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ハリウッド映画四方山話 (投稿者:渡嘉敷治夫さん)

2025年10月3日公開のハリウッド映画『The Smashing Machine』。主演は、いまや“ハリウッドで最も稼ぐ男”と称されるドウェイン・ジョンソン。物語は「霊長類最強」と呼ばれた総合格闘家マーク・ケアの、栄光と転落、そして再生を描いた実話ドラマです。撮影現場で初めてドウェイン・ジョンソンに会い、握手を交わした瞬間、胸が熱くなりました。私は25年前から彼の大ファン。身長196センチ、体重111キロ──実際に目の前に立つと、私のような体格でも見上げるほどの圧倒的な存在感でした。彼は驚くほどフレンドリーで、休憩中には「日本の餃子の王将が大好きなんだ」と笑顔で語ってくれました。初めて食べたときはあまりの美味しさに思わずテーブルを叩いた、という逸話まで披露してくれました。そんなドウェインに対し、私が演じたのは――彼のキャリアを容赦なく断ち切る冷酷な日本人興行主。落ちぶれた格闘家に契約打ち切りを突きつける、非情な男です。ドウェイン「契約を打ち切られるのですか?」私「このお金で終わりだ」彼が金を数えて驚く。「え、これだけ?」私「それだけだよ」ドウェイン「お願いだから試合を続けさせてくれないか」私は横の役員に向かって冷笑しながら言う。「こいつ、バカなんじゃないのか? まだ試合するつもりでいるぜ」

枯れ葉舞う季節 交響曲第3番 ブラームス

秋も深まってきました。夕暮れ時、地面に舞う枯れ葉を見ながら、一抹の哀愁を感じる今日この頃です。今から60年以上前のことですが、ヨゼフ・カイルベルトというドイツの名指揮者がいました。ヨーロッパの  クラシック音楽を牽引する大立者の一人でした。彼はNHK交響楽団の招きを受けて何度か同団を指揮したことがあります。演奏された曲目のほとんどがドイツ・オーストリアの名曲ばかりでしたが、当時のライブ録音を聴くと、まだ発展途上だったN響から、ふだん聴けないような重厚で厳しいドイツ風の響きを引き 出していたことがよく分かります。ある日のリハーサルで「道に舞う枯れ葉のように」という言葉を使いながら、彼が曲のイメージを楽団に伝えていたことを、当時のコンサートマスターが語ったことがあります。印象に残る場面だったのでしょう。曲はブラームスの交響曲第3番の第3楽章でした。この楽章は、フランスの小説「ブラームスはお好き」(フランソワーズ・サガン)を原作とした映画「さよならをもう一度」(’61)で使われて以来、単独で演奏されることが多くなった作品です。3人の男女の間に揺れ動く想いと葛藤を巡るストーリーの全編にわたって、この切ない第3楽章が編曲されながら使用されています。https://youtu.be/0UL09_Q4b5g?list=RD0UL09_Q4b5g&t=34 ブラームス交響曲第3番 第3楽章  https://youtu.be/WCBoz0ls57k?list=RDWCBoz0ls57k ブラームス 交響曲第3番 第3楽章  映画の画像つきhttps://youtu.be/sw0E1p9tpwM?list=RDsw0E1p9tpwM 同曲 ボサノバ風アレンジ         映画の画像つき前月号で、「出すぎた杭は打たれない」という形で何曲かご紹介しましたが、このブラームスの曲もその仲間の一つです。ただ、  この交響曲は、第3楽章のみならず、4つの楽章すべてが魅力に富んでいますので、できるだけ全曲をお聴きいただきたいと思います。(ブラームスの交響曲は計4曲で、ベートーヴェンに比べて数は少ないですが、どの楽章も「外れ」のない充実したものです。) https://youtu.be/aynbkhsvs4o?list=RDaynbkhsvs4o交響曲第3番(全曲) バーンスタイン ウィーン・フィル ブラームスは、若き無名時代に同じドイツの先輩作曲家シューマンに見出だされ、世に紹介されました。そこから順風満帆のキャリアを重ね、押しも押されもせぬ大作曲家としての地位を築いていきます。年を経て、彼にも若き後輩を世に送る機会が訪れます。そのお相手は新進作曲家、ドヴォルザークでした。彼はドイツ人ではなく、ボヘミア(チェコ)の出身でした。しかし、その音楽にはドイツ音楽の影響が色濃く出ています。彼は後にアメリカに渡り、交響曲第9番「新世界より」で、よりグローバルな地平を切り開く ことになりますが、渡米前の作品は、ドイツ風の響きの中にボヘミア魂が躍動し、スイングしています。  中でも交響曲第8番は、その土俗的な持ち味から「新世界よりも傑作」という声が絶えない作品です。この曲も全楽章が聴きどころですが、中でも第3楽章が群を抜いて人気があります。日本では70年代後半、CBSソニーのCMでこの曲が流れたことから、その人気に火がつきました。その時使われたのは、同社の所有するブルーノ・ワルター指揮コロンビア 交響楽団の録音でした。ワルターは、先述のカイルベルトよりもさらに古株の指揮者ですが、フルトヴェングラーやカラヤンやバーンスタインなどのレコードが多く出回る前は、日本で最もファンの多い指揮者でした。また、マーラーの弟子としても知られています。               https://youtu.be/obacQGFCY2M ドヴォルザーク 交響曲第8番 第3楽章 ワルター コロンビア交響楽団https://youtu.be/7V0nX9AyFIk?list=RD7V0nX9AyFIk 交響曲第8番  全楽章 ワルター コロンビア交響楽団

驚くべき恵み  アメイジング・グレイス ビートルズ さだまさし

2001年9月に発生したアメリカ同時多発テロは、来年で25年目を迎える。毎年9月のアメリカでは、犠牲者の追悼の場面で幾度となく「アメイジング・グレイス」が聞かれたことだろう。アメリカ第2の国歌と まで言われるこの讃美歌は、日本でもよく知られているが、実は誰の作曲か不明なのである。しかし、 作詞者ははっきりしている。ジョン・ニュートンという18世紀イギリスの人物である。彼は奴隷船の船長をしていた。アフリカで「調達」した黒人たちを船に積み込み、それを元手に莫大な財を成していた。彼は無神論者で、時には神や信仰について罵ることもある無頼漢だった。しかし、ある時、乗っていた船が嵐に遭い、まさに沈没しようかという際になって、はじめて神に祈り始めた。それも必死に。「溺れる者はわらをもつかむ」の心境だったのだろう。すると、奇跡的に船は難破を免れ、彼は突如、神の存在を信じる ようになった。奴隷の売買は当時合法だったため、奴隷商人の職は続けていたものの、後に病に倒れた彼は教会に通うようになり、やがて布教者(牧師)となった。晩年は奴隷貿易廃止の運動に参加し、議会でも発言するなど、 180度転換の人生を送っている。そんな彼が黒人たちへのかつての仕打ちを悔い改め書いた詞がアメイジング・グレイスである。 ◆アメイジング・グレイス「驚くべき恵み。神は私のような『人でなし』にも愛を授けて下さる。」という冒頭の歌詞に「wretch」という言葉が使われている。 ニュートンがかつての自分をさげすんだ言葉で、辞書には「人でなし」「惨めな人」「恥知らず」といった最底辺の言葉が並んでいる。古来、聖歌の歌詞には聖書の中の言葉しか使わないという不文律があったが、それを破り、あえてこの言葉を使ったところに、 作詞者の並々ならぬ懺悔の思いが表れていると言えるだろう。なお、諸説あるものの、この歌のメロディはアメリカでつけられた  とも言われている。 https://youtu.be/BqACsPqCzV4?list=RDBqACsPqCzV4  アメイジング・グレイス  日本語訳つき ◆奴隷貿易「欧州人がアフリカ人に銃を渡さなければ、アフリカの争いのほとんどはなかっただろう」(ニュートン)。ヨーロッパから持ち込まれた 銃は、アフリカの原住民に富を巡る部族間の争いを引き起こした。その結果、奴隷船には、負けて捕虜となった黒人たちが積み込まれた。「黒い積荷」と呼ばれた彼らは南北アメリカに運ばれ、砂糖や綿花といった「白い積荷」と交換された。それがヨーロッパに運ばれ高値で売られたことが、大英帝国にかつてない繁栄をもたらした。この「大西洋三角貿易」によって売りさばかれた黒人奴隷は400年間で1000万人を越えると言われる。カナダなど世界の4分の1を植民地とし「太陽の沈まない国」といわれた  イギリスの繁栄を支えたものが、この大西洋貿易であり、世界最大の奴隷貿易港であったリヴァプールである。もとは小さな漁港にすぎなかったリヴァプールは、奴隷船が発着するようになるや、空前の活況を呈するようになった。この地に住む奴隷商人たちは、蓄えた財で金融業を営み、ひたすら豊かさを追求した。そして、彼らの多くが市長の座に座り続けた。イギリスが世界に先駆けて産業革命や資本主義といった現代にまで影響を与え続ける事象を確立できたのは、奴隷貿易による潤沢な資金があればこそのことだった。(長い時を経て、2007年にイギリスは、過去の所業についてアフリカ諸国に正式に謝罪している。)◆ビートルズリヴァプールの負の遺産が奴隷貿易であるとするならば、正の遺産と呼べるものは何か。それがビートルズであることに異論のある人はいないだろう。音楽史にも深くその名を刻む彼らであるが、メジャーデビュー前は、地元のライブハウスで細々と活動していた。港町リヴァプールには海外の音楽がさかんに持ち込まれていたため、その時の彼らの重要なレパートリーは、当時流行のアメリカ音楽のコピーであった。特にチャック・ベリーのブルースやリトル・リチャードのロックンロールなどの黒人音楽である。皮肉にも、彼らの故郷がもたらした黒人奴隷の子孫たちの音楽を白人の彼らがカバーしていたことになる。なお、かつての奴隷商人たちは、思い思いに町の道路に自分たちの名前をつけていったが、ビートルズの楽曲タイトルにもなっている「ペニーレイン」もその一つである。◆さだまさし1960年代以降の世界のポップミュージシャンたちの大半は、ビートルズから影響を受けている。日本も例外ではないが、その中の一人にさだまさしがいる。彼が書いた数多くの名曲の中に、  アメイジング・グレイスの使われているものがある。「風に立つライオン」である。彼と親交のあった 医師、柴田紘一郎をモデルとした歌である。柴田氏は、アフリカの黒人医療に生涯をささげた シュヴァイツァーに憧れ、三十代でケニアに渡り、紛争地の過酷な環境の中で原住民たち(黒人)の医療に携わった人物である。この曲の間奏と後奏部分にアメイジング・グレイスが登場する。 https://youtu.be/uYhhb0uOvsM?list=RDuYhhb0uOvsM  風に立つライオン   歌 さだまさし 指揮 佐渡裕 https://youtu.be/0uVaHg61_pA?list=RD0uVaHg61_pA  風に立つライオン  柴田紘一郎本人の映像 かつて黒人たちの命を軽んじた一人の男の書いた詞に曲がつけられ、黒人の奴隷制度の上に繁栄したアメリカで、  愛する人をテロで失い傷ついた人々の心を癒し、アフリカの原住民たちの命を一人でも救おうとした医師の心根に寄り添う歌に引用される・・・。まこと、音楽とは何と人間的で不思議な恵みであることか!    (柴田氏は今年2月に永眠)

出すぎた杭は打たれない バーバーのアダージョ

今月の初め、日本人ミュージシャン、ジョージ浜野の訃報がありました。といっても、その人だれ?という方がきっと多いことでしょう。しかし、かつての「ピンキーとキラーズ」のリーダーといえば、ピンと くるかもしれません。ただし、ほとんどの人の目に浮かぶのは、亡くなった本人ではなくリードボーカルだった今陽子の顔ではないでしょうか。このようにグループ歌謡やバンドの場合、いちばん目立つのはセンターで歌っている歌手で、その他のメンバーは、熱狂的ファン以外には顔も名前もあまり 覚えてもらえないということがよくあります。内山田洋とクールファイブも、ほとんどの人の目に焼き付いているのは、リーダーの内山田ではなく、ボーカルの前川清だと思います。グループやバンドは 活動半ばで解散することがよくありますが、その後、ソロ活動や俳優への転身などで成功するのも、やはりこの一番目立っていたメンバーが多いようです。昔から、「出る杭は打たれる」といいますが、こと音楽活動においては、出ても打たれないどころか、さらに目立っていく杭のケースがかなりあるように思います。(ビートルズぐらいグローバルでエポックメイキングなバンドであれば、メンバー 4人の顔はもちろん、名前も全員フルネームで言える人が地球上には何億もいると思いますが・・・)クラシック音楽にもビートルズと同じ4人編成の曲種があります。代表的なものは弦楽四重奏曲です。バイオリン2、ビオラ、チェロの4つの楽器の組み合わせには18世紀以来、何人もの作曲家がエバーグリーンの傑作を物してきました。弦楽四重奏曲は、 2つ以上の楽章からできているものが多いのですが、その中の特定の楽章だけが全曲の中で傑出した人気を誇る作品が少なくありません。そして、しばしばその楽章だけが単独で演奏されることがあります。ここでも「出すぎた杭が打たれる」ことはないのです。20世紀アメリカの作曲家、サミュエル・バーバーの弦楽四重奏曲第1番は、その第2楽章「アダージョ」が、故ケネディ大統領の葬儀で使用されて以来、そのエモーションの深さから人々の胸に深く刻まれる音楽となりました。やがて、「バーバーのアダージョ」としてこの楽章だけが単独で、しかも四重奏ではなく、弦楽オーケストラで演奏されるようになりました。コンサートだけではなく、 葬儀や追悼の儀式などでもさかんに取り上げられるようになり、9月11日の同時多発テロの翌年、犠牲者の慰霊祭でも演奏 されています。日本でも昭和天皇が崩御された際、この曲を店内で流している商業施設がいくつかありました。また映画やドラマのシリアスなBGMとしても定着しており、中でも、ベトナム戦争を取りあげた映画「プラトーン」での使用がよく知られています。  もっとも作曲者自身は、この楽章について、自分は決して葬儀用の音楽を書いたつもりではないと後に語っていますが・・・。                    https://youtu.be/WAoLJ8GbA4Y?list=RDWAoLJ8GbA4Y   バーバーのアダージョ(弦楽合奏版) ウィーン・フィルhttps://youtu.be/uaBKQ518B30?list=RDuaBKQ518B30   バーバー 弦楽四重奏曲第1番 (8分38秒から第2楽章)「交響曲の父」ハイドン(18世紀オーストリア)は、別名「弦楽四重奏曲の父」とも呼ばれます。彼が整備発展させた弦楽四重奏曲の形式が、弟子のベートーヴェンをはじめとする数多くの作曲家によって踏襲されていったからです。70曲を越えるハイドンの弦楽四重奏曲の中には、やはり特定の楽章が圧倒的人気を誇るものがいくつかあります。その中の一つ、「皇帝」は、第2楽章が単独で取り上げられることが多いだけでなく、現在のドイツ国歌のもとにもなっています。ナポレオンに侵攻された際、オーストリアを鼓舞するために、このメロディに歌詞をつけたものが、やがてオーストリア国歌になったわけですが、紆余曲折を経てドイツ国歌と なりました。 https://youtu.be/HBE1IRgy5J0?list=RDHBE1IRgy5J0   「皇帝」第2楽章  (ハイドン/弦楽四重奏曲)   https://youtu.be/JfxpaUYTFy8?list=RDJfxpaUYTFy8            「皇帝」全曲      (7分31秒から第2楽章)https://youtu.be/Xr3oiA9Iru0?list=RDXr3oiA9Iru0              ドイツ国歌 日本語訳つき     記 丸尾豪司

2025年桜楓会40周年記念パーティ

9月13日(土)に、バンクーバーのItalian Cultural Centreを会場に、桜楓会発足40周年を記念する懇親会が開催されました。53名の会員に加えて、隣組、企友会、日系女性企業家協会、バンクーバージャパニーズ日系ガーデナーズ協会からのゲスト11 名を迎え、64名の出席を得て会場は終始和やかな歓談に包まれていました。キャッツ副会長の司会により、松尾会長の挨拶にて正午に開会し、高橋総領事からの祝辞が読み上げられたのち、当日の出席者の中で女性と男性のそれぞれ最高齢であるパーカー敬子さんとポール安藤さんの乾杯発声に続いて、イタリアの発泡ワイン、プロセッコのグラスを掲げて乾杯。以後は各種サラダ、2種のパスタ、3種のメインディッシュが並ぶビュッフェスタイルの食事を楽しみました。食後には、役員のキャッツ幸子が「桜楓会40年の歴史を振り返る」をスライドショーを使って行い、参加された元役員(田代英子さん、井上正康さん、鶴崎一枝さん、藤野紘一さん、八木原昇さん、山内昌文さん、久保克己さん)から、思い出話を伺いました。最後にドアプライズの抽選があり、40周年にちなんで40ドルの賞金の一等賞は会員の安藤文子さんが射止めました。久しぶりに顔を合わせて旧交を温める方々の多くは、閉会後も名残惜しく会場に留まって交歓を続けていました。45周年、さらに50周年の際にも、元気な姿で参加したいものです。(記:松本明子、写真:ビクター山崎さん、渡嘉敷優子、鹿内光世、松本明子)写真・動画をご覧ください。https://photos.app.goo.gl/qs7hsuzff6KRsMNM9パーティに参加された人を中心に作成した「桜楓会の歴史を振り返る」をご覧ください。https://drive.google.com/file/d/1TcLaZ6Bd39mBkVVQuAcwDx8pVs1i_cj3/view40周年記念パーティに伴い、元役員の皆様から写真を頂きました。桜楓会ホームページに掲載しましたので、ご覧ください。https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/                                                                  (記:キャッツ幸子)