうなったか?と。おそらくこれは自分一人の妄想であろう。この地域一体は大きなフレイザー河デルタ地帯で広い湿地帯になっている。バウンダリーベイとフレイザー河サウスアームの間は、国際的にRamsar Wetlands Conservationとして指定されて居る。2025.06.26 05:04
歩こう会 バンデューセンガーデン 黄花藤5月22日木曜日、薫風が新緑を揺らす清々しい初夏の日に、バンデューセンガーデンに会友1名を含む参加者22名が集合し、黄花藤を愛でる歩こう会をスタートいたしました。入り口の噴水を横目に進んでいくと左手に黄金色に輝く満開の木花藤が見えてきました。バラ園の横から入る黄花藤小路は、紫いろのアリウムと眩しくキラキラと光る黄花藤とのコントラストが圧巻でした。八重藤棚の横を通り石楠花、ツツジの道を進み、幻の花とも称される希少なブルーポピーを鑑賞しました。1時間ほど歩いた後は、青空の下、参加者全員で園内の芝生の上でお弁当を広げ、終始和やかな時間を過ごす事ができました。ランチの後も1時間ほど庭園の中を散策し、初夏の庭園を満喫され、喜んでいただきました。参加された皆様、ありがとうごじます。他の写真はこちらからご覧ください。https://photos.app.goo.gl/6TNLekxpjpj9YqUF7(記:吉武真理)2025.06.26 05:02
山下俊忠さんの思い出寄稿:桜楓会元副会長 アンデイ九十九2025年6月14日元桜楓会会長山下俊忠氏(以降は氏と記述)は5月27日に日本の東京で急逝しました。重病に罹っているとは当初はご本人も思っていなかったと自分は感じています。6月3日に告別式が東京のお寺で行われ、私は元バンクーバー総領事岡田誠司氏と一緒に参列しました。氏に関連する文章を桜楓会ニュースに載せる要請を受け、ここに寄稿します。氏はリッチモンド日産自動車販売会社社長としてカナダへ赴任され前任社長と一緒に会いました。朗らかで誰にも好かれるお人柄だと思ったのが彼の第1印象でした。しかし長いお付き合いになるとは全く思っていませんでした。氏は会社を上手に運営し、数多くの自動車販売会社のなかで目覚ましい実績を上げられる経営者でした。そして驚くほど急速にカナダ生活に順応して、ゴルフに蕎麦打ちに友好の輪を広げていました。私のゴルフの先生は弁護士のフランク花野先生。自分は上達できませんでしたが、あら不思議! 私より後から始めた氏の腕前はメキメキ上達してビックリ。氏が出るゴルフトーナメントはいつも彼が優勝者になる腕前・・・驚きの連続でした。さて更なる驚きは蕎麦打ち。商社駐在員に蕎麦打ちの名人が居りました。氏はいつの間にかその名人の弟子になり、メキメキ腕を上げてバンクーバーの有名人になり、毎年末には年越し蕎麦の会を何度もご自宅で開催して地元の日本人社会の有名人になっていました。桜楓会の旅行役員を拝命していた私は、氏を役員に勧誘しました。桑原会長が退任したタイミングで次の会長に氏を全役員一致で推薦しました。氏の桜楓会体制は楽しく友好的で旅行会もゴルフ会も各種講演会も氏を中心に一緒に楽しみました。旅行ではアラスカンクルーズ、ハワイクルーズ、カンクンなど色々な所へ氏と一緒に行きました。2015年に桜楓会設立30周年記念夕食会を開催しました。第11代会長山下俊忠さんと第10代会長桑原誠也さんと設立功労者鹿毛達夫さん3名を名誉・永世会員に選んだとの発表が、第12代会長の久保さんからあり、集まった100名以上の会員の万雷の拍手でした。私は日本へ帰国し伊豆半島のマンションに居住しています。驚いたことに氏もこのマンションを買って今まで一緒に楽しい交流を続けてきました。マンションはゴルフを楽しむための別荘で、友人も泊められるよう客室も設置していた様子でした。氏の蕎麦打ちは益々腕を上げておられ、私共夫婦も招待されて久しぶりの年越し蕎麦を賞味しました。彼の客室にはカナダからの知人友人も何人も訪れていました。桜楓会の知人、ゴルフ友人、元バンクーバー総領事など沢山の人達でした。懐かしい人々とのふれあい・・・それを大切にする氏は長年の友と一緒に楽しんできた幸せな人生でした。合掌2025.06.26 04:59
「お一人様」の時代に 私はこの世に忘れられ マーラー世界一の長寿国といえば、言うまでもなく日本のことですが、それに伴う社会問題もいくつか 抱えています。「孤独死」もその一つです。孤独死とは「誰にも看取られずに一人で亡くなり、死後もしばらくの間発見されない状態」(ウィキペディア)のことです。その死因で半数を占めるのが病気で、自死は含まれません。遺品整理の業者によれば、孤独死する人はごみ屋敷のような室内で亡くなることが多いとのことです。そこにはセルフネグレクトが関係しているというのが専門家の見解です。自分で自分の世話をしなくなる状態、つまり、食事、着替え、入浴、ごみ捨てなどといった日常の行動を放棄し、持病の悪化の他にも、栄養失調による餓死や免疫力低下による感染症などで亡くなるメカニズムがそこにあります。また一人暮らしのセルフネグレクトには、一日中誰とも話さないといった孤独感が深く関わっているとも言われます。つい先日、日本政府から「孤独死推計」という初の調査報告がありました。孤独死といえば高齢者に多いイメージがありますが、今回の発表ではそれに加えて、以前ほとんど見られなかった二十代、三十代の孤独死が増えている現状が浮かんできました。「お一人様」という言葉が定着して、日本では若者を中心に、外食でもカラオケでも一人だけで楽しむ風潮が広がっています。 自由で気楽な「お一人様」ですが、その反面、ネット社会の中で、仮面をつけた自分に人知れず苦悩する若者の姿も浮かんできます。近未来のディストピア小説「1984」の作者として知られるジョージ・オーウェルは、若い頃に「群衆の中の孤独」を感じたと言っていますが、それに近い「本当の自分を誰も知らない」という孤独感や絶望感を抱えた若者が増えているのかもしれません。一方、孤独は必ずしも不幸ではない。いや、むしろその逆であると語る詩人がいました。古代中国の陶淵明(とうえんめい)(陶(とう)潜(せん))です。社会から隔絶した暮らしの中で、不安も不満もない満ち足りた自分の暮らしをのどかに詠んだ代表作に「飲酒」があります。「私の粗末な家は人里にある。しかし、誰も訪問することがない。私の心が俗世間から離れていて誰とも付き合いがないからだ。庭の菊の花を摘み、夕日に映える南山を眺める。そこを鳥たちが連れ立ってねぐらに帰っていく。この中に人生の本当の意味がある。それを説明しようにも、ふさわしい言葉が見つからない。」 (陶淵明「飲酒」 大意)時代は下って、19世紀ドイツロマン派の詩人、リュッケルトの「私はこの世に忘れられ」という詩が、陶淵明に近い心境を語っていると思われます。そして、この詩に音楽をつけたマーラー(19世紀オーストリア)の歌曲は名曲として知られています。https://youtu.be/CMIsBjKPSWk 「私はこの世に忘れられ」 マーラー (日本語訳つき)この歌は、同じ頃(20世紀初頭)に彼が作曲した交響曲第5番の第4楽章とメロディラインや雰囲気が似ているという指摘が あります。「マーラーのアダージェット」として知られるこの楽章との聴き比べもまた興味深いものです。なぜなら、これは親子ほど年の離れた新妻、アルマへの愛のメッセージとして書かれた曲だからです。かたや隠遁生活を、そしてかたや新婚の歓びを同時に音にできる分裂型の芸術家マーラー。彼こそが「群衆の中の孤独」というものを誰よりも知る人物だったのではないでしょうか。https://youtu.be/BJT5BUZr_9Y マーラーのアダージェット 動画の画像はこの曲が使われた映画「ヴェニスに死す」からかつて、グリンツィングというウィーン郊外の土地にあるマーラーの墓を訪ねたことがあります。生前、カトリックには改宗したものの、ユダヤ人だったため、ベートーヴェンやシューベルトたちが眠る中央墓地に入れなかった彼の墓石の前で「私はこの世に忘れられ」が思い出されました。彼にとって愛や孤独や死はいかなるものだったのか。しばしそういう思いにふける時間でした。2025.06.26 04:42
死と浄化 秋山和慶さんをしのぶ 元旦は冥土(めいど)の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 一休宗純今年の1月、指揮者の秋山和慶さんが亡くなった。84歳だった。元日に大怪我を負ったというニュースもショックだったが、まさか その月のうちに旅立ってしまうとは・・・。まるで一休和尚の歌を絵に描いたような死だった。十代の初め頃、友だちから借りた百科事典に入門者向けクラシック音楽のレコードが付いていた。それに毎日耳を傾けて音楽を 楽しんでいたが、ある日、そのレコードの「秋山和慶」指揮「東京交響楽団」というクレジットに目が留まった。秋山さんの名前を知ったはじめだった。おそらくご本人が、音大卒業後すぐに同オーケストラの指揮者に就任した60年代中頃の演奏だったのだろう。23歳で着任した東京交響楽団はすぐに財政破綻に陥ったため、その立て直しに秋山さんは奔走した。「自分のことはいいから、楽団員の給料を上げてほしい。」そういって経営者側と掛け合ったこともあったそうだ。「その頃、あのオーケストラの指揮者は自分しかいなかったので、ひと月に32回も本番がありましたよ。」後にテレビカメラの前で語る秋山さんはさわやかな笑顔だった。今や世界一長寿のクラシック音楽番組である「題名のない音楽会」が始まったのも、東京交響楽団を救うことが目的の一つだったと言われている。自分も、少しハイレベルのその音楽番組を彩る同オーケストラの演奏風景に毎週のように見入ったものだった。 秋山さんには、名門ベルリン・フィルからの出演オファーが三度あったと言われているが、いずれも固辞している。戦友の東京交響楽団の立て直しの真っ最中だったためである。とはいっても、人間であるかぎり欲を持たないわけはない。しかし、「無私」の精神で自国のオーケストラの未来に向き合ったのではないだろうか。「もしベルリン・フィルのオファーを受けていれば人生は変わっていた かもしれない。」と語る秋山さんだが、一方、「音楽を利用して自分の名声を上げてはならない。」とも言っている。音楽を出世や 自分を美化するための道具にしてはならないという謙譲の美の教えは、後輩指揮者たちに様々な影響を与えているようだ。その数年後、熱烈なラブコールを受けてバンクーバー交響楽団の音楽監督に就任した秋山さんは、コンサートマスターの長井明さんたちとともに、このオーケストラの演奏レベルを飛躍的に向上させた。その噂が届いたのか、20世紀の大指揮者ストコフスキーの指名を受け、彼の後任としてアメリカ交響楽団の監督を兼任することになる。その間、日本でもNHK交響楽団(N響)や大阪フィル(大フィル)の指揮台に立ち、N響ではオールアメリカ音楽のプログラムを指揮したことがある。今年、創設100年を迎えた N響だが、もともとドイツ系の指揮者とドイツ系の音楽を中心として発展してきた楽団だったので、この選曲は当時画期的なものだった。ラジオ放送されたそのコンサートのエアチェックテープを今でも愛聴している。大フィルもドイツ音楽を売り物とした楽団だったが、秋山さんは、あえてイギリス近代の音楽やストラヴィンスキーのバレエ音楽などを取り上げて、同団のレパートリー拡大に貢献した。(日本では追悼盤として、ご本人が大フィルを振ったヴォーン・ウィリアムズの交響曲のライブ録音が先日リリースされた。)自分も若い頃、大フィルと秋山さんのストラヴィンスキーの三大バレエや、シェーンベルクの「グレの歌」のような巨大なプログラムを聴いたことがある。また、テレビで見たN響との近代イタリア音楽の特集など、どれも強い感銘を受けたことを覚えている。が、肝心の指揮者の様子が全く記憶に残っていない。それは秋山さんの指揮がバレリーナのように全身を使った激しいアクションではなく、一見地味に見える簡素な動きが中心だったからかもしれない。しかし、分かりやすい堅実な指揮ぶりは、どの楽団からも演奏しやすいと信頼されていた。いわば、プロが評価するプロである。派手な指揮は素人の集団である聴衆を喜ばせはするが、それは闘牛士の赤いマントのようなものかもしれない。色盲の牛はマントの色を識別できず、見ている人間だけがそれを見て興奮する。秋山さんはそういう意味の興奮や感動とは無縁の音楽家だった。「私の理想は指揮者が目立たずに、オーケストラがいい演奏をすることです。」という言葉が何よりそれを物語っている。ここにも無私の精神が感じられる。また後進の育成にも熱心な人だった。数年前、UBCのチャンセンターにおけるVSOとの久々の共演が、秋山さんを聴いた最後だった。その日の「イタリア」交響曲も、ご本人らしい目の詰んだ演奏だった。終演後、演奏に参加された長井さんのお計らいで、秋山さんとお会いすることができたので、日本から持参していた秋山=VSOのCDセットにサインをいただいた。これは自分にとって秋山さんの形見に等しい。そのセットの中にR・シュトラウスの「死と変容(浄化)」が収められている。ご本人が亡くなった時、真っ先に脳裏に浮かんだのがこの曲だった。死が間近に迫った病床で必死に運命に抗いながらも、やがて力尽きた病人の魂の浄化を描いた作品である。それを聴きながら、志半ばで逝った秋山さんの今際の際(いまわのきわ)の想いを偲ばずにはいられなかった。 芸術は長く人生は短い ヒポクラテス 2025.05.25 14:59
白鷺去年の12月に東京へ行った時に見かけた白鷺の写真です。日本にいる時は白鷺はしょっちゅう見ていましたが、カナダでは一度も見たことがなかったので、これを見たときは「あーっ、白鷺だ!」ととてもうれしくなりました。全くけがれの無い真っ白な白鷺が水の中で獲物を狙ってゆっくりと進むさまは実に優雅です。一歩を踏み出すごとに水がかすかに揺れ、そのたびに水の輪が波のように上下しながら広がっていきます。さらに底の石に付いている緑の藻や、水面に反射している澄んだ青い空が、それに同調してそっと動きます。なんだか、この世のものとも思われない風景でした。この白鷺は、東京のJR浜松駅から徒歩1分の所にある、ビルに囲まれた旧芝離宮恩賜庭園で見かけました。皆様よくご存じの浜離宮恩賜庭園は芝離宮庭園から歩いて15分くらいの所にあります。(投稿者:筧朋子さん)2025.05.25 14:57
ウィーンに旅する (4) 美術史美術館の一部.銅像はマリア•テレジア女王美術史美術館にはチケットの期限内なら何度でも入れるので、三度くらい行った。最初にフェルメールの「絵画芸術の称賛」、デューラーの諸作品、ピーテル•ブリューゲル(父)の「バベルの塔」などルネッサンスからバロック時代の絵画を鑑賞。次にはレンブラントの特別展を観に言った。レンブラントの素晴らしさには言葉がない。彼の「アガタ•バス」という肖像画では衣服と扇の精巧さは類を見ない。よく見るとその部分は絵の具の色を重ねただけのような飄々とした筆致で、一瞬彼は印象派の手法を先取りしたのではないかと思った。この絵は英国王室の所蔵である。他にも個人所蔵の作品が展示されていた。これらの作品は特別展でないと見ることができないので、この場に居合わせたのはラッキーだった。レンブラントの作品を観た後では、ティントレットの或る作品でさえ比較的に平面的に見えたのだが、それでもティントレットの「スザンナと老人達」は、やっぱり出来の良い絵だ。2025.05.25 14:50
帝王も完敗だった 永遠のアレグレット ベートーヴェン今年は第二次世界大戦終結から80年の節目の年です。日本の敗戦は8月ですが、ナチス瓦解によるヨーロッパ戦線の終結は、それより早いこの5月でした。ナチスドイツと 連合国の戦いを描いた映画は数多くありますが、その中の一つに「英国王のスピーチ」(2010)があります。1939年、ポーランドに侵攻したドイツにフランスとともに宣戦布告 したイギリスの国王ジョージ6世(娘は後のエリザベス女王)がラジオ放送で国民に語り かけた実際の演説を元にして作られた作品です。国民に団結を呼びかけたそのスピーチは名演説として絶賛され、国民の士気を大いに高めました。開戦からほどなくロンドンはナチスによる執拗な空爆を受け甚大な被害を受けますが、結束した市民は、地下鉄の夜の構内を防空壕として過ごし、昼はそこから学校や職場に通うなど一丸となって市民生活を送り、この苦難を乗り切りました。「英国王のスピーチ」は幼い頃から吃音に悩まされていた国王が、一人の言語療法士との出逢いから一念発起し、やがて国家存亡をかけた一世一代のスピーチをやり遂げ、国民に大きな感動と勇気を与えるシーンまでを描いた作品です。 https://www.youtube.com/watch?v=zxew7HJS_Zo&ab_channel=clafitzy 「英国王のスピーチ」演説の場面https://www.youtube.com/watch?v=3oFmeT1RVQs&t=18s&ab_channel=fja09328jf09 演説の後このスピーチの場面にはBGM(音楽)が使われていました。ベートーヴェンの第7交響曲の第2楽章です。同じリズムの繰り返しの上に何者かが徐々に迫りくるような悲壮な情感をたたえた音楽で、スピーチに込めた国王の魂の高揚を象徴するかのようです。速度記号で「アレグレット」(やや快速に)と指定されているため、この楽章は「永遠のアレグレット」と呼ばれています。それまで、前衛音楽家として、作品が常に物議をかもしていたベートーヴェンですが、第7交響曲は例外的に初演が好評だった作品です。そのためアンコールとしてこの第2楽章がもう一度演奏されたほどでした。 https://youtu.be/ESilvOS2O9k 永遠のアレグレット「やや快速に」という指定にもかかわらず、昔はこの楽章をもっとゆっくり演奏する指揮者がよくいました。NHK交響楽団の指揮者だった岩城宏之は、ある手記の中で興味深いエピソードを紹介しています。それは、この交響曲をカラヤンがウィーン・フィルと 演奏した際のことです。指揮者はこの第2楽章を少しゆっくりと演奏しようとしました。が、オーケストラがそれに抵抗しました。そのため、何度も繰り返した結果、やっとカラヤンの望むテンポでリハーサルを終えました。ところが翌日の本番では、オーケストラ全員が指揮を完全に無視して、いつもの早めのテンポ(アレグレット)で演奏してしまったそうです。裏切られたカラヤンはというと、まるで最初からそのテンポを望んでいたかのような涼しい顔をして最後まで振り通しました。「カラヤンの完敗だった。」岩城はそう感想を述べています。往年のカラヤンといえば、ヨーロッパ中の音楽ポジションを独占して「帝王」と呼ばれた人物です。しかし、世界一を自認するウィーン・フィルもまたその高きプライドから、たとえ帝王の指示であっても、納得のいかない演奏は拒否したのでした。なお、岩城自身もベルリン・フィルやウィーン・フィルを何度も指揮しており、このレポートもそこで目撃したものです。ウィーン・フィルの海千山千のエピソードは枚挙にいとまがありませんが、それは又の機会に譲るとして・・・カラヤンより年長で、この楽団が心服していたカール・ベームという指揮者がいました。彼が晩年に同団と演奏した「永遠のアレグレット」は、超スローテンポだったことを付記しておきます。 https://youtu.be/XlYpc4JJkr0 カール・ベーム 最晩年の「第2楽章」 ウィーン・フィル クラシック音楽の楽しみの一つに同じ曲の異なった演奏の聴き比べというものがあります。2025.05.25 14:37
Tulip(油彩)5月の末、毎年、私の住んでいる地域で art walk という催しがあり、地域のアーティスト達がそれぞれのアトリエや家を開放して作品を展示します。それに先立ち会員は同じ縦 横 15cm 厚み3cmの木製パネルに好きな絵を描き、全員一律の価格で販売し、全額を精神障害者施設のアートプログラムに寄付する事になっています。この小さな絵はそのために描いたものです。2025.04.26 00:36