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驚くべき恵み  アメイジング・グレイス ビートルズ さだまさし

2001年9月に発生したアメリカ同時多発テロは、来年で25年目を迎える。毎年9月のアメリカでは、犠牲者の追悼の場面で幾度となく「アメイジング・グレイス」が聞かれたことだろう。アメリカ第2の国歌と まで言われるこの讃美歌は、日本でもよく知られているが、実は誰の作曲か不明なのである。しかし、 作詞者ははっきりしている。ジョン・ニュートンという18世紀イギリスの人物である。彼は奴隷船の船長をしていた。アフリカで「調達」した黒人たちを船に積み込み、それを元手に莫大な財を成していた。彼は無神論者で、時には神や信仰について罵ることもある無頼漢だった。しかし、ある時、乗っていた船が嵐に遭い、まさに沈没しようかという際になって、はじめて神に祈り始めた。それも必死に。「溺れる者はわらをもつかむ」の心境だったのだろう。すると、奇跡的に船は難破を免れ、彼は突如、神の存在を信じる ようになった。奴隷の売買は当時合法だったため、奴隷商人の職は続けていたものの、後に病に倒れた彼は教会に通うようになり、やがて布教者(牧師)となった。晩年は奴隷貿易廃止の運動に参加し、議会でも発言するなど、 180度転換の人生を送っている。そんな彼が黒人たちへのかつての仕打ちを悔い改め書いた詞がアメイジング・グレイスである。 ◆アメイジング・グレイス「驚くべき恵み。神は私のような『人でなし』にも愛を授けて下さる。」という冒頭の歌詞に「wretch」という言葉が使われている。 ニュートンがかつての自分をさげすんだ言葉で、辞書には「人でなし」「惨めな人」「恥知らず」といった最底辺の言葉が並んでいる。古来、聖歌の歌詞には聖書の中の言葉しか使わないという不文律があったが、それを破り、あえてこの言葉を使ったところに、 作詞者の並々ならぬ懺悔の思いが表れていると言えるだろう。なお、諸説あるものの、この歌のメロディはアメリカでつけられた  とも言われている。 https://youtu.be/BqACsPqCzV4?list=RDBqACsPqCzV4  アメイジング・グレイス  日本語訳つき ◆奴隷貿易「欧州人がアフリカ人に銃を渡さなければ、アフリカの争いのほとんどはなかっただろう」(ニュートン)。ヨーロッパから持ち込まれた 銃は、アフリカの原住民に富を巡る部族間の争いを引き起こした。その結果、奴隷船には、負けて捕虜となった黒人たちが積み込まれた。「黒い積荷」と呼ばれた彼らは南北アメリカに運ばれ、砂糖や綿花といった「白い積荷」と交換された。それがヨーロッパに運ばれ高値で売られたことが、大英帝国にかつてない繁栄をもたらした。この「大西洋三角貿易」によって売りさばかれた黒人奴隷は400年間で1000万人を越えると言われる。カナダなど世界の4分の1を植民地とし「太陽の沈まない国」といわれた  イギリスの繁栄を支えたものが、この大西洋貿易であり、世界最大の奴隷貿易港であったリヴァプールである。もとは小さな漁港にすぎなかったリヴァプールは、奴隷船が発着するようになるや、空前の活況を呈するようになった。この地に住む奴隷商人たちは、蓄えた財で金融業を営み、ひたすら豊かさを追求した。そして、彼らの多くが市長の座に座り続けた。イギリスが世界に先駆けて産業革命や資本主義といった現代にまで影響を与え続ける事象を確立できたのは、奴隷貿易による潤沢な資金があればこそのことだった。(長い時を経て、2007年にイギリスは、過去の所業についてアフリカ諸国に正式に謝罪している。)◆ビートルズリヴァプールの負の遺産が奴隷貿易であるとするならば、正の遺産と呼べるものは何か。それがビートルズであることに異論のある人はいないだろう。音楽史にも深くその名を刻む彼らであるが、メジャーデビュー前は、地元のライブハウスで細々と活動していた。港町リヴァプールには海外の音楽がさかんに持ち込まれていたため、その時の彼らの重要なレパートリーは、当時流行のアメリカ音楽のコピーであった。特にチャック・ベリーのブルースやリトル・リチャードのロックンロールなどの黒人音楽である。皮肉にも、彼らの故郷がもたらした黒人奴隷の子孫たちの音楽を白人の彼らがカバーしていたことになる。なお、かつての奴隷商人たちは、思い思いに町の道路に自分たちの名前をつけていったが、ビートルズの楽曲タイトルにもなっている「ペニーレイン」もその一つである。◆さだまさし1960年代以降の世界のポップミュージシャンたちの大半は、ビートルズから影響を受けている。日本も例外ではないが、その中の一人にさだまさしがいる。彼が書いた数多くの名曲の中に、  アメイジング・グレイスの使われているものがある。「風に立つライオン」である。彼と親交のあった 医師、柴田紘一郎をモデルとした歌である。柴田氏は、アフリカの黒人医療に生涯をささげた シュヴァイツァーに憧れ、三十代でケニアに渡り、紛争地の過酷な環境の中で原住民たち(黒人)の医療に携わった人物である。この曲の間奏と後奏部分にアメイジング・グレイスが登場する。 https://youtu.be/uYhhb0uOvsM?list=RDuYhhb0uOvsM  風に立つライオン   歌 さだまさし 指揮 佐渡裕 https://youtu.be/0uVaHg61_pA?list=RD0uVaHg61_pA  風に立つライオン  柴田紘一郎本人の映像 かつて黒人たちの命を軽んじた一人の男の書いた詞に曲がつけられ、黒人の奴隷制度の上に繁栄したアメリカで、  愛する人をテロで失い傷ついた人々の心を癒し、アフリカの原住民たちの命を一人でも救おうとした医師の心根に寄り添う歌に引用される・・・。まこと、音楽とは何と人間的で不思議な恵みであることか!    (柴田氏は今年2月に永眠)

出すぎた杭は打たれない バーバーのアダージョ

今月の初め、日本人ミュージシャン、ジョージ浜野の訃報がありました。といっても、その人だれ?という方がきっと多いことでしょう。しかし、かつての「ピンキーとキラーズ」のリーダーといえば、ピンと くるかもしれません。ただし、ほとんどの人の目に浮かぶのは、亡くなった本人ではなくリードボーカルだった今陽子の顔ではないでしょうか。このようにグループ歌謡やバンドの場合、いちばん目立つのはセンターで歌っている歌手で、その他のメンバーは、熱狂的ファン以外には顔も名前もあまり 覚えてもらえないということがよくあります。内山田洋とクールファイブも、ほとんどの人の目に焼き付いているのは、リーダーの内山田ではなく、ボーカルの前川清だと思います。グループやバンドは 活動半ばで解散することがよくありますが、その後、ソロ活動や俳優への転身などで成功するのも、やはりこの一番目立っていたメンバーが多いようです。昔から、「出る杭は打たれる」といいますが、こと音楽活動においては、出ても打たれないどころか、さらに目立っていく杭のケースがかなりあるように思います。(ビートルズぐらいグローバルでエポックメイキングなバンドであれば、メンバー 4人の顔はもちろん、名前も全員フルネームで言える人が地球上には何億もいると思いますが・・・)クラシック音楽にもビートルズと同じ4人編成の曲種があります。代表的なものは弦楽四重奏曲です。バイオリン2、ビオラ、チェロの4つの楽器の組み合わせには18世紀以来、何人もの作曲家がエバーグリーンの傑作を物してきました。弦楽四重奏曲は、 2つ以上の楽章からできているものが多いのですが、その中の特定の楽章だけが全曲の中で傑出した人気を誇る作品が少なくありません。そして、しばしばその楽章だけが単独で演奏されることがあります。ここでも「出すぎた杭が打たれる」ことはないのです。20世紀アメリカの作曲家、サミュエル・バーバーの弦楽四重奏曲第1番は、その第2楽章「アダージョ」が、故ケネディ大統領の葬儀で使用されて以来、そのエモーションの深さから人々の胸に深く刻まれる音楽となりました。やがて、「バーバーのアダージョ」としてこの楽章だけが単独で、しかも四重奏ではなく、弦楽オーケストラで演奏されるようになりました。コンサートだけではなく、 葬儀や追悼の儀式などでもさかんに取り上げられるようになり、9月11日の同時多発テロの翌年、犠牲者の慰霊祭でも演奏 されています。日本でも昭和天皇が崩御された際、この曲を店内で流している商業施設がいくつかありました。また映画やドラマのシリアスなBGMとしても定着しており、中でも、ベトナム戦争を取りあげた映画「プラトーン」での使用がよく知られています。  もっとも作曲者自身は、この楽章について、自分は決して葬儀用の音楽を書いたつもりではないと後に語っていますが・・・。                    https://youtu.be/WAoLJ8GbA4Y?list=RDWAoLJ8GbA4Y   バーバーのアダージョ(弦楽合奏版) ウィーン・フィルhttps://youtu.be/uaBKQ518B30?list=RDuaBKQ518B30   バーバー 弦楽四重奏曲第1番 (8分38秒から第2楽章)「交響曲の父」ハイドン(18世紀オーストリア)は、別名「弦楽四重奏曲の父」とも呼ばれます。彼が整備発展させた弦楽四重奏曲の形式が、弟子のベートーヴェンをはじめとする数多くの作曲家によって踏襲されていったからです。70曲を越えるハイドンの弦楽四重奏曲の中には、やはり特定の楽章が圧倒的人気を誇るものがいくつかあります。その中の一つ、「皇帝」は、第2楽章が単独で取り上げられることが多いだけでなく、現在のドイツ国歌のもとにもなっています。ナポレオンに侵攻された際、オーストリアを鼓舞するために、このメロディに歌詞をつけたものが、やがてオーストリア国歌になったわけですが、紆余曲折を経てドイツ国歌と なりました。 https://youtu.be/HBE1IRgy5J0?list=RDHBE1IRgy5J0   「皇帝」第2楽章  (ハイドン/弦楽四重奏曲)   https://youtu.be/JfxpaUYTFy8?list=RDJfxpaUYTFy8            「皇帝」全曲      (7分31秒から第2楽章)https://youtu.be/Xr3oiA9Iru0?list=RDXr3oiA9Iru0              ドイツ国歌 日本語訳つき     記 丸尾豪司

2025年桜楓会40周年記念パーティ

9月13日(土)に、バンクーバーのItalian Cultural Centreを会場に、桜楓会発足40周年を記念する懇親会が開催されました。53名の会員に加えて、隣組、企友会、日系女性企業家協会、バンクーバージャパニーズ日系ガーデナーズ協会からのゲスト11 名を迎え、64名の出席を得て会場は終始和やかな歓談に包まれていました。キャッツ副会長の司会により、松尾会長の挨拶にて正午に開会し、高橋総領事からの祝辞が読み上げられたのち、当日の出席者の中で女性と男性のそれぞれ最高齢であるパーカー敬子さんとポール安藤さんの乾杯発声に続いて、イタリアの発泡ワイン、プロセッコのグラスを掲げて乾杯。以後は各種サラダ、2種のパスタ、3種のメインディッシュが並ぶビュッフェスタイルの食事を楽しみました。食後には、役員のキャッツ幸子が「桜楓会40年の歴史を振り返る」をスライドショーを使って行い、参加された元役員(田代英子さん、井上正康さん、鶴崎一枝さん、藤野紘一さん、八木原昇さん、山内昌文さん、久保克己さん)から、思い出話を伺いました。最後にドアプライズの抽選があり、40周年にちなんで40ドルの賞金の一等賞は会員の安藤文子さんが射止めました。久しぶりに顔を合わせて旧交を温める方々の多くは、閉会後も名残惜しく会場に留まって交歓を続けていました。45周年、さらに50周年の際にも、元気な姿で参加したいものです。(記:松本明子、写真:ビクター山崎さん、渡嘉敷優子、鹿内光世、松本明子)写真・動画をご覧ください。https://photos.app.goo.gl/qs7hsuzff6KRsMNM9パーティに参加された人を中心に作成した「桜楓会の歴史を振り返る」をご覧ください。https://drive.google.com/file/d/1TcLaZ6Bd39mBkVVQuAcwDx8pVs1i_cj3/view40周年記念パーティに伴い、元役員の皆様から写真を頂きました。桜楓会ホームページに掲載しましたので、ご覧ください。https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/                                                                  (記:キャッツ幸子)

ウィーンに旅する (7)

ザルツブルクに一泊旅行をした日には暫く雪が降ったが、ソフィーはレンタカーを無事に運転してくれた。途中ハルシュタットの湖畔の教会が見えた。オーストリアの典型的景色として有名だそうな。ザルツブルクに着くと、大規模なクリスマスマーケットをざっと見た後、モーツァルトの生家に急いだ。12世紀に尼僧院の敷地内に建てられ、結婚した父レオポルトが1747年に三階に入り、一家は26年間そこに住んでいた。台所、居間、寝室(モーツァルト生誕の部屋)とスタジオ(空の部屋にピアノだけが置いてあった)からなる質素な住まいで、七人の子供達の中で生き残ったのは1751年生まれの姉ナナールと1756年生まれのヴォルフガングのみ。寝室とスタジオが壁なしで隣接しているのが面白かった。睡眠時にふとアイデアの湧いた若き日のモーツァルトが寝床を飛び出してスタジオのピアノに向かったかも、などと想像した。登山電車で行った丘の上の大司教の居城は立派で、窓から突き出た大砲や鎧などの武器、モーツアルトのオペラのシーンなど多くの展示物があり、特にマリオネット劇場の模型の数々は興味深かったし、ザルツブルクを巡る山々は美しかったが、コロレド大司教はモーツアルトを優遇しなかった人だという事が頭から離れなかった。

夏の思い出 フィンガルの洞窟 メンデルスゾーン

8月は旅行シーズンですので、今年も多くの方がバカンスや遠出の旅を楽しまれたこと でしょう。せっせとお金を貯めて、念願のヨーロッパに私が初めて行ったのも、40年前の 8月のことでした。ツァーパックの旅行で、はじめは寄せ集めのよそよそしかった一行も、 何日かすると少しずつ打ち解けていきます。そうなると今度は何人かの方が、行ったことのある国の数や同じ国に行った回数や、どれだけ珍しい場所に行ったかなどを巡っての自慢話に花が咲くようになり、最後はさながらマウント合戦の様相を呈していきました。添乗員の方が小声で教えてくれたところでは、パック旅行の場合、必ずそういうお客様が何組かいらっしゃるとのことでした。そういう方のお話は、興味深く勉強になる反面、何度か聞いていくうちに、若干食傷ぎみになったというのも正直なところです。ある日の食事で、そういうご夫婦と相席になりました。知的なご年配で旅行経験豊富なご様子でしたが、特にスコットランドが 良かった。あそこはお薦めです。とのことでした。そこで「ではフィンガルの洞窟にも行かれたのですか?」と尋ねたところ、「フィンガルの洞窟?何ですか、それは?」と逆に聞き返されました。「あれ? スコットランドが好きなのに、フィンガルの洞窟を知らないの?」と内心は思ったものの、そこは顔には出さず、同地について自分の知る限りの情報を一応お伝えしました。しかし、結局お二人は合点されずじまいでした。フィンガルの洞窟は、スコットランド沿岸の島にある玄武岩の岸壁にできた洞窟のことです。長年にわたってバイキングの侵入に 悩まされてきたスコットランドですが、この洞窟は、彼らと戦った伝説の英雄フィンガルにちなんでこの名があります。二十歳の8月に当地を訪れたメンデルスゾーン(19世紀ドイツ)の「フィンガルの洞窟」という管弦楽作品でもその名をよく知られています。曲は彼が現場で着想した、岸壁に寄せては返す波を表す音型の繰り返しで始まります。そして、海の厳しさや人間どうしの争いなどを感じさせながら進み、最後は静かに消えていきます。全編、メンデルスゾーンらしい憂愁に満ちたメロディに溢れた曲です。 https://youtu.be/zyZ5cHUaiBI?list=RDzyZ5cHUaiBI  序曲「フィンガルの洞窟」 (洞窟の動画つき) フィンガルの洞窟は、スコットランドの中でもハイランドと呼ばれる北部にあり、しかも、島から島へ船を乗り継がないと行けない  辺境の景勝地です。例のカップルは、観光地の多い南部の方がお気に入りのようでした。ただ、この洞窟のある島は「ヘブリデス諸島」の中の一つですので、あの時、ヘブリデスの名を出せば通じたかもしれないと、日本に帰ってから少々悔やんだ次第です。(メンデルスゾーンの曲も別名が「ヘブリデス」となっています。)余談ですが、フィンガルの洞窟を形成する玄武岩という岩石は、それと同じ石でできた兵庫県の玄武洞から名付けられました。「玄武」は、亀の尾が蛇になっている中国の伝説上の奇獣で、 玄武洞の柱状節理が亀の甲羅や蛇を思わせるところからの命名でした。志賀直哉の小説でも知られる城崎(きのさき)温泉から目と鼻の先の玄武洞は神戸から車で3時間ほどですので、 私も何度かこの奇観を訪ねました。(自慢ではありません。念のため。)それもやはり夏が多かったことを覚えています。                                   記 丸尾豪司