変容する植物 その2 「グロテスク」暴君で名高い第5代ローマ皇帝ネロは、ローマ市内に「ドムス・アウレア」(黄金宮殿)と呼ばれる広大な宮殿を建設しました。ネロの死後、その痕跡を消し去るため歴代の皇帝たちは宮殿を埋めて上に新たな施設を建設したため、古代の文献に言及はあるものの、全容は知られていませんでした。15世紀末、コロッセウムにほど近いオッピオ丘斜面にトンネルを掘って宮殿内部を見ようとする試みがなされ、そこで発見されたのが見事なフレスコやモザイクの装飾でした。ミケランジェロ、ラファエロなど当代きっての画家たちは競ってここを訪れ、その意匠を自作に取り入れたのです。建築モティーフ、植物、動物、人体などが自由に組み合わされた奇想的な装飾は、「グロテスク」と呼ばれました。これはイタリア語で「洞窟」を意味する「グロッタ」(grotta)に基づき、地下に埋もれた宮殿を「洞窟」とみなしたことに由来します。1508年からヴァティカーノ宮の壁画制作に携わっていたラファエロとその協力者ジョヴァンニ・ダ・ウディネによるグロテスク装飾は、ルネサンス期の古代ローマ美術への関心を示す代表作です。2026.03.25 18:37
陶人形2点 (高さ、左=28、右=31cm)轆轤と手捻りの併用で、各2種類の粘土を使い作った人形です。左の人形は手書きの花模様の中国服にし、右側は釉薬を掛けず土の色そのままで、焼成後に金色で腕輪とビーズのネックレスを付けました。人形も実用の器と同様に素焼きと本焼き、2回窯で焼きます。 この人形2つは通年我が家のマントルピースに飾っています。2026.03.25 18:35
3月教養講座 「昭和101年 日本人と西洋芸術」3月13日(金)に桜楓会の教養講座「昭和101年 日本人と西洋芸術」が開かれました。 講師は広報役員の丸尾が務め、会員と会友を合わせて25名の方にご参加いただきました。いつもは、美術の話題が中心ですが、今回は「日本の物作りと西洋音楽」というプログラムで、 音楽に特化した内容となりました。参加された方々のご感想を抜粋でご紹介します。★ちょうど昭和100年に開催されたショパンコンクールから始まり、日本の発明したデジタル録音が普及していく昭和50年に 話題を移し、最後は楽器に見られる日本人の物作り精神で終わるという、いつもながらのよくできた切り口と構成に時間を忘れて聞き入りました。また、ご自身の楽器演奏などの音楽体験を交えたお話にも説得力がありました。(会員) ★今回の教養講座もとてもよかったです。アルプスの少女ハイジのテーマ曲をかけてくださり、ありがとうございました。子どもの頃、ハイジのアニメが大好きでした。フレンチホルンと聞いて、もしかしたらと思いましたが、やはりあの出だしは、壮大なスイスの山の 風景にぴったりですね。(会友) ★ザルツブルクが岩塩の街であることや、ウィーン・フィルが世界一である理由の数々。また、ウィンナ・ホルンやウィンナ・オーボエ。ウィーン・フィルの音を決定づけているという楽器の絶滅の危機を日本の物作りが救ったというお話など、驚きの連続でした。今回も初めての知識をたくさん吸収できました。ありがとうございました。次回も期待しております。(会員)★ウィーン・フィルがウィーン製の楽器を復元するときに、なぜヨーロッパのメーカーではなく日本を選んだのか。それについて、丸尾先生が日本の無個性や無署名性を挙げて説明されたのは、なるほどと納得しました。無個性は時に謙虚さとして認められるのですね。ヨーロッパの 音楽家たちの中にあった東洋人の偏見が、手先が器用で丁寧な日本の物作りへの称賛や感謝に変わっていくプロセスが興味深かった。今ウィーン・フィルのフルート全員が日本製を使っているのもその証拠かもしれませんね。(会友)★ショパン・コンクールの上位のメンバーが全員中国がルーツと聞いて、コンクールや楽器作りなど、日本だけでなく中国もどんどん進出しているというお話が印象に残りました。ショパン・コンクールの公式ピアノ5台に日本のメーカーが2つ入っているのは、へえっと思いましたが、日本のピアノは100年遅れていると言われて奮起した技術者たちの努力がうかがえました。ロシアの大ピアニストが認めたヤマハのピアノ。そして、日本の工場で作業員相手に開いたコンサートのお話が心に残ります。(会員)★リヒテルとヤマハのエピソードを聞いて、以前私がヤマハに勤務していた時のことを思い出しました。当時は電子金属事業部に所属していました。そこは楽器製造には関係のない部門だったのですが、同じ工場内にピアノフレームを鋳造する部署があり、 さまざまな形状のフレームを生産していました。それが浜松近郊のピアノ組み立て工場へ送られて組み上げられていたと思います。ヤマハは良い意味であまり目先のことにとらわれず、じっくりと腰を据えてものづくりに取り組める環境にあると言えます。技術者に とっては理想的な環境ですね。引き続き教養講座を担当されることと推察しますので、また次回の講座を楽しみにしています。 ありがとうございました。(会友)★所用が終わって、ZOOM に参加した時は、リードオルガンの話をしている最中でした。オルガン奏者だった母を思い出しながら観ておりました。画像にあった黒っぽいオルガンは東京の実家にもありました。札幌に住んでいた時、母は北光教会のオルガン弾きでした。そこにあったオルガンの名前は忘れてしまいましたが、日本に3台しかないうちの1台でした。ヤマハのピアノを弾いたリヒテルは好きなピアニストの一人でした。カラヤン・ウィーン交響楽団とのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の録音、大好きでした。リヒテルが バイオリンのオイストラフ、チェロのロストロポービッチ、カラヤン・ベルリン・フィルと共演した ベートーヴェンのトリプルコンチェルトも良いレコーディングです。(会員) (記: 丸尾豪司) 2026.03.25 18:32
異端児と自然の声 春初めてのカッコウを聴いて ディーリアスイギリスにケン・ラッセルという映画監督がいました。過激な演出と映像で性や死や美を表現したその作風は、作品が発表される都度、キリスト教会をはじめ各方面からの批判を受けました。しかし、その反面、凡庸でないそのスタイルを好む映画ファンも多く、今でもその作品はいささかも色あせていません。しいて言えば「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリックをもっと過激にしたというところでしょうか。ラッセルの作品には実在の人物や事件を取り上げたものが多く、中でもチャイコフスキー、リスト、マーラー、エルガーなど音楽家を主人公としたものが目立ちます。そんな彼が初期に作った映画に「ソング・オブ・サマー」があります。フレデリック・ディーリアスという音楽家についての作品でした。(初期の作だけあって、この監督にしては控えめな表現に終始しています)ディーリアスは20世紀イギリスの作曲家で、代表作の一つに「春初めてのカッコウを聴いて」があります。森の霧を思わせる弦楽器の淡いハーモニーの奥から、ようやく訪れた春を知らせるかのようなカッコウの鳴き声を、クラリネットなどの管楽器が奏でていきます。長い冬が終わり、徐々に目覚めていく自然の様子を余すところなく描いたその味わいは、あたかも一幅の名画とも呼ぶべきもので、近代イギリス音楽のシンボル的な曲の一つともなっています。バンクーバー近郊の今にもマッチするかもしれません。 https://youtu.be/etyGCB6t_zg?list=OLAK5uy_lOBo2o-IOlPLnKyGVCt6iZCbjdAfxSl18 春初めてのカッコウを聴いて こんな優しい曲を作る作曲家は、さぞ心優しく穏やかな気性の持ち主だろうと思いきや、このディーリアスもラッセルに負けないほどの音楽の異端児でした。楽聖ベートーヴェンの音楽にすら、それを揶揄したことからも分かるとおり、既成の価値観には否定的で、無神論者でもありました。彼の作品には「ミサ」や「レクイエム」といったカトリックの伝統的な礼拝音楽もありますが、その内容は、「神は死んだ」と叫んだニーチェの文章に音をつけたものや、礼拝の形式を全く無視したものなどで、これらが教会から異端として 批判された点も、ケン・ラッセルと似ています。(レクイエムは第一次世界大戦で命を落とした兵士たちの魂に捧げられたもの)彼は、イギリスの裕福な事業家の息子として生まれながら、親の期待に反して音楽家の道を模索します。フロリダ、ライプツィッヒ、パリなど米独仏の大都会を転々とする紆余曲折の人生を歩みながら、その間、音楽家のグリーグ、画家のムンク、ゴーギャンといった当時の芸術に新しい風を送り込む人々との交流を通して、彼らから有形無形の影響を受けています。先述の映画「ソング・オブ・サマー」では、晩年のディーリアスの姿が描かれていますが、そこではフランスの閑静な村でひっそりと暮らす彼の自宅の 様子が再現されていました。室内は、ムンクの「叫び」やゴーギャンたちの絵が所せましと壁に貼られ、その中の「ネバーモア」というゴーギャンの絵画は、実はディーリアスが最初の所有者だったことが、近親者の証言からも分かっています。ディーリアスの音楽を愛する人たちは「ディーリアン」の名で呼ばれます。日本では1970年代にディーリアスのブームが起こり、ここでも多くのディーリアンが誕生しました。では最後にもう一曲、彼のオペラの中のダンス音楽「ラ・カリンダ」をご紹介します。 https://youtu.be/x6-UGlNyjn0?list=RDx6-UGlNyjn0 ラ・カリンダ(画家でもあった妻による作曲者の肖像画付き) この曲は、親に命じられていやいや赴いたフロリダのプランテーションで、黒人奴隷の時代から伝わる踊りの音楽に親しんだ彼の若き日の体験がもとになっています。そして、それがまさに音楽家への道を進むことを最終的に彼に決断させたのでした。さて、クセの塊のような人物の書いたこの曲の湧き上がるような素朴な楽しさを、あなたならどう評価されますか?2026.03.25 18:31
カナディアンロッキーの存在感大きな岩壁の真下に向かって毛鉤を投げるテリーアルバータでの記憶を戻してみたい。カナディアンロッキーの東側裾野は広い。アルバータからサスカチュワン、マニトバ州を過ぎて巨大なプレーリー(大草原地帯)はオンタリオ州の西端まで続く。古代には大きな海がカナダ中央に南から入り込んでいた。氷河時代後ロッキー山脈の東側の長い裾野が堆積土壌により肥沃な大草原地帯になって行った。エドモントンやカルガリーなどの都市の地下に大量の石油や天然ガスが発見されて以後カナダ西部の運命は変わった。単調な地形に住み360度水平線を見ていると夕日(特にプレーリーサンセットと言われ最も美しい景色である)と日の出、北空のオーロラ以外は地平線にまで大空が覆い日本では感じなかった大きな希望が当時ワクワク湧いた体感を記憶する。又、「生きがい」を感じる為に行ける大きな山々が車で数時間走れば在る。毎年新しいエネルギーを貰いにロッキーで山登り、キャンピングや山歩きや大自然の中で魚釣り等を楽しんだ。ロッキー山脈東側中腹に沿って延々と走る林業用のサービス皆無の道路に沿って森林を走り続けると観光地図に無い断崖絶壁や滝や渓流が現れる。その奥地で渓流の源に当たる高地に出会う。山から湧き出ている幅狭い浅い流れで毛鉤を投げ込むと魚が面白いほど餌に飛び付いて来る。魚達は個々に生活圏を確保し年間その場に住み着いているのである。そう言う穴場を見付けて毛鉤を岸に沿った日影に投げ込むのである。下流本流での釣りは流れがかなり速く強い上に川幅もある為玉石の上を長靴と胸まであるゴムズボンを履き渓流に逆らって注意深く穴場を求め一日中浅瀬に沿って歩きまわる。May fly(カゲロウ目属の水生昆虫) の羽虫がハッチする夕刻近くには水面の夕食を魚が浮上して跳ね上がる。十分研究し羽虫に似せた毛鉤を作り釣りをするのが楽しみなのだ。その毛鉤糸を正確に振りかぶり狙った位置に投げ入れる技が渓流釣りの妙味である。筆者は十分経験を積む年数は無かったのでベテラン友人の技術指導で人生の楽しみを味わった初心者である。2026.02.25 17:36
燃え尽きる灯と残された花クリスマスが終わり、真っ赤に咲き誇っていたアマリリスも一輪を残し枯れていきました。高くのびていたキャンドルも短くなりました。そんな 宴の後の静寂を描いてみました。2026.02.25 17:34
カナダ版「威風堂々」?State Occasion2月の祝日、ファミリー・デーはいかがお過ごしだったでしょうか。日本の祝日は、建国記念日(11日)と天皇誕生日(23日)です。わずか28日しかない2月に祝日が2回もあるというのは、ちょっと得した気分でしょうか。家庭を大切にするという趣旨のファミリー・デーに対して、国家と関係する2つの祝日。偶然とはいえ、カナダと日本の対照がちょっと面白いなと思います。バンクーバーでは、日本領事館の主催になる天皇誕生日のレセプションが毎年開かれています。私もご招待に預かり参加させていただいたことがあります。その際、会場に据えられた日加の国旗を目の当たりにしながら、開式にあたって流された両国国歌、「君が代」と「オー・カナダ」によって、式典の雰囲気が一気に高まった記憶があります。君が代クロニクル「君が代」の歌詞にはもとになった和歌があります。「わが君は 千代(ちよ)に八千代(やちよ)に 細(さざ)れ石の 巌(いわを)となりて 苔のむすまで」という読み人知らず(作者不明)の古い歌です。これは平安時代の「古今和歌集」(905年)に収められています。歌の意味は「私の(大切な)あなた様には末永く健在でいてほしい。砂粒が岩となり、さらにそれに苔が生えるほどの長い間(元気でいてほしい)」というものです。内容から考えて、恋愛歌ではないかという説もありました。この歌は公家(貴族)たちに愛され、やがて文学作品の中でもよく引用されるなどして、町人や農民の間でも広く知られるようになっていきます。そうしているうちに「わが君」という特定の個人を指す言葉が「君が代」という、為政者の治める時代を表すように変化していきました。幕末になって開国を迎えた日本は欧米列強との軍事力や文化の差に驚きと脅威を感じていました。やがてイギリス皇太子が来日して明治天皇と謁見する際、イギリス国歌と並んで演奏すべき曲を持たなかった日本は、新政府の威信をかけて大急ぎで国歌作成に乗り出します。歌詞と して選ばれたのが、江戸時代まで広く歌い継がれてきたこの歌でした。作曲は、新政府の依頼によって、その皇太子に随行していたイギリス人軍楽隊長によるものでした。それは現在の君が代とは全く異なるメロディです。(楽譜や録音も存在します。)その後、日本に赴任していた海軍軍楽教師のドイツ人が、宮内庁から提供された日本古来の音楽の楽譜をもとに、軍楽隊用に編曲したものが今の「君が代」の原型となりました。世界には、第二の国歌と呼ばれる音楽を持っている国がいくつかあります。昔から自国民に親しまれてきた曲です。以前この巻頭言でご紹介した曲の中では、オーストリアの「美しく青きドナウ」(ヨハン・シュトラウス)やフィンランドの「フィンランディア賛歌」(シベリウス)などが、それぞれの国の第二の国歌と呼ばれています。 アメリカは「星条旗よ永遠なれ」(スーザ)がそれにあたります。日本にはそれに該当する音楽はないようです。 https://youtu.be/V-CCQ_p6XHE?list=RDV-CCQ_p6XHE 星条旗よ永遠なれ バーンスタイン指揮 カナダ国歌の「オー・カナダ」は、もともとケベック国の建国記念日を祝う式典のために作られた曲で、当初はフランス語の歌詞しかなかったのですが、後に英語の詞もつけられ現在に至っています。トロント出身のロバート・ファーノンの「State occasion」という行進曲にはブリティッシュな雰囲気があって、かつてカナダの宗主国だったイギリスの第二の国歌といわれる「威風堂々」(エルガー)を思わせます。ファーノンはジャズトランぺッターとして活躍し、ハリウッドの映画音楽の作曲などでも成功した人物です。https://youtu.be/uN2IxZp9x6k?list=RDuN2IxZp9x6k State Occasion(式典行進曲)作曲者の指揮2026.02.25 17:29
市松角皿 お正月に重箱に入らないオードブルを盛る器を、と作った市松模様の角皿です。白粘土を板状にして組み立てて、乾燥させ素焼きをします。その後に釉薬を掛けて本焼きします。白い釉薬の上に緑色の顔料で市松、外側二つの側面には変化を付ける為に青い顔料(日本では呉須)で渦巻を描きました。2026.01.26 01:01
この世で最もハッピーな曲 ブランデンブルク協奏曲 バッハあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今回はおめでたい曲をご紹介します。イギリスにイモージェン・ホルストという女性がいました。音楽学者として知られた人物です。彼女が「この世で最も幸福な音楽の一つ」として挙げていたのが、ブランデンブルク協奏曲第4番です。ブランデンブルク協奏曲は、バッハ(18世紀ドイツ)が作曲した1番から6番までの6曲1セットの作品です。その中の第4番は、独奏バイオリンと2本のリコーダー(縦笛)と弦楽オーケストラのための曲で、3つの楽章から成ります。縦笛パートは横笛(フルート)でもよく演奏されます。最も幸福な音楽と言いつつも、第2楽章はなぜか短調で書かれていますが、バロック時代の短調の音楽は、作品に陰影をつけるために使われることが多く、悲しみや嘆きといった感情や暗い物語を思い起こさせることが目的でない場合が多かったのです。この曲の場合は、明るく闊達な両端楽章を際立たせるためのアクセントとしての短調の楽章と考えると分かりやすいと思います。https://youtu.be/tp_WeHUKoXM?list=RDtp_WeHUKoXM ブランデンブルク協奏曲第4番 指揮 クラウディオ・アバド 協奏曲という曲種で最も多いのが、バイオリン協奏曲とピアノ協奏曲です。どちらもそれぞれの楽器を独奏とした作品です。ただ、ブランデンブルク協奏曲の「ブランデンブルク」は楽器の名前ではなく、ドイツの地名のことで、その土地に関連した協奏曲集という意味です。バッハより後世の人々が、バイオリンの他にホルンやトランペット、チェンバロやフルートなど曲ごとに独奏楽器が変わるこの協奏曲6曲を総括して、この名で呼ぶようになったのがその起源です。「音楽の父」バッハに対して、かつて「音楽の母」という、男なのにちょっと無理のあるニックネームで呼ばれていたのが、バッハと同年生まれで、同じドイツ人だったヘンデルです。彼はオルガンの名手だったため、多くのオルガン協奏曲を残しています。その中から幸福感あふれる第4番作品4の4をご紹介します。バッハもヘンデルも、やたらと4のつく作品ばかりの紹介で、新年早々、縁起が悪いと思われるかもしれませんが、ヨーロッパの作品ですので、4という数字の「しばり」はありませんでした。余談ですが、昨年 亡くなった国民的ヒーロー、長嶋茂雄が生涯に放ったホームランは444本ですので、4が必ずしも悪い数とも言えないでしょう。 なお、ヘンデルのこの作品は、第2楽章も明るい長調で書かれていますが、その透明で天真爛漫な響きには格別の味があります。https://youtu.be/nJK2AMCPa2k?list=RDnJK2AMCPa2k ヘンデル オルガン協奏曲 作品4の4 オルガン 鈴木優人 ヘンデルのハープ協奏曲も、とてもハッピーな音楽です。この曲は元々オルガン協奏曲なのですが、オルガンの代わりにハープを 使うことがよくあります。ハープ独奏になると華やかさが増しますので、今はまだ真冬ですが、ひと足早く桜の花の舞いでも見るような気分を味わえるかもしれません。 https://youtu.be/nYsGn7Xeo40?list=RDnYsGn7Xeo40 ヘンデル ハープ協奏曲 冒頭で名前を挙げたイモージェン・ホルストは、20世紀イギリスを代表する作曲家グスターブ・ホルストの一人娘でした。彼の 代表作に組曲「惑星」があります。天文学的な興味よりも、当時彼が心惹かれていた占星術的な発想で書かれた作品です。太陽系の惑星たちを描いた全曲の中で最も人気のあるのが「木星」ですが、作曲者はこの曲を「人生をエンジョイする太って陽気な人」と呼び、楽譜には「喜びを運ぶ者」という副題を書き込んでいます。曲の中間部のメロディは、平原綾香の「ジュピター」の原曲となりました。https://youtu.be/IWDhKwUyaw8?list=RDIWDhKwUyaw8 ホルスト「木星」 カラヤン ウィーン・フィル このカラヤンの録音は、日本で放送されていた「日曜映画劇場」のエンディングテーマとして、中間部のメロディが使われていました。日本人の大半がこの曲を知らなかった時代ですが、曲名を訪ねる電話が放送局によくかかっていたそうです。2026.01.26 00:50
2026年(令和8年)桜楓会総会・新年会開催桜楓会総会:1月17日(土)正午から、桜楓会総会が日系センターで開催され、49名の会員が参加されました。総会成立条件である会員総数148名の10%以上となりましたので、総会が成立し、下記のとおり議事が進行されました。1 松尾会長の総会成立宣言と挨拶2 昨年度行われた桜楓会行事とその収支。3 2025年に開催できた行事は、年次総会・新年会、歩こう会、ゴルフ大会、教養講座、40周年記念大会、リメンバランス・デーへの参加と献花など8回ありました。延べ参加人数は、会員196名、会友他41名、計237名、行事収支は年間59.37ドルの赤字となりました。4 上記企画行事収支を含む桜楓会の総合収支。今期への繰越金は、昨年度より229.93ドル増え、5,638.24ドルとなりました。5 今年の行事予定。今年も歩こう会、ゴルフ大会、教養講座等を予定しております。多くの会員の皆様の参加をお待ちしています。以上の内容が承認され2026年の総会は終了いたしました。 2025年思い出のアルバムを上映しましたので覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=zCVrXUiZb7Iまた、総会・新年会の写真とビデオは、https://photos.google.com/u/1/album/AF1QipMBdrtiVtDaiqP07KCfsfkTE98kwYt15KBDmDAgからご覧ください。 (写真:ビクター山崎さん 記:キャッツ幸子)桜楓会新年会:年次総会に続いて行われた恒例の新年会は、松尾会長の挨拶で始まり、ついで在バンクーバー日本国総領事高橋氏より祝辞をいただきました。そして、参加されている男女それぞれ会員最年長のポール安藤氏と文子夫人による乾杯発声を経て開幕しました。昨年同様、竹屋寿司のお節弁当は、黒豆、田作り、お煮しめなどお馴染みのお節に加え、大ぶりの栗をあしらったお赤飯と自家製のどら焼きも付いた豪華版でした。吟醸酒やビールと共に各テーブルでは賑やかな歓談が続きました。食後には、日本語を学んでいる学生たちを中心に結成されたダンスグループ、World Soran! による元気一杯の踊りが披露され、「牛深ハイヤ節」、「ソーラン節」、K-Popのヒット曲に振り付けた「What is Love?」さらに「東京音頭」ではリーダーの指導のもと、桜楓会会員も参加し、会場いっぱいに動き回りました。余興の後は、午年生まれの年男・年女5名にプレゼントの花が贈られ、続いてお年玉が当たる抽選会となりました。松尾会長が引く名札を司会の鹿内役員が読み上げ、幸運な17名が10ドルから50ドルのお年玉を受け取りました。天候に恵まれ、50名が参加した今年の新年会は午後3時に閉会しましたが、その後も会場では名残惜しく旧交を暖める姿が多く見られました。(写真:ビクター山崎さん、桜楓会役員 記:松本明子)2026.01.18 01:00